99:錬金術師の脳内会議
今回は、頭髪が不自由な方に対して攻撃的な描写があります。気になる方はパスして次話をお読み下さい。
王立研究所の研究室。錬金術師が実験机に向って暗い顔をしていた。
山田には研究所で急ぎの仕事がある、と告げてきたが、彼女にそんなものは無かった。自宅で彼と顔を合わせているのが辛くて、研究所に逃げてきただけである。
今は思考が混乱していて考えがまとまらず、ぼーっとしたまま手にした湯呑みと筆記用具をこね合わせて正体不明の錬成塊を作っていた。
錬金術師は王都での生活にはそれほど執着してはいなかった。解雇された場合には山田と一緒に放浪生活をしてもいい、と考えていたぐらいなので、彼と共に僻地に行くとしてもそれほど苦には思わなかった。
しかし問題は、山田が領主になってしまった事である。今までのように、錬金術師と山田、二人だけで生活していく事はもう不可能になっていた。
領地経営には膨大な魔力が必要となる。一般的には領主が魔力不足の場合、魔力量が数億以上の上級戦闘職を伴侶にして領地を防衛させるのが定石である。
可能であればそういう相手を何人も娶って周囲を固め、準後宮、あるいは準逆後宮と呼ばれる婚姻形態を作りあげるのがこの世界の貴族の常識であった。
そして魔力量がたかだか500万程度の錬金術師では、領主の正妻としてはどう考えても力不足だった。
とはいえ彼女は支援魔術を詠み、織りなす者としては大陸内でも第一級の実力者である。後衛の援護職としてならば、どこに行っても通用する人材と言えた。第一夫人としては不適格でも第二夫人、あるいは愛人としてであれば、どこの貴族でも喜んで迎え入れてくれるだろう。
だが錬金術師は他の女性達と一人の男性を共有する事に、あまり気乗りがしなかった。女同士のドロドロとした確執は言うに及ばず、自分の夫となった者に自分以外の女性と仲良くされるのは嫌だった。
おそらく山田は彼女のことを粗略に扱う事は無いだろう。あるいは単なる家臣として、男女の関係にならぬまま共に生活していくという選択肢もある。
だが、自分以外の女性が山田と家庭を築いて、子供を囲んで笑っている姿を近くで見ていたら錬金術師は確実に心を病む。もしかしたら山田の妻をこの世界から消去したくなってしまうかもしれない。
そうならぬためにはここで山田と別れ、かつての主人として、そしてこれからは良き友人として、距離を置いて付き合っていくのが最良の選択である。
彼女の脳内に住む、学者としての錬金術士は冷静に考えてそういう結論を出していた。
だが、その横では女性としての錬金術師が「ヤマダと別れたくない」と言って泣きじゃくっていた。
そしてその様子を見た打算家としての錬金術師が「田舎に行ったら買いたいものも買えなくなるし、俸禄ももらえなくなるし、男を追いかけて娯楽も無い僻地に行きたいなんて、あんた馬鹿じゃないの?」と冷ややかな態度で言い捨てる。
「でもさー、ヤマダってわりと真面目だしー、愛人と本妻さんで格差をつけるような事もしなさそうだしー、別邸でも用意してもらって他の奥さん達と顔を合わせないで済むようにしてもらえば、領主様の愛人になるってのも意外といいんじゃない?」と、働かなくて済むのって最高だよねと思っている錬金術師が意見を出す。
そして5人目の「直感と勢いだけで突っ走る錬金術師」は、今回は腕組みして目をつぶったまま何も語ろうとしない。
錬金術師の脳内会議は多数決によって結論が出る事もなく、堂々巡りを続けていた。
「あれ、ファナちゃんじゃないの~。どうしたのよ~暗い顔しちゃって~~」
「……あ、局長」
錬金術師の上司、魔法局の局長が研究室を覗き込んで声をかけてきた。
