9:この素晴らしい経済に祝福を
錬金術師に「オカネとは何ですか?」と言われた山田は、一瞬何を言われたか理解できずに混乱した。
「え、あの、お金ってほら、お金のことで……ご存じありません?」
「すみません、不勉強で」
「いや、そんなしょんぼりした顔をしないでください。えーと、金貨とか銀貨とか……貨幣は使っていないですか」
「……カヘイ?」
「あー、それも無い? うーん……この世界には物を売ったり買ったりするお店は無いのですか?」
「商店はいろいろあります。武器屋さん、道具屋さん、ぱふぽふ屋さん……」
「最後のがよく判りませんが、そういうお店で商品を手に入れる時は代わりに何を渡すのですか?」
「代償ですか? 一般的には魔力を対価にして購入します」
「まりょく?」
「体の中にある、魔法を使うための力です。あの、もしかしてヤマダ様の世界には無いのですか?」
錬金術師は困惑した表情でそう言いながら右手を開くと、その手の中にゆらめきながら虹色に光る小さな球体を出現させた。
「そ、それが、魔力?」
「正確には、私の魔力で空中の魔素を励起して発光させているのですが」
「うむむむ……そういう謎の力があるとして、それでどうやって物を買うのですか?」
「この世界には錬金術で作られた『魔力吸蔵石』、一般には『魔石』と呼んでいる人工石があります。その石に自分の魔力を吸収させたものを対価として渡します。昔は魔物から採取される天然魔石を『お石』と呼んで物々交換に使っていたようですが」
「あーなるほど、『お石』はあるけど『お金』は無いと」
「最近の商店の店頭には魔力数値を測定する魔道具があって、そこに手をかざすと魔力が自動的に引き落とされる仕組みに移行しています」
「まさかのキャッシュレス決済」
というよりも、地球の言葉で言うところのマネーレス経済である。
「ヤマダ様の世界では、えーと、手帳には書いたかな……カヘイという物を使っておられるのですか?」
「はあ、金属でできた小さな円盤がありまして、それを商品の対価として渡します」
「金や銀でできているのですか?」
「銅やニッケルだったりもしますが」
「それを物々交換に使っていると」
「物々交換とは多少違いますが、まあそんな感じです」
「交換用なら、もっと希少な金属のほうが良いのでは? ミスリルやオリハルコン……は魔法金属なのでチキュウには無いのかな……たとえばパラジウムとか」
「パラ……って、ちょ、何でそんな名前がさらっと出てくるんですか?」
山田は困惑している。
「パラジウムは凝縮系の核……と言っても判らないかな、えーとですね、私が難しい錬金術の実験をする時によく使っている金属です。チキュウではあまり使われていないのですか?」
「はあ、虫歯の穴に詰める合金の原料になっていますが、普通の人は名前すら知らないと思います。
グラム単価が金やプラチナより高いので地金投資の対象になっていますが、パラジウム地金を持ち歩いて物々交換に使うような人は……あ、つまり金貨という物は、そういう感じに見えるのですか?」
山田は文化的差異に衝撃を受けた。
「金は希少ですけれど、装飾品の錬成ぐらいにしか使えないでしょう?
魔石のほうがあらゆる点で役に立つのに、金属本位制にする理由が無いです。それに、金属塊を持ち歩いたら重くて邪魔なのでは?」
「あ、それについては紙幣というものがありまして」
「シヘイ?」
「特殊な方法で印刷された偽造の難しい紙を、金属貨幣の代わりに……印刷って判ります?」
「判ります。情報転送の術式が開発される以前は、いろいろな文書が印刷されていました」
「あらま、印刷ももう時代遅れですか?」
地球で言うペーパーレス社会である。
「シヘイは誰が印刷しているのですか?」
「造幣局……は貨幣の製造か。えーと、国立印刷局というところで作っています」
「国立……ということは、王様の指示で作っているのですね。そのシヘイを王様が国民に配ってくださると」
「いえ、王様は配ってくれません。むしろ国民から取り上げていくほうで」
山田がそう言うと、錬金術師は首をかしげた。
「……あの、ヤマダ様、お話に少し判らない部分があるのですが」
「と言いますと?」
「シヘイを作っているのは王様ですよね?」
「はあ、実際に作っているのは日本銀行という組織ですが」
「そして国民がシヘイを持っていると、王様が取り上げていく?」
「それはもう、容赦なく」
「シヘイが欲しければ自分でいくらでも印刷できるのに、どうして国民から集める必要があるのですか?」
「う、鋭い質問。えーとその、バランスシートとかインフレ率とか?
