19:山田よ、これが異世界だ
「眠れなかった……」
翌朝、一睡もできなかった山田は疲れた顔で、ピンク色の寝箱の中から起きだしていた。
夜半から日付を超える時間までさまざまな情報交換を続けたあと、錬金術師は
「私は隣で寝ていますから、何かあったら声をかけてください」
と言って山田のいる部屋から出ていった。そのあと山田は照明を落とした部屋で寝箱に入っていたが、結局眠ることはできなかった。
回復魔法の効力が残っていたため体力的には万全であった事も、寝られなかった原因の一つだった。が、それ以上に眠れる気分になれなかった事が大きかった。
隣の部屋には何があって、錬金術師はどんな夜着を着て、どんな格好で寝ているのだろう……と考えた山田はさまざまなエロ妄想を思い描きつつ寝箱の中でごろんごろんと転がりつつ一晩中暴れていたのである。彼にもし性欲があったとすれば、いろいろ大変なことになっていたことだろう。
しかし彼には実際に彼女の寝姿を覗きに行くほどの勇気も無く、気をまぎらわせるため腕立て伏せをしたり厠箱で用を足したりしながら時間をつぶし、朝を迎えていた。
分解浄化の術式と、臭気拡散防止の結界が付与された厠箱は朝になって観察してみると未使用にしか見えない状態に戻っていた。山田はこの世界の魔法というものにあらためて驚愕していた。
部屋には「中のものは自由に飲んでいいですよ」と言って錬金術師が置いていった携帯収納庫があった。
開けてみると、どろりとした紫色の液体が入った透明な瓶が何本も並んでいる。よく見てみようと瓶を調べていると、熱々の瓶と、冷え冷えの瓶が混じっていることに気がついた。
(これは冷蔵庫ではない……かと言って温蔵庫でもない。いったいどういう原理だ?)
この時点で山田は、まだ時間停止収納というものを知らない。よく判らないが魔法だ、という結論に達した山田はそれ以上考えるのをやめ、瓶を元あった場所に戻して収納庫を閉めた。少し喉が渇いていたが、正体不明の何かを飲む気にはなれなかった。
ちなみにこれは錬金術師が作成した体力回復薬だったのだが、のちにその味を知った彼は、回復薬の風味改善を生涯の課題にしたと伝えられている。
「おはようございます、ヤマダ……さん」
呼び捨てにまだ慣れていない錬金術師が、山田の部屋に顔を出した。
服装はあいかわらず芋ジャージであるが、今日は長い髪の毛は後ろで三つ編みになっている。浄化魔法で全身が完璧に清潔になっているが、髪の毛の乱れは直っていない。
「あ、おはようございます、お嬢さ……お嬢」
「今日は新しい衣服と首輪を、町に行って購入しましょう」
「首……輪?」
「奴隷には主人の名前と連絡先を記載した首輪をつけます。療術院で予防術式の付与と、聖教会での住民登録もありますからいろいろ忙しいです」
「よぼうじゅつしき?」
「王国の住民には吸血鬼化、人狼化、屍人化を防止する3種混合予防術式の付与が法律で義務づけられています。
あとは任意になりますが、通常は悪霊憑依や闇呪術を防ぐ7種混合予防術式も追加で付与します」
錬金術師は山田に説明しながら、わくわくした感じで嬉しそうである。
会話をしていて山田はふと気がついた。
「……あの、お嬢、お仕事は?」
「あ、大丈夫です。今日は研究日……と言っても判りませんね、仕事に行かなくても良い日なので」
「え、すみません、貴重なお休みの日なのに」
「お気になさらずに。私も研究材りょ……研究助手になった方をお世話するのは当然の事ですから」
錬金術師は自分が言いかけた言葉を飲み込んで、少しあせった様子を見せた。
(なるほど、俺は研究材料か……この人、嘘が下手だな)
しかし山田は、錬金術師が漏らした本音の部分に、むしろ安堵していた。
(こういう状況の場合、好意で面倒を見るふりをして俺を油断させ、あとで裏切って奴隷市場に売り飛ばす……という事も無いとはいえない。
だが俺を研究材料にする気なら、すぐに売られる可能性は低い。いきなり生体解剖でもされたら困るが、無事でいられるうちに逃亡する方法を探してみよう。今は無害で従順な人間のふりをして様子を見るのだ……)
