7:望まぬ無職の失業者
「はい、終わりました」
そう言われて、山田は固く閉じていた目をあけた。
痛くない。体に傷もついていない。
「あ、あの、今何を」
「性欲解消の術式を付与しました。最低でも3日は効力が続くはずです。状態異常回復も並列起動で継続発動してあります。あ、無詠唱でしたから、何をしているか判りにくかったですね」
そう言って錬金術師はにっこりと微笑んだ。
山田の動悸や発汗は一瞬のうちにどこかに消えていた。まだ理解が追いついていなかったが、今、彼の頭脳はすさまじい勢いで活動しはじめていた。
山田の脳内は多くの部分が異性に対する高画質妄想の再生に使用されていたが、その分の情報処理能力がすべて論理的思考へと向けられていた。後の世で言われる「山田の賢者モード」である。
「なんと言えば良いのだろう……まるで魔法でもかけられたような気分だ」
「ような、ではなく魔法をかけました」
「……あなたは魔法が使えるのですか?」
〈そう問うた時、ファナの奴は「どういう顔をしたら良いのか判らない」という感じだったのう。今にして思えば当然の反応なんじゃが、その時のわしはこの世界の常識など知るはずもなかった〉
と晩年に山田はそう語っている。
この世界ではあらゆる生物が「魔力」と呼ばれる力を体内に宿しており、それを使って生命活動を補助している。またヒト族の場合、能力に個人差はあるが体内の魔力を使って「魔法」と呼ばれるさまざまな現象を具現化している。
そしてこの世界では、誰もが息をするように自然に魔法を使っているので、「あなたは魔法が使えますか」という質問は、地球にやってきた異星人が「あなたは酸素を呼吸しているのですか?」と聞いたようなものだった。
「質問を質問で返すのは失礼なのですが……
あなたは、どこの世界からいらしたのですか?」
錬金術師が山田に問う。
「どこの、世界??」
「『理想郷』、『原初の街』、『書読時空』、『笛吹き男の町』、『深夜世界』、『月光境』あるいは『夜想曲の国』……この世界以外にも、さまざまな世界……数えきれないほどの『異世界』が存在しています」
「……あの、ここって地球ですよね?」
「まあ、チキュウからいらした方なのですか?」
錬金術師は手帳に書く手を止め、山田の顔を見た。
「え、その、地球というか、日本ですが」
そう言った時、錬金術師の表情が変わった。目が真剣である。
「……ニホン?……あの、まさか、聖地アキハバラがあるニホン?」
「あ、秋葉原?」
「錬金術の粋を集めた、物理法則で動くさまざまな道具が売られている……」
「は、ま、まあ確かにそういう町ではあります。最近は観光客相手の店ばかりになって、旧来の顧客に敬遠されていたようですが」
その答えを聞いた錬金術師の左手から、手帳がするりと落ちた。
彼女は空いた手でいきなり山田の腕を掴んだ。何事かと焦る山田の顔を真剣に見つめ、錬金術師の手に力が入る。
「で、ではハルミは? ハルミはご存じですか?」
「は、晴海??」
「年に2回、全国から集められた魔導書が売られる町です」
「えーその、ハルミが晴海かどうか判りませんが、同人誌即売会は有明の東京ビッグサイトに移転しました」
それを聞いた錬金術師は、無言になって目から涙をボロボロと流しはじめた。山田はもうどうしたら良いのか判らない。
「ああ……あの町は、子供の頃から読んでいた本に出てくるあの町は、本当にあったのですね! 生きているうちに、実際にハルミに住んでいた方にお会いできるなんて!」
「いや晴海には住んでいませんが」
「『びっぐさいと』に住んでおられたのですね! き、記録を残さなければ」
錬金術師は落とした手帳をあわてて拾いあげようとしたが、今度は筆記魔道具を手から落としてしまった。
「あ、あの、落ち着いてください。自分にはまだ状況が良く判らないのですが。
さしつかえなければお互いに情報交換しませんか?」
そう言われた錬金術師は慌てふためいた自分が恥ずかしくなったのか、しゃがんで筆記魔道具を拾い上げながら山田のほうを見て、目が合うと少し顔を赤らめた。
(あ、可愛い)
山田は性欲が封印されているが、萌えは封印されていない。
「ああ、おっしゃる通りですね……申し遅れましたが、暫定的にあなたのお世話をさせていただいております、錬金術師のファナと申します」
「れ、れんきんじゅつし?」
「専攻は術式構築と錬成魔法ですが、補助系魔法は一通り使えます」
「ほ、ほじょけい」
「オトワの森で、あなたが粘魔に食べられそうになっていたので緊急保護させていただきました。ここは私の部屋です」
「すらいむ、わたしのへや」
そこは「あなたの部屋」と言うべきであるが、いきなり多くの情報を与えられた山田は整理が追いついていない。
「今、私たちが居る……惑星という言葉はお判りですか?」
「わ、わくせい? 恒星を回っている?」
