98:二人の関係が終わった日
後日、錬金術師と山田はエド城に出仕して担当の役人から正式に辞令を交付された。
山田はこの日をもって、錬金術師との奴隷契約が解除された。
研究室に戻った二人が無言で向き合う。錬金術師が解約の術式を付与すると、山田の両手の甲に浮き出ていた契約の魔術紋は、すうっと薄くなって消えていった。
「……これでおしまい。今からあなたは一人でどこにでも行ける。ヤマダはもう私の奴隷では無いし、私もヤマダの主人では無くなった」
そう言って錬金術師は寂しそうに笑う。
「これからは対等……ではありませんね。領邦内の身分としてはあなたのほうが上になります、ご領主様」
「あの、お嬢」
「もうその呼び方はおやめください。錬金術師殿、と」
「ファナ……さん」
錬金術師は山田に名前で呼ばれて、少しとまどった表情になった。
「……そう呼ばれるのはなかなか新鮮です、ご領主様」
「自分のことは今まで通り、山田と呼んでいただけませんか」
「では二人だけの時はそういたします、ヤマダ様……その服、よくお似合いです」
新調した領主用の礼服を身につけた山田を、錬金術師はそう言って褒めた。
地球で言うと、コーカサス地方ジョージア(訳者注:旧称グルジア共和国)の民族衣装、チョハに似た黒い長丈の外套である。あちこちに銀色の飾りが入り、両胸に魔導筒や従魔筒を納めるための縦長の衣嚢が左右7つずつ並ぶ。腰には大小2本の片刃剣を佩刀し、いくつかの隠し武器も見えない場所に装備されている。
「夜盗も装備しだいで騎士に見える」という格言通り、見た目にはとても奴隷出身の男とは思えない。たいへん絵になる様相である。
「ありがとうございます。……こんな高価な服、本当に頂戴してもよろしいのですか」
「私にできるのはこんな事ぐらいです。
これからは、もう私がヤマダ様に治癒呪文を付与することはできなくなります。ご領地では危ない事をなさらずに、お体を大切になさってください。私のほうの事務手続きが終わったらご領地を訪問させていただきますから、その時にはヤマダ様のご領主ぶりを拝見させてください」
「あの……ファナ、さん」
山田のほうに顔を向けた錬金術師の目を見つめると、彼はごくり、と唾を飲み込んでから意を決したように言った。
「自分と一緒に、領地に来てはいただけませんか」
そう言われた錬金術師は体をびくり、と震わせ、驚いて目を丸くした。
山田は顔を真っ赤にしながら、おたおたと落ち着かない様子で言葉を続けた。
「い、いやその、へ、変な意味では無くてですね、領地経営には魔法の専門家というものが必要ですのでお嬢、じゃないファナさんにその、ビジネスパートナーとしてですね、魔術顧問に就任していただければすごく嬉しいなー、と」
その言葉を聞いた錬金術師は、とても苦しそうな顔になった。
そして山田の目の前で、そのまま顔を手で覆って泣き出してしまった。
山田はその様子を見てどう反応したら良いのか判らず、とまどうばかりである。
しかし錬金術師は状態異常回復の術式を自分に付与し、すぐに平常に戻った。
「申し訳ありませんヤマダ様、急なお申し入れだったので驚いてしまって……今すぐにはお返事できません。少し考えさせてください」
「あ、あの、お嬢」
「魔術研究所のほうに急ぎの仕事が残っているのを忘れておりました。ちょっと行って参ります。今晩は部屋に戻らないかもしれませんけれど、ご心配なさらないでください」
「お嬢!」
錬金術師は山田と目を合わせぬまま、いつものように壁抜けをすることもなく遠回りして、正規の玄関から無言で外に出ていった。
山田は玄関まで追いかけたが、かける言葉が思いつかずそのまま見送った。