山田は、冷静に今の状況を分析していた。
見ず知らずの異性を逃亡も反抗もできない状態にして自分と同居させる。もし男女が逆であったなら、どう考えてもまともな案件ではない。
助けてもらったことに感謝こそすれ、そのような境遇を素直に受け入れられる地球人はほとんどいないだろう。ましていきなり主人に好意を持つような事は常識的に言ってありえない。
(でも印象としては、なんか善人っぽいんだよなこの人……
嘘のつけない真面目な女性って感じで、何だか安心感がある。コミュ障の俺なのに不思議と一緒にいて疲れないし、話していてすっげー楽しい。
それに声と外見が何というか、もう最高。この人とこれから二人でデートだよデート。ウヒャヒャヒャッホホゥーイ)
前言を撤回せねばならない。女性に対する免疫の無い山田は冷静さを失っていた。人としてあまりにも非常識である。
この時点で一般的な社会人であれば、「嘘をつく器用さが欠落した、嫁ぎ遅れの研究職女性」という人物像に地雷臭を感じ取っていることだろう。しかし、世の中には好き好んで地雷を踏みに行く人物というものが一定数存在している。
歪んでいる者は、まっすぐな者と寄り添うことはできないが、反対の形に歪んでいる者とはぴったり寄り添えるのである。ちなみにどちらも同じ形に歪んでいた場合、寄り添おうとすると悲惨な結果になる。
彼らの関係がどうであったかは今後判る事なので、今は話を進めていくことにしよう。
山田は錬金術師が創った彼専用の魔道具を使って、自分の体に浄化の術式を付与した。
そして錬金術師が創造してくれた味のしないどろっとした熱くて白い飲み物をすすり、緑色の食べ物を全部飲み込んでから、外出のための身支度を整えた。
と言っても寝間着にしていた衣服の上に、錬金術師が用意した袢纏のような服を重ね着しただけである。
袢纏の背中には漢字で「厭離穢土、欣求転生」と縦に書かれている。
「……何ですか、この文字」
「初代将軍、イェーヤス公が騎士団の旗印に使っていたニホン語です」
「こちらの方々の感性がよくわかりませんが、これがこの世界のスタイリッシュな服装なんですかそうですか」
ちなみに山田は町に出たあと、その解釈が間違っていた事にすぐに気づいた。この世界の服装に関する感性も、基本的には地球と共通する部分が多い。
今回の場合は単に錬金術師がお洒落というものに興味が無く、たまたま持っていた服を山田に着せただけであった。なお、この装束は人目を気にしなければ実用的な観点からは特に問題点は無い。
錬金術師は芋ジャージの上に、猫人間の意匠がついた袢纏。彼女が即興で錬成した一体型サンダルのような履物を二人で履く。
「では外に出かけましょうか」
錬金術師は部屋の壁を次元収納して外の細い通路に出ると、日本で言うと手招きに相当する身振りをして山田を呼んだ。
「戸口から出ると遠回りですから」
そう言いながら壁を元に戻している様子を見て、山田は目を白黒させている。
錬金術師の後について細く曲がり角の多い通路を進み、集合住宅の広い中央通路に出てきた時、山田は絶句して固まった。
「……すいません、この通路というか道路というか、行き止まりが見えないんですが」
「中央通路は長いですからね。チキュウには集合住宅は無いのですか?」
「いやありますけど、向こうが見えないほど大きい住宅は無いですよ。
ここにはいったい何人住んでいるのですか?」
「正確な数はわかりませんが、2万人ぐらいでしょうか。御家人のほとんどがこの城下住宅に住んでいますから」
「2ま……日本最大のタワーマンションでも複数棟合わせて8000人程度なんですけど……。2万人って、完全に町のレベルですよ?」
「そうですね、建物内には商店や役所の出張所になっている部屋もありますし、実質的には町でしょうね」
山田は言われた内容を理解するまで少し時間がかかった。
「……この建物は、何階建てなんですか」
