32:ご飯が炊けたよ
その日、山田は朝からオコメを炊いていた。
錬金術師が土魔法で錬成した竈。その上にある木蓋を乗せた羽釜は直径2尺弱、小鬼の成体を丸茹でにできそうな大きさの、23升炊き大釜である。
竈に据えられた羽釜は、炎魔石に熱せられてふつふつと湯気を噴いていた。
錬金術師の(寝室兼)実験部屋の中には、蒸気と共にオコメが炊けていく匂いが広がっている。
山田が火加減を見ている横で、錬金術師はオコメが調理される過程を観察記録していた。
「お嬢、そろそろ吹いてきたので、火加減を弱めます」
「了解。水の精霊よ、炎熱の精霊よ、その力を一つに統べ釜の中でオコメと共に踊れ。その炊飯の理の熱量推移と積算温度をわが前に記せ」
白衣に似た上衣をはおった錬金術師が、精霊呪文を詠唱しながら魔杖を振るう。羽釜が魔力光に包まれ、吹き出る湯気が虹色に輝く。
「熱き釜底に封じられしオコメのアミロペクチンよ、汝の鎖状分子結合に刻まれしアルファ化率をここに告げよ。ケト・エノール互変異の発生量とアマドリ転移生成物の脱水過程を我へと示せ」
光芒と共に、解析結果が空中に表示される。
「えーとですね、最後にちょっとだけ火を強めて、お焦げを作ります」
「されば今、熱き釜底のメイラード反応より生まれし漆黒の子メラノイジンとその生みの母たる純白の粒達よ、わが問いに応え汝らの成分比をここに告げよ」
錬金術師が魔杖を動かしながら術式構築を続ける。彼女がかけている女性用防護眼鏡が、魔法の輝きを反射してきらりと光る。
「うん、そろそろかな……では火を止めます」
「釜炊きの技に終焉の時は来たれり。炎の魔石はその力を閉じ、わが術式を担いし釜は余熱過程における有機分子反応の万象を示せ」
ひきつづきさまざまな解析記録が次々に空中に現出していく。
錬金術師は魔杖を下ろし、眼鏡をはずして、ふう、と息をついた。
長い三つ編みの髪が白衣っぽい服の背中で揺れる。
「あー、お嬢、お疲れ様です……もう少し蒸らしてから、これでかき混ぜます」
燕尾服の上からフリル付きの白い前掛けをした山田が、長い木のしゃもじを錬金術師に見せる。
「うまく炊けてますかね。かまど炊きなんて10年ぶりです」
「分子動態の解析結果を見る限りでは大丈夫でしょう。それに、たとえ失敗してもそれはそれで記録になります」
観測記録に目を通しつつ、錬金術師が答える。
「でも、お米はとんでもなく高価でしょう。一度にこんなに炊いて……」
「ふふ、ヤマダは心配性ですね。一度にたくさん炊いたほうが美味しい、と言ったのはヤマダですよ」
「そうですけど、まさか一度に30キロも炊くとは思わないです」
錬金術師は立ったままの山田に、敷物の上に座るよううながす。
「ヤマダ、これを見てもらえますか」
錬金術師は空間収納から、1尺ほどの長さがある、赤茶けた材木のようなものを取り出した。
「これは……?」
「カレ節です。シマヅ公領の特産品」
「え? それはもしや……日本の鰹節に相当する……」
「まあ、もう知っているのですか」
山田は『魔法の鏡』を使い、この世界の情報を急速に学習していた。カレ節も彼の習得した知識の中にある。
カレ節とは、南方海域に生息する巨大魔魚、カレの肉を焙乾(訳者注:煙でいぶしながら乾かす)し、そのあと食用カビ付けを何度も繰り返しながら干し上げた保存食品である。それは初代勇者がこの世界に伝えた日本食材を再現したものであった。
「鰹節が、この世界にあると知った時は驚きました」
「でも本物のカツオブシは、初代勇者様がご召喚に成功なさった1本のみです。初代勇者様ご自身も、もったいなくてほとんどお召し上がりにならなかったそうで、それで御物の一つとして残されているのですけれど」
「保管場所は、東大寺院の正倉殿でしたっけ?」
「ええ、国宝をも超える聖遺物として、1000年の時を超え今に伝えられています。
さまざまな時代の権力者達が、少しずつ削り取って賞味したという記録がありますが、一般の我々には近づくことすら許されません」
「それを再現してしまった情熱が凄いです。コウジカビの代わりに、純粋培養した無毒系統の『屍人崩し』を噴霧して繁殖させ熟成する技法……いったい誰が考えたのか……」
山田はしゃもじで手に持ったカレ節を叩く。よく乾燥していて、カンカンと澄んだ音が響く。
「……いい音だ。でもこれは、削らないと食べられ……」
山田が言いかけたところで、錬金術師が意味深に笑う。
彼女が空中から四角い木箱を取り出し、山田はそれを見て目を丸くする。
「そ、それは鰹節削り!?」
「ふふふふ、ぬかりは無いのです」
「え、でもこれは……小笠原桑の玉杢のような極上の銘木……指物技術も一級、それにこの鉋の刃……何だ、この金属は」
「オリハルコンです」
聞いた山田が一瞬固まる。
「あの伝説の!? というか、こんなもんどこで探してきたんですか」
「サザビー商会の競売に出ていました」
「いくらで落としたんです」
「秘密です」
「うへえ……たぶん貴族の特注品ですよねこれ。傷をつけたらどうしよう」
「自己修復の術式が付与されてますから、少しの傷なら大丈夫です」
「ふえええ、手が震えます」
山田はカレ節を受け取ると、調理を始めた。




