48:錬金術師は天に向かって
「お嬢っ!!!」
山田は瞬時に足を踏みしばり、錬金術師の手を強く握って室内へと引き戻す。
勢いよく引っ張られた錬金術師は体勢を崩して倒れ、山田が抱き止める。
「ちょっとヤマダ、何するの? 痛い」
「お嬢! 今、何をなさろうとしたのですか!!」
「何って、空中歩行だけど」
錬金術師は不満そうに山田に言う。
「く、空中歩行? 悪い冗談はやめてくだ……」
錬金術師は真面目な顔である。
「……あの、すみません、もしかしてお嬢って、空が飛べます?」
「飛べないわよ。飛翔士免許も無いし」
「え、じゃあ空中歩行って……」
「歩けるだけ。……ああ、私が落ちると思ったの? ヤマダ、もう離しても大丈夫だから」
そう言われた山田は、抱き抱えていた錬金術師から、あわてて体を離す。
「ヤマダが心配そうだから、右手はそのまま握っていてもらいます。今度は引っ張らないでね」
そう言いながら、錬金術師はゆっくりと空中に片足を出す。思わず山田の腕に力が入るが、今度は引き戻さずに様子を見る。
形の良い左足が、ゆっくりと下げられて空中にぺたんと置かれ、そのまま固定された。
徐々に重心をそちらに移動させていき、やがて右足も、ひょい、と空中に移された。彼女は何も無い空間に立って、素足でぺたぺたと足踏みする。その動きは地面の上にいる時と何ら変わりが無い。
「ほら、歩けるでしょ」
山田は口を開けたまま言葉が出てこない。
錬金術師は山田に手を引かれながら、一旦、室内へと戻った。
「私と手をつないでいれば、ヤマダも空中を歩けるから」
「は? つまりその、お嬢と手をつないで、空中散歩?」
「嫌?」
山田はぶんぶん首を振った。
「じゃあ出発」
「あああ、ちょっとお待ちを。今のお嬢は芋ジャージに裸足で、寝癖のついたザンバラ髪です」
「別にいいでしょ?」
「良くありません!」
山田が手早く髪を結い、手絡(訳者注:リボンのこと)で飾る。そして錬金術師は山田にすすめられて先日買った私服に換装した。
日本で言えば大正時代の女学生の装束に似た印象だが、服の模様はこの世界固有の意匠である。襟元に色線が入った、花模様の白いエド小袖。濃色の長い袴に色腰帯をきゅっと締め、帯の端を少し長めに流している。黒い空履の紐をしっかりと結んで、準備は完了である。
お出かけ衣装である。逢引装束である。新鮮かつ蠱惑的である。
あ、山田から鼻血が。
「いい? 下を見ないで。ゆっくり普通に、前に歩いて」
山田は錬金術師の手を握って、怖々と室内から空中へと足を出す。
ゆっくりと足を下ろす。足の裏にはしっかりと固いものを踏みしめる感触があった。揺れもしなければ、きしむ感じも無い。そのまま彼女に手を引かれながら少し歩いて、ちらりと下を見る。
何も無かった。
10階層の建築物から下を見た時の高さ。足元が完全に素通しで、地面ははるか彼方である。
(落ちる)
山田は血が引くような冷たい感覚を覚え、全身が総毛立った。
しかし錬金術師がすかさず状態異常回復の術式を付与し、すぐに冷静さを取り戻す。
「落ち着いた? ここから上に登るわ。階段を上る感じで、段差を想定してみて。そこで2回すばやく足を踏むの」
「えーと、このへんを足でダブルクリック……うわ、見えない階段が!?」
高い塔を階段で登っていくように、二人は時間をかけて一歩ずつ、ゆっくり上へ、上へと上っていく。
小さな羽毛竜が近づいてきて山田の顔の近くで静止浮遊すると、変な飛行魔獣がいる、とでも言いたげにピィピィと警戒鳴きをして去っていく。
「……このまま天まで昇るんですか?」
「エド王国の管制空域には歩行高度制限があって、お城よりも下までしか登れないの。そろそろ上限かな……ヤマダ、遠くを見てみる余裕がある?」
山田は恐る恐る、周囲を見渡した。
エド王国。広大な緑の大陸の東海岸に位置する、三重の城郭に囲まれた円周状の城郭都市。その全体像を山田はその時、自分の目で初めて見た。