地球人であれば50代前半に見える外見をした男性である。筋肉質の渋いイケメン中年だが、頭頂部の毛髪が少し不自由な状態になっている。魔法世界と言えども老化現象を完全に制御する事はできないのである。
女性の部下を名前呼びするので皆からキモがられているが、錬金術師の先輩であるウスゲフィリア女史だけは「寂しげな様子の頭髪がとっても愛おしい」と言って彼の5人目の妻になることをひそかに夢見ている。
「そういえばファナちゃんさ~、君が飼ってた奴隷が叙爵されて知行地拝領になったんだって~~? すごいな~~、破格の出世だよねぇ~~」
「……はあ」
錬金術師は今、上司と話したい気分では無かった。魔力量が高いというだけで自動的に責任者の地位に就き、自分自身では論文を書こうともせずに第一著者という名目で部下の業績を吸い上げ続けているこの男のことが、腐った死体よりも嫌いだった。
彼の脂ぎった頭皮にしょぼしょぼと生えている頭髪を見ると思わずむしり取ってやりたい衝動にかられたが、それは社会人としてさすがに自制した。
「それでさ~~、ファナちゃんもその奴隷と一緒に王都を出ていくって話を聞いたんだけど~~、それって本当なの~~?」
「……ただの噂ですね。そんな話をどこからお聞きになったんです?」
「あ~~、違うの~~、それならいいのよ~、安心したよ~~」
局長はねっとりとした声で笑いながら言うと、ほっとした表情になった。
「ファナちゃんはさ~、やっぱり研究局にいてバリバリ研究しているほうが素敵だと思うんだ~~。
それに貴族の男ってさ~~、みんな女のことを便利な道具ぐらいしか思ってないでしょ~~? ファナちゃんが何か凄い事をしてもさ~~、自分の手柄みたいな顔して社会的評価を横取りすると思うんだよね~~」
「……そうですか」
「だからさ~~、ファナちゃんはこれからも研究局でど~~んどん論文を書いて発表していったほうが君のためになるはずなんだよね~~。そうすればさ~~、僕が退局する時にはファナちゃんを次の局長に推薦してあげるよ~~」
それまでずっとお前の養分になるのか、と思ったが錬金術師は黙っていた。
とにかくこのニヤニヤ笑いの男との会話を少しでも早く終わらせたかった。
「貴族なんてもんはさ~~、女を一人の人間として見てないからさ~~。
自分の周りにいる女全員にそれっぽい事を言ってその気にさせておいてさ~~、約束なんて守る気はこれっぽっちも無いからね~~。
その成り上がり男についていったらさ~、ファナちゃんは便利な道具扱いで利用されるだけ利用されて~、必要がなくなったらポイ捨てされるよ~。
だから前の男のことなんて早く忘れて、このまま研究局にいたほうが絶対いいよ~~」
「……局長が……彼の何を判っていると言うんですか」
「えぇ~、やだな~~、そんな怖い顔しないでよ~~。だって貴族は領地が守れさえすれば、嫁なんて誰でもいいんだろうしさ~~」
局長がそう言った時、錬金術師の脳内にいる「直感と勢いだけで突っ走る錬金術師」が、くわっ、と目を見開いて立ち上がった。
現実世界の錬金術師も、はっとした顔になった。
「誰でも……いい」
「そうだよ~~。君である必要は無くって、誰でもいいんだよ~~」
錬金術師は、何かに思い当たった顔になって立ち上がった。
「あれ?……あの……ファナ、ちゃん?」
局長は錬金術師の肩に手を置いて、彼女に顔を近づけた。
錬金術師はその手を振り払うと、局長の頬を力いっぱい引っぱたいた。
重心を崩して床に倒れ、手で頬を押さえながら驚いた顔をして錬金術師を見つめる局長に向って彼女は言った。
「触るな。もうお前の顔は、二度と見たくない」
そう言って、彼女は局長の頭のほうに手を伸ばすと(以下一部原文欠落)