すみません、素人なのでよくわかりません」
この紙幣という謎の存在に関しては、のちに経済学者のカース・マルツゥが彼の著書「ナニカ資本論」において解説を試みている。
「地球においても、各国の王は国民に対して国家安全保障、福祉、各種インフラ整備などの社会サービスを提供している。紙幣とはこのサービスを受ける権利を担保する商品券であり、王は提供するサービスと交換に国民から商品券を回収する。
当然ながら商品券の発行総量はサービス提供量の上限以下に留めなければならない。一般的な王の場合は国民サービスを最小限にまで押さえ、余力分を王の関係者が蓄財できるよう努めている。
また地球人は魔力を持たないため、自分の魔力を代価にして物品を購入することは不可能である。そのため経済は物々交換によって成り立っているが、国民にとって普遍的な価値を有するこの商品券が交換品として最も貴重視されている。
労働対価以外で商品券を入手する手段は限られており、一般的な地球人は商品券を手に入れるために、この世界の魔石革命以前、中世暗黒時代のような劣悪かつ過酷な労働に死ぬまで従事している。
天災がおきて町が滅びようが、疫病で大勢の死者が出ようが生きるために働きに出なければならない。そのようにして手に入れた商品券の価値は命よりも重いとされ、券の所有権争いから命の奪い合いに発展することも希ではない」(同書2の53段)
この解説が正確であるか否かは議論の余地があるが、ひとまず話を進めていこう。
「チキュウの王様は何を考えているのでしょうね。作ったシヘイを皆に配って使ってもらえば、皆が幸せになれるのに」
「……あの、こちらからも質問なのですが」
「はい、何でしょうか?」
錬金術師が記録の手を止める。
「この国の王様はお金……じゃないな、魔力を吸い取らせた石ですか?それを国民に配ったりするのですか?」
「ええ、基本的な生活に必要な魔石は、国民全員に平等に配布されます」
「それってベーシックインカム……いやその、続けてください」
「部屋で寝て暮らすだけなら配給だけでも生きていけますが、ほとんどの国民は暇つぶしに何か仕事をしています。魔獣討伐、迷宮探索、使い魔育成、各種の競技……。あとはお菓子を作ったり、野菜を育てたり、短文を書いて掲示板に貼ったり、人によって色々です」
「……掲示板に貼る?」
「誰かの商品を宣伝すると、読まれた回数が術式によって計測されて、それに比例した広告収入が振り込まれます」
「何かすごく闇を感じるんですけど」
山田は微妙な表情である。
「魔石の話に戻りますが、国に役立つような特別な権能があると認められるか、一定期間国内で仕事に従事して規定条件を満たせば国民……何もしなくても魔石をもらえる立場として認められます。ですが今のヤマダ様は規定を満たしていないので、何か仕事をしないと収入が得られません」
「なるほど……誰でも魔石が貰えるほど甘くはない、か……どこの世界でも、職を見つけなければ食べていけないのだな……」
「食べて……? 今何と?」
「何か仕事を探さないと、飢え死にしてしまいます」
山田は苦笑いしながらそう言った。
だが、それを聞いた錬金術師は顔色が変わった。
「た、大変、ヤマダ様が、ヤマダ様が死んでしまう!!」
「し、死ぬ?」
今度は山田のほうが青くなる番だった。




