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8:青春灰色おじさんは恋愛関係の夢を見ない

 錬金術師は部屋の防音結界が作動していることを確認してから、声を小さくして山田にささやいた。


「今の名前は、あなたの真名まことなですか?」

「ま、まことな?」

「本当の名前なのですか?」

「え、は、はい、本名ですが」

「ホンミョウ? 真名とは違うのですか?」

「日本の戸籍に登録されている名前ですが」

「異界での登録名ですか……」

 錬金術師はほっとした表情になった。


「社会生活用の登録名ならば良いのです。真名は軽々しく他人に教えて良いものではありません。『死神の帳面』や『むりやり友人帳』に真名を書きこまれたりしたら大変なことになりますよ、ヤマダ様」

「よ、よく判りませんが気をつけます」


 なお、山田は自分の真名について、自分でもよく判っていなかったようである。


 現在の研究においては山田の真名は漢字表記の「山田太一郎」であることがほぼ確定している。

のちのいわゆる最終決戦において、魔王が固有権能「死神の魔眼」によって山田に真名看破を試みて失敗したのは、この世界の魔法術式が漢字表記に対応しておらず真名が「文字化け」して読みとれなかったためだと推測されている。

 そして、周知のように山田はその後、「%ゑ簸ゃπ(ヤマダ)」という名前を社会名として登録し、この世界で暮らしていくことになる。


 錬金術師は山田を立ち上がらせると、彼が座っていた魔獣用寝台と横にあった厠箱を収納し、その代わりに床の上に柔らかい極厚の敷物(フィラグ)と、背もたれ枕(ヌチガフー)を出現させた。山田ももう慣れてあまり驚かなくなってきている。


「ヤマダ様、そんな緊張なさらずに体を伸ばしてください。もっと大きな枕を出しましょうか?」

「い、いえ、大丈夫です。えーその、女の方と一緒にいる事に慣れていなくて」

「あら、女性扱いされたのは久しぶりです」

 錬金術師は手帳に何か書きながら、くすくすと笑った。


(え、彼氏いないんですか?)

 山田はそういう言葉が口に出かかったが、慌てて飲み込んだ。


(そういう質問をすると、「そうなんですよー。誰かいい人いたら紹介してくださいねー」〈意訳:テメーは恋愛対象に含まれてねーんだよキモいから話しかけんなおっさん、デリカシーの無いセクハラ発言かますと訴えるぞ〉って反応が返ってくるんだよ、うわーあぶねー)


 ちなみに錬金術師は、この世界の基準ではそれほど美人ではない。


 この世界は美醜の基準が地球と反対だったため、というわけではない。

地球の基準で1000年に一度の美少女、ミスユニバース級の美女、超一流モデル女性でもこの世界ではせいぜい偏差値48程度なのである。


 この世界で外見偏差値60以上の人々は、地球であれば創作物にしか出てこないような容貌をしている。そこに加えて「魅了」「悩殺」「扇情」「誘惑」「催淫」「妖婦」「傾城けいせい」「みっくみく」などの特殊権能を並列励起で常時発動させている場合すらある。

 すなわち姿を見ただけで失禁して膝の力が抜け、にっこり微笑みを浮かべられれば尊さで体が溶け、声をかけられたら幸福感で頭が沸騰し、対面した時に正気を保とうとするなら刃物で自分の太腿を刺さねばならない。それがこの世界の基準で言うところの美形である。


 しかしながら山田は、のちに彼の周囲に美形の女性が出没しても、少なくとも行動上は興味を示さなかったようである。生涯にわたって第二夫人、あるいはそれに準ずる女性を側に置かなかったことは転生者としてはむしろ異常とも言えるだろう。

