61:勇者の迷宮
屋敷の中に初代勇者が創ったという謎の修行場。今、山田達はそこに向かって移動していた。
召喚士が一見冷蔵庫に見える白い箱の扉を開け、その中の隧道にある長い下り階段を降りていく。
衣装ダンスの奥がライオンと魔女のいる異世界と繋がっていたり、子供部屋の机の引き出しが時間移動機の出入り口だったりするように、異界の入り口が家の中の何かに擬態しているのはどこの世界でもよくある話である。
「この先にあるのが『勇者の迷宮』。異次元空間の中に作られた魔法の部屋じゃ。
まあ迷宮と言っても、訓練用の大きな部屋が一つあるだけじゃがな」
召喚士が隧道の先端にあった隔離扉をあけ、一行は迷宮内に足を踏み入れた。
「ええええええ……」
山田は思わず声をあげた。
そこには見渡す限り、一面に緑の草原が広がっていた。
先のほうは霞んでいてよく判らない。どこまでも続くはるかな大平原には山も谷も無く、人工物など何一つ見えはしない。遠くのほうにひとつかみの雲だけが飛んでいて、何か歌でも歌いたくなるような風景である。
空は青と緑の奇妙なまだら模様で、天頂にある動きのない光源は、雲を通して見える太陽のように柔らかい光度である。
「いや、部屋とかいう規模じゃないですよ? 地平線が妙な感じで、地面と空の境目がよくわからないんですが」
「まあ、魔法空間だからのう。地上とは若干異なるじゃろ」
「ここをずーと真っ直ぐ進んでいったら、先には何があるんですか?」
「わしが把握している限りでは、そっち側はいくら進んでも代わり映えのせぬ草原が続いておる。こっちだと、ヒトの足ならば3日ほど歩いたところに大きな塩水湖がある。わしはそこで大海獣の新品種育成を試みておる」
「うへえ……突き当たりの壁って、どのへんにあるんでしょうか?」
「壁というものは見た事が無いな。この迷宮は丸い形をしていて、まっすぐに進んで行くと、やがてこの場所に戻ってくると聞いた記憶がある。実際にやってみた事は無いが」
「どういう構造になっているのか、まったく見当がつかない……」
すると横で山田達の話を聞いていた錬金術師が、おずおずと召喚士に話しかけた。
「……あの、お畏れながら召喚士様」
「なんじゃ、苦しうない、申してみよ」
「この迷宮の、迷宮主はどなたなのですか?」
「今はわしじゃが」
「迷宮主の権限をお使いになれば、迷宮内の地図がご覧になれるのでは?」
召喚士は錬金術師にそう指摘されて、あれ? という顔になった。
「……うむ、そう言われてみれば、何かそういう機能があったような気がするのう」
「通常であれば、迷宮主の生体認証と、音声符牒で地図が開示されますが」
「音声……あー、あれか。何だったかの……アップク・チキリキ・アッパッパア、いや違うな。何かそういう感じの言葉じゃ」
「思い出していただけませんか」
「完全に忘れた。だが心配はいらん。こんな事もあろうかと、忘れぬうちに符牒をメモして地上の扉に磁石で留めてある。山田、すまんが見てきてくれ」
「管理者パスワードを冷蔵庫の扉に? セキュリティ対策的に大丈夫なんですか? というか自分が見てもいいんですかそれ」
山田は通路を戻り、符牒の言葉を書き写して帰ってきた。
「ああ、これじゃ。ピピノレマ・ピピノレマ・プリリソパ、うむ惜しかった」
「リとパしか一致しておりません。どういう意味の言葉なのでしょうか?」
「知らぬ。日本語ではないのか山田」
「いえ、自分が知る地球の言葉には思い当たる単語がありません。どこか別の異世界の言語か、あるいはセキュリティを高めるために普通の人には意味不明な音節にしてあるのではないかと」
「そうなのか、ヤスヒコ様は用心深いのう」
召喚士が符牒を唱えると、空中に迷宮の地図が投影された。
それを見て、錬金術師は驚いた顔になった。
「召喚士様、わたくしにも迷宮の地図が見えてしまっているのですが」
「ん? 何かおかしいのか?」
「ほらここ、情報開示設定が『誰にでも公開』になっております」
「別に良いじゃろ。隠すような情報でもあるまいし」
「……召喚士様がそれでよろしいなら、別にかまわないのですけれど……
わたくしが一緒に拝見させていただいても、問題はございませんか?」
「存分に見るが良い」
錬金術師は操作術式をいじって、迷宮の地図をいろいろ確認した。
そしてしばらくすると、はああ、と深いため息をついて顔を手で覆った。




