第2話 おっさん、ギルマスに惚れられる
カルロが冒険者の引退を決めた七年前——。
グロリアがギルドマスターを継いで間もない頃のことだった。
ゼームダール商会の持つ薬草精製所。朝早くに訪れたグロリアは、応接室の一つに通された。
渡された一枚の書面に、グロリアの形のいい眉が吊り上がる。
「提示報酬が少なすぎます! これはどうしてですか!」
「すまないね、グロリアお嬢さん。今は薬草の在庫がダブついてるんで、これだけです」
グロリアはへの字にした口をギリと引き結んだ。目の前の、父の代からの馴染みの商人の緩んだ顔と頬。確かに笑顔なのに、目の奥は笑っていない。
胸をひどく痛がった父の急死から一カ月。埋葬も終え、グロリアは二十一歳で正式に冒険者ギルドを継いだ。職員も冒険者達も変わらずに付いてきてくれた。
だが、前と変わったことはあった。
仲介する発注元からの報酬が、四割も下げられていた。上級回復薬に使う黄輪草や、気付け薬には欠かせない清癒香。どちらの薬も需要が高く、それらの収集依頼は低中ランクの冒険者にとっては人気である。
付き合いのあった精製所の商人ウォロックは、グロリアがどれだけ交渉しても首を振るだけだった。身を這うような視線だけが、グロリアの肌にべたりと纏わりつく。
「世の中は需要と供給ですよ、グロリアお嬢さん。もし、本当にお困りなら、お嬢さんなら出来る契約もありますが」
ウォロックの粘ついた口調。グロリアは首筋に怖気を覚え、書面にサインをするしかなかった。
数日後、グロリアは冒険者ギルドの依頼ボードを睨みつけた。もう夕方なのに、黄輪草と清癒香の依頼札が何枚も残っている。手間と報酬が割に合わないからだ。
隣で、はあと大きな溜め息が聞こえた。黄輪草の依頼札に手を伸ばそうとして、やめた冒険者が離れていく。
グロリアとて、何もしなかったわけではない。別の依頼ルートを作ろうと、何件も薬草精製所を巡った。だが、別の冒険者ギルドと懇意であったり、自分達もウォロックと付き合いがあるからと新規取引は断られ続けている。
閑散としたギルドを見て、グロリアは鼻がつん、とするのを堪えるしかなかった。
鼻を手で触った時、隣から大きな影が被さった。
「ちょっと邪魔するよ。何だ、取り放題だな」
グロリアを避けるようにして伸びた逞しい手。黄輪草と清癒香の依頼札が、カタカタと音を立てながらボードから外されていく。
全部で十枚ほどあった依頼札は、男の手に溢れるように収まっていた。
グロリアと目が合い、
「何だグロリアか。この時間なら、俺が全部やっても平気だよな」
「カルロ! 金ランクのあなたが、どうして」
「何、リフレッシュだよ。たまにこういう、簡単な依頼をやっとくといい気分転換になるんだ」
カルロの首から下げられた金ランクのギルドカードが、夕陽を反射して眩しい。茶や灰のラインの入った依頼札には、酷く不釣り合いに思えた。
「えと、その。その報酬が、あなたには」
「ん? ……ああ、低いな。こんなもんだっけ? 今隣の隣の都市で魔物の大発生だかで回復薬足りないのに」
「ウォロックは、ダブついてるからって」
「そんなわけないぞ。フリーダから聞いた情報だ」
グロリアの回答に、カルロが目を丸くする。何を言ってるんだ、と顔が物語っていた。
カルロが名前を出したフリーダは、白金ランクの冒険者パーティのリーダーだ。移動を速める魔法を使えるらしく、あちこちを飛び回って魔物討伐をしている。
フリーダが言うのなら確かだ。
でも、だったらどうして、ウォロックは余っていると言ったのだろう。
つい、あの気持ち悪い視線を思い出し、グロリアは己の腕を掻き抱いた。
カルロは顎に手を当ててうーんと唸ってから、グロリア、と名を呼んできた。
「次にウォロックのところに行くのはいつだ」
「……五日後だ。定期的に量と報酬を見直すからって」
「ふむ、ちょうどいいな。俺も連れて行ってくれ」
グロリアは、カルロの申し出に二つ返事で飛びついた。纏わりついた寒気は、気付いたら消えていた。
ゼームダール商会の応接室。入室したグロリアに、迎えたウォロックの笑みが引き攣る。彼女一人ではなく、明らかに鍛えた身体の中背の男もいたからだ。
「やあグロリア。今日なら君にとっていい取引が、はっ? 何で冒険者、グロリア?」
「これから、私の補助をしてくれることになった。だから紹介しておこうと思う。金ランク冒険者のカルロだ」
「初めまして、ウォロックさん。グロリアのとこで世話になってるカルロだ。よろしく」
カルロは茶色の短髪を撫でつけてから、無骨な笑顔を浮かべて一礼した。椅子に座るグロリアの背後に立ち、腕を組む。