 半分引きこもりに近い研究生活を続け、異性とまったく交際歴の無かった錬金術師とは変わり者同士、何か相通ずるものがあったのかもしれない。


「……えーと、話の続きなのですが、ヤマダ様はいつから無しょ……今のご職業に就業しておられるのですか?」

「就業って……いやまあ、上司が仕事でしでかした不祥事の責任を押し付けられまして、一方的に首を切られてしまったのですが」

「斬首されて『生き生首の刑』に?」

「何ですかそれ。いえ、物理的に首を切られたのではなく、日本の言い回しで『仕事を辞めさせられた』という意味です」

「それで今のご職業に転職を」

「望んで転職……というか失職ですけど、したわけではないです。ですからショックが大きくて、茫然自失ぼうぜんじしつで町を歩いていたら突っ込んできたトラックにはね飛ばされまして、気がついたらこの世界に」

 山田がそう言うと、錬金術師は驚いた表情になった。

 

「まあ、チキュウにもトラックが?」

「え?……この世界にもあるのですか?」

「ええ、荷物を運ばせたり、トラック相撲ずもうをさせたり」

「と、とらっくずもう?」

「人が乗ったトラック同士を、正面からぶつけあって戦う競技です」

「何それ見たい」

「私の学生時代の恩師が退官して田舎に帰ってからトラック相撲の競技操者になりまして、野生のトラックを馴致テイムして試合に出ています。何といいますか、トラックって、言葉では表現しがたい姿をしていて面白いですね」

「……姿」

「赤くて黒くて毛が生えた」

「たぶんそれ、地球のトラックとは違うものだと思います」

「なるほど、同名異種、と……えーと、チキュウのトラックとはどんな魔獣ですか?」


 錬金術師は山田の話を記録しながら会話を続ける。

山田は話の流れから「魔獣」とは地球でいう野生生物に相当する単語だろうと解釈したが、まだ実体として理解できておらず混乱していた。


「あの、話が変わりますが……自分は元の世界には戻れないのですか?」

「……理論的には不可能ではないのですが、実際に戻ったという話は……お帰りになりたいのですか?」

「いや、まあ友人も身寄りもいませんし、こちらの世界のほうが明らかに体の調子が良いので……ただ、この世界でどのような扱いを受けるのかが心配で」

 山田は不安そうな顔をする。


「異世界の方は客人として丁重に扱うのが習わしです。王家の家臣は、新たに転生なさってこられた方を見つけた場合は保護し、王国の一員になっていただくようお世話する事を命じられています。……この世に災いをもたらす者でなければ、ですけれど」

錬金術師は一瞬、表情が固くなったが、すぐに優しげな顔に戻った。


 のちに山田は述べている。

「日本の著名な学者が述べているように、異界とは幸をもたらす神の国であると共に、わざわいの来たる源でもあった。そして異界から来る者をヒトが選ぶ事はできなかった。異世界人はこの世界を救う幸神さちがみとなる事もあれば、破滅をもたらすまがつ神として訪れる事もあったのだ」

(「闇からの客人まろうど」4の段65)


 山田は錬金術師に尋ねた。

「王国……ここは王様が治めておられる国なのですか?」

「あ、申し訳ありません。そこからご説明しないと判らなかったですね。

えーと、王様……と呼ばれている方がこの国を治めています。ですが法律的に言うと、この国の王様は、王様ではなくて……」

「は?」

「ちょっと制度的に複雑なので、あとであらためてご説明させていただきます。

先に、ヤマダ様の事を、もう少しお聞きさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「ええ、それはかまいませんが」

 錬金術師はまだ山田がどう反応してくるか警戒している様子だったが、彼が怒る様子もなく承諾したのを聞いて、ほっとした様子で話を進めた。


「ヤマダ様はこの世界で、これから何をなさりたいのでしょうか?」

「何を……と言いますと」

「あらゆる人々に凄いですと言わせたいとか、世界人類を新たな段階にお導きになるとか、全宇宙の婦女子を後宮こうきゅう(訳者注:ハーレムのこと)にお収めになさりたいとか、新世界の神になられるご計画だとか」

「いやいやいやいや、そういう大それたことはこれっぽっちも考えてません。

自分には特別な能力も才能もお金もありませんし」

「……オカネ?」


 錬金術師は少し考えてから山田に言った。


「オカネとは何ですか?」


 その時、山田はこの世界に『お金』というものが存在していない事を初めて知ったと伝えられている。

*この物語には最後までお金というものは登場しません。

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