「私達のいる10階層が最上階です。この建物はお城があるチヨダ山の山裾に沿ってぐるりと建っていて、上から見ると円周形になっています。ですからこの通路をまっすぐ走っていくと一周してここに戻ってきます。毎朝走っている方もおられますよ。ほら、あんな風に」
通路の向こうから、重装備の犬騎士を乗せた巨大なマメシバが爪音を立てながら走ってくる。
山田は驚いて通路の横端に逃げ、ぽかんと口をあけたまま、茶色いモフモフした使役獣に乗った初老の騎士が通りすぎていくのを顔を上げて見送った。
「退役なさった騎士団の方ですね」
「きしだん」
「使役獣の背中に乗って戦う戦闘職です。
使役する魔獣によって陸・海・空・宇宙の各騎士団に分かれます。現役の方は駐屯地で訓練しておられますが、退役なさった方も予備役招集がかかる事があるので、あのように自主訓練を」
錬金術師はまだ説明が終わらぬうちに通路を歩きはじめ、まだ止まっていた山田を呼ぶ。あわてて山田は後を追った。
少し歩くと通路は十字路になっていて、そこを右に折れると小さな広場になっていた。広場の一方は平らな壁になっていたが、よく見るとその壁には横開きの大きな引き戸が複数あった。
「一番右の扉の中にあるのが非常階段で、そこを使っても地上まで降りられます」
「非常用の階段?」
「移動室が止まってしまった場合に使います」
錬金術師は正面の扉の右にある、丸い魔術紋に指を触れた。
「この扉の中が移動室で、通常はこれを使って地上に降ります。
ここにある印を指で押すと移動室がやってきて扉が開きます。でも、御家人しか使えないよう魔術防護がかかっているので、ヤマダさ……ヤマダが押しても扉は開きません。今日は私の生体認証を使って作動させます」
「セキュリティ高いな」
扉が横に開くと、そこに小さな縦長の四角い部屋が現れた。天井に照明があるが窓はなく、左右も正面も装飾のないただの平らな壁である。
「これが移動室です。これを使って地上に降ります」
錬金術師は山田と一緒にその部屋に入った。扉があるほうの内壁の右側に、丸い紋様が縦に並んでいる。
「ははあ、基本的な構造は日本と同じですね。人間工学的に自然と似るのかな」
「ニホンにも移動室があるのですか?」
「エレベーターと呼んでいますが、集合住宅で使われています。操作ボタンの文字は……数字ですね。何で読めるのか不思議だ」
「では操作は直観的に判りますね。最近の施設なら音声指示でも動くのですが、ここは古い建物なので手入力のみです。間違った操作をすると知らない場所に着いてしまって、とまどう事になります」
「あー、ありますね、それ」
錬金術師は山田の頭上を指差した。
「扉の上にあるのが路線図です」
「ろせん……?」
「ここを見て、目的地の番号を探します。今回は第二城郭外の市場地区が目的地なので直通で行けますが、途中で乗り換えがある場合は少々複雑になります。王都に長く住んでいる者でも、全部はとても覚えきれません」
「え? あの、ちょっと」
「では行きましょう。下町の23街区19番……と」
錬金術師が慣れた指さばきで入力すると、扉が閉まった。
コトコトと何か音が聞こえると共に、山田は空間転移に伴うピリピリした皮膚の違和感を感じた。加速感に似た体がねじれるような奇妙な感覚がしばらく続いたあと、チーンという音がして部屋は静かになった。
「着きました」
扉が開くと気圧が変化し、山田の耳が痛くなる。あわてて唾を飲み込んで対応しながら、錬金術師の後に続いて移動室から出た。
着いた場所は窓のない殺風景な石造りの空間である。
「ここは……?」
「下町の地下駅です。建物外にある移動室はどこも地下の防魔壕内に設置されていますので、階段を登らなければ地上に出られません。あっちですね」
錬金術師は左手にある階段のほうに歩いていく。山田はそのあとをついて地上に向かい、分厚い扉のついた防魔壕の入り口から外に出た。
山田はその日、本当の意味でこの世界へと降り立った。
そこに拡がっていた街並みは、彼にとって文字通りの異世界であった。