それだけの動作で、部屋が暖かくなった気がした。
「ええと、今回の依頼数と報酬額の一覧はこれです。確認して、問題ないなら更新で」
「問題というか、質問いいかな? ウォロックさん」
「……何なりと、カルロさん」
「各種素材の額が低すぎる。市場を見てみたが、回復薬が不足して値が上がってるのに。差額はどうなってるんだ」
ウォロックは何やらしきりに汗を拭いている。いつもよりもサインを急かしたが、カルロの言葉に動きを止めた。ふう、短く息を吐き出した。
「それは精製したものが足りないだけで、素材は山程倉庫にあるのですよ。余ってるくらいで」
「なら、精製すればいい。作れば作るほど儲かる」
「市場に一度に大量に流すと、値崩れを起こしますから。我々商人は、市場価格の安定も守ってまして」
「嘘だな」
ウォロックは笑みを浮かべている。カルロの断言でも、それは変わらなかった。
「言いがかりです」
「あんたのところは、今はゴルセット騎士団に全て卸してるだろ。荷馬車だって増便してる。市場に出して値崩れ? あるわけない」
「実は、騎士団が金額に圧力をかけてきてまして、我々としても困っているのですよ」
「そうか。なら副騎士団長に聞いてみるよ」
「はっ!? お知り合いなんですか? 副団長と?」
その笑みが凍ったのを、グロリアは確かに見た。みるみるウォロックの顔が青くなっていく。
代わりに、カルロがにやりとしていた。
「冒険者を舐めるんじゃねえよ。歩いて、聞いて、どこにだって行く魔犬のようなものだ。ゴルセット騎士団の上と知り合いだって不思議じゃないだろ」
組んだ腕を解き、カルロが書面を手に取る。
びりびりと音を立てて、二枚に破いていた。
「そんで、グロリアは俺達のボスだ。まあ、まだ経験が浅いから、あんたが騙せると思ったのも仕方ない。だがよ、騙し通せると思ったら、大間違いだ」
以前の価格に戻されるどころか、市場価格が上乗せされた契約書。サインを終えたグロリアが商会を出ると、先を歩くカルロがぽつりと呟いた。
「悪かったなグロリア」
「な、どうしてカルロが謝るんだ」
「親父さんの急死で、多分、色々引き継いだりが足らなかったんだろ? こういう稼業は、紙以外にも口伝で知っとかなきゃいけないものは多い。気付いてやれなかった」
姿勢のいい、広い背中。父の丸まった背中と比べると、それはとても大きかった。
「いや、私が色々知らないのはカルロのせいじゃない。あ、でも知らないといえば、騎士団に伝手があるなんてすごいな、流石カルロ」
グロリアが高い声を上げると、カルロはあっ、と言って立ち止まった。通りを吹き抜ける風が、茶の前髪を軽やかに揺らしている。
「あれはハッタリだ。騎士団の上にコネなんて無いよ」
「え? それじゃあ拙いんじゃ」
「いや、ゴルセット騎士団は真っ当な組織だ。需要に合わせた取引をしてるし、タレ込まれたらちゃんと真偽を自分達で確かめる。つまり」
色を失ったグロリアに、手が振られる。鼻を鳴らすカルロは、そこで言葉を止めた。
グロリアに、雲間からの陽射しが注がれる。
「不当に値を下げていることを糾弾される」
「そういうことだ。後ろ暗いやつらは結局は足元を掬われる。ま、ダメなら別の手を考えたよ」
「べ、別の手? カルロ、どんな手が」
「それは秘密だ。全部の手の内は晒せないよ」
しぃっと唇に指をつけたカルロの茶色の瞳が、光の角度で金を帯びる。思わず足を止めたグロリアに、はははと笑うと、また先に進んでいってしまった。
その大きな後ろ姿に、グロリアは足を止めてお辞儀をする。やがて、追いつくべく駆け出した。
◇◇◇◇◇
俺はギルドとの面談の翌日、朝を食ってからすぐに外に出た。勿論、紹介状は忘れてない。
「ここか、セイデン商会」
でかい建物だ。ちらと遠くから見たことはあるが、普通の三階建てどころじゃない。壁に使われている石も、硬さと白さで有名なやつじゃないか。
しかも、隣で新しく建築中とはね。絶賛拡大中ってところか。なるほどね、都度傭兵雇う手間も金額も、馬鹿にならないな。
いいタイミングだ、ありがたい。
しかしグロリアのやつ。初報酬貰ったら礼をすると言ったら、いい店があるから食事に連れてけだとよ。俺の贈りモンのセンスじゃ気に入らないのか。
おっさんと飯なんか食ってないで、いい加減結婚相手見付けりゃいいのに、いい女が勿体ない。
まあいいか、誰かと食うってだけで、飯は旨くなるからな。
さて、行くか。久しぶりの高額報酬案件。しかも長期となれば、年取ってもわくわくするもんだ。




