94:姫君の奇病
テングス病。
100年ほど前に活躍した博物学者、ミナカタ・テングスによって学会報告された王国難病指定の慢性疾患である。
タフリナ菌という特殊なカビが体内に寄生繁殖し、その結果宿主の再生魔力が混乱をおこして体組織が異常増殖する。病変部から小さな手足が無数に生えてきてゆっくりと動き、その外観はとてつもなくキモい。
顔面にでも発症しようものなら一目見て悲鳴をあげる様相となり、腕の良い絵師が絵姿を描いたならば、その画像を見ただけで夢に出てきてうなされること必至の奇病である。
「病変部が現れるたびに切り取って燃やしているのだが、体の奥深くに入り込んだ病原菌を滅ぼすことができぬ。既存の魔法や抗菌薬には耐性を有しているらしく、使ってみても効果が無い」
そう言って男は顔を手で覆う。
「姫様が不治の病……それはもしや、世界の危機」
錬金術師の言葉に、男は肯定の仕草で応える。
しかし山田は、どうしてそこで世界の危機に話が飛躍するのか判らず困惑する。その様子を見て男は山田に話しかける。
「仮にお前が勇者だったとしよう。さてある日、お前の前にとてつもなく好みの美女が現れた。
『わたくしは魔王の娘にございます。乱暴な人間達にいわれのない迫害をうけて父は滅ぼされようとしております。
勇者様、どうかわが父をお助けください。もし聞き届けていただけるならば私のすべてをあなたに捧げます』
などと涙ながらに語った。そこでお前ならば何と答える」
「見え見えのハニートラップですね」
「何? はに……とら?」
「いえ地球の地域方言でございます。それはまあ、人生経験に乏しい勇者様であればお心を乱される事もあろうかと」
男は山田が言った言葉に肯定の仕草を返す。
「その通りだ。そこで勇者が人類を裏切って闇の者に組せぬよう、将軍家には王家閨房術という秘技が伝わっている」
「え、何ですかそれ」
「秘術ゆえ詳しい事は語れぬが、勇者を骨抜きにして人類の陣営に留まる気にさせる事を目的に、数百年の時をかけて編み出されてきた数々の奥義の集大成だ。特別な訓練をうけた王家の者か、あるいは勇者でなければ、使い手の姿を一目見ただけで感極まって果ててしまう恐るべき秘術だ」
「何と……すると姫君は、その伝承者であらせられるのですか」
「そうだ。勇者の拘束具となるべく育てられてきた姫が輿入れできぬとあらば、王国はもとより人類社会すべてに混乱が生まれる。あるいは人類存亡の危機となり、さらにはこの世界すべての破滅にもつながりかねん」
おお、と山田は思わず声を発した。
そして同時に山田は考えた。
王家に生まれてしまったため、世界を守るためとはいえ自分の意思とは無関係に運命が定められてしまった一人の少女のことを。
どこの世界でも王族とはそのようなものであるのかもしれないが、その境遇に対して山田は深く思わざるを得なかった。勇者がどのような人物であるかまったく知らなかったが、少女を不幸にするような不実な男では無い事を祈るばかりであった。
そのような山田の思惑とは無関係に、男は言葉を続けた。
「ここまで説明すれば、お前達を呼んだ理由は想像がつくであろう」
錬金術師は、は、と返答して臣下の礼をとる。山田もあわててその真似をする。
「サクラ姫様の、ご病気を治すこと……でございましょうか」
錬金術師の返答を男は満足げに肯定する。
「そうだ。女騎士殿の業病を治したというお前達の療術に」
そう言いながら男は扇をぱちんと鳴らす。
「今、全世界の命運がゆだねられているのだ」