「ああ! お判りになるのですね! さすが初代勇者様と同じ世界からいらっしゃった方だけの事はあります! 普通ならば冗談扱いされる話なのに」
「しょ、しょだいゆうしゃ?」
「ここはナロウ異世界群に属する世界の一つ。我々は『この世界』と呼んでいますが、その片隅にあるハイファンタージ銀河のテンプレ渦状腕、トアル恒星系の第4惑星。それが私たちが今いる場所、『地珠』です」
「ち、ちたま」
山田は理解が追いつかず、呆然として相手の言葉を繰り返すのみである。
(これは夢かゲームかバーチャルか。状況がさっぱりわからないが、体感的には完全に現実。だとすれば、とりあえず事実だと思って受け入れておこう。そうだそうしよう深く考えてはいけない)
山田は変なところで柔軟性があった。
余談であるが、地球と地珠は平行世界の同一惑星だという学説がある。しかしこれに関しては現在のところ否定的な意見が多い。地球は太陽系第3惑星だが地珠はこの恒星系の第4惑星であり、王月と妃月と呼ばれる二つの衛星があることなど、地球との差異が大きいためである。
「チキュウからの転生者の方なのですね。『この世界』へのご来訪を歓迎します」
「て、てんせいしゃ?」
「違う世界から、この世界へと生まれ変わってこられた方のことです。
転生者の方は、この世界においでになる時に創造主様がたにお呼ばれになり、状況をご説明いただける、とうかがっておりますが」
「お、お呼ばれになってないです。気がついたらいきなり森の中にいて…と言うか、創造主様『がた』というと、その、神様……と言うのかな、お一人ではないのですか?」
「複数の世界をお創りになっておられる御方もいらっしゃいますので正確な柱数は判りませんが、少なく見ても現時点だけで10万柱以上の創造主様がおられるのではないかと」
「うわ……ということは、数十万以上の『違う世界』が存在しているという事ですか?」
「ああ、やはりご理解が早い。あなたはそのどこかの世界にあるチキュウから、『この世界』の創造主様のお導きにより、この地へと招かれたのです」
「わーそうなんですかーすごーい」
山田はそれ以上考えるのをやめた。あまりにも馬鹿げた話だが、とりあえず頭を空っぽにして受け入れなければ話が進まない。そう割り切ったのである。
「突然のことで、とまどっておられるでしょうね。少しずつでかまいませんから『この世界』について知っていただければ嬉しいです。あなたもチキュウの事を私に教えていただけませんか?」
「は、はあ、よろしくお願いします」
山田は錬金術師にお辞儀をした。お辞儀とは地球のごく一部の地域で使われている挨拶仕草である。この世界では意味不明の行動になるが気持ちは伝わったようである。
「服は新しいものがご用意できるまで、少しの間それでご辛抱ください。
左手の黄色い腕輪は入国時の検疫証明です。正式な滞在許可証が発行されるまでは、それが身分証明の代わりになります。装着していないと保健所に連れていかれてしまいますから、絶対にはずさないでください」
「ほ、保健所」
「個人情報を断わりもなく鑑定するのは礼儀を欠いているのですが、回復魔法をかけてもなぜか意識が戻りませんでしたので、やむをえず入国検疫官に鑑定証明を作成してもらい、私が身元保証人になって入国許可を出してもらいました」
「身元保証人、入国許可」
「非常時でしたので、失礼ながらあなたの個人情報を勝手に見てしまいました。えーと……『無職さん』とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「ぐふっ!」
山田は地味に精神的ダメージをうけた。
「ど、どうしてそれが判ったのですか。いや確かに今は無職なんですが、そこはほら、『すっぴん氏』とか『たまねぎ兵士さん』とか、そういう無職の人に配慮した呼び方を……というか名前で呼んでください。山田太一郎です、ファナさん」
そう言ったとたん、錬金術師は険しい顔つきになった。
(あれ、俺、なんかやっちゃいました?)
そう思ったが時すでに遅しである。時を戻す魔法は山田には使えない。
この世界では相手を名前で呼ぶのは家族か、親しい友人に限られる。
勇者様、戦士様、冒険者さん、受付嬢さん、房中術師さん、活動春画師さん、メイドゴーレム作成師さん、性癖調教師さん、泥棒さん、というように初対面の相手には職業名で呼びかけるのが常識だったのである。
すなわち山田が錬金術師を「ファナさん」と呼んだのは、日本で言えば病院に入院した時に検温に来た女性医療職に対して「看護師さん」ではなく「花ちゃん」と呼びかけたようなものだった。
詰所に戻った看護師さんに「何あの患者、私のことを名前呼びしてきてキモいんだけど」とヒソヒソ噂されること必至の行為である。
だが、この時に錬金術師が問題にしたのは、そういう事ではなかった。