そして、がっくりと肩を落としながら居間へと戻る。そこでは召喚士が、まだ夕方にもなっていないのにポン酒で一杯やっていた。酒の肴は飛龍頭の煮物である。
ちなみにポン酒とはオコメを原料にした醸造酒のことで、召喚士が飲んでいるのは5割精白の酒米を低温発酵させて果実香を引き出した逸品である。余談になるがポン酒を酢酸発酵させた調味料がポン酢である。
「泣かせたのか?」
召喚士は床に座って、箱膳の上の煮物をつつきながら山田に語りかける。
「いやその、何で……また俺、何かやっちゃいました?」
「一部始終を見ていたわけではおらんから、わしにはよく判らんのう。
うむ、おぬしの煮物は絶品じゃの。飛龍の頭は目玉の後ろのトロっとした部分が最高じゃ」
「食べてないで教えてください。何でお嬢は泣いたんですか?」
「おぬし、錬金術師殿に何と言ったんじゃ?」
「その……自分と一緒に来て欲しいと」
召喚士はポン酒の入った酒杯をぐいっとあおり、んふぅー、とかわいい息をついてから言葉を続けた。
「おぬしは馬鹿か?」
「いや馬鹿って」
「おぬしと行きたければ、誘われる前に『私も一緒に行くから!』とか言って自発的に出発の準備を始めておるわ。錬金術師殿には行きたくないか、行きたくても行けない理由があるんじゃ。その事に気がつかずに、無邪気に一緒に来てくれじゃと? これじゃから万年童貞は」
「え、行きたく、ない……」
「おぬしについていくという事が、どういう意味を持つか判っておるのか?」
「え、いやその……」
「その場合は王国の国籍を捨てて、おぬしの領民として移籍する事になる。
当然ながら国からの俸禄は打ち切りとなり、公務員年金もパァじゃ。
王立大学の最新研究設備が使えなくなって、王立図書館の文献検索資格も消えて無くなる」
そう言われて山田は愕然とした。
山田の勧誘は、地球で言うならば、
「世界でも指折りの大都会でバリバリ働いている年俸4億円の職業婦人に対して、ゴビ砂漠の中にある貧しい集落に来て一緒に暮らしてほしいと頼んだ」
ようなものであった。常識的に考えて、その場で「ごめん無理」と間髪を入れずに断わられる案件である。そこで返答を保留した錬金術師のほうがむしろ異常である。
言われてそれに思い当たった山田は、あああああ、と声を上げつつ膝から崩れ落ち、床で四つん這いになった。その背中を椅子代わりにして召喚士が腰掛け、使い魔の操作板をいじる。
「……なぜお座りに」
「貴族になったと舞い上がって馬鹿を言い始めた愚か者に、自分が馬鹿だという事を自覚させておるのじゃ。わしの人間椅子となれる事を光栄と思え。普通の者にこのような好待遇を与えた事は無い」
「お尻の肉が薄いので、骨が当たって痛いです」
「そこが良かろう。かつてはこの上なく偉いご身分となりながら、思い上がらぬようにと自分を虐げる事を自ら欲してわしにお命じになり、それを常の事となさっておられたお方もいたものじゃ」
「誰ですかそれ」
その時に窓の外で使い魔の鳴き声がして、召喚士は山田の背中から降りると使い魔を招き入れた。
「うむ、船の用意ができたようじゃ。山田よ、このまま部屋で落ち込んでいても何もはじまらぬじゃろう。おぬしの新しい船を見に行くぞ」
「は? おぬしの……って、俺の? は? 船?」
召喚士は自分が食べたあとの膳を片付けるように山田に指示しながら、言葉を続けた。
「大陸横断用の陸上船じゃ。寝ながらでも旅ができる、領主のための高級移動宿泊施設じゃ。領地まで乗っていくためにわしが注文しておいた」
えへん、とドヤ顔をして召喚士はさらに言葉を続けた。
「おぬしが使う『山田の動く城』が、たった今納入されたのじゃ」




