101:錬金術師の大失態
宵闇の中、遠くに光っていたエド城天守閣の明かりはもう見えなくなった。
時々周囲に出没していた狐火の行列も、今は消えている。
地球で言うとアムール川流域の広大な氾濫原のような、大河トネ川が作り上げた果てしない湿地草原の上を山田達を乗せた船が風のように走っていく。
王国騎士団の行動圏外に達したと判断した山田は、伝声管を使って、そろそろ息切れしはじめた動力源に速度を落とすよう依頼した。
召喚士は一番豪華な寝台の上で、肌が透けて見えそうな極薄の白い夜着を身につけて寝息を立てている。
船内昇降術を使って最上部の展望甲板に出た山田は、携帯信号灯を明滅させて上空にいる召喚士の召喚獣と連絡をとった。赤外線探知早期警戒竜からは「敵影ナシ」の発光信号が返ってきて山田は安堵する。
展望甲板には白魔道士の外套に換装して、臨戦態勢をとっている錬金術師が先に来ていた。
「お嬢、寒くないですか?」
「うわっ! ……ああヤマダか、びっくりした。この装備には体温調節の術式が付与されているから問題ない。もう警戒しなくても大丈夫かな?
……お嬢じゃないでしょう、ご領主様」
「あー、もうその呼び方が習慣になっていて」
「人前でそう呼ばないように練習して頂戴」
「承知いたしました、錬金術師様」
「敬語もやめてね」
「うむそうであった、そして君は敬語で話すべきだな、錬金術師殿」
「はい、承知いたしました、ご領主様」
錬金術師はくすくすと笑う。
彼女の表情は明るい。何で突然に態度が変わったんだろう? と山田は内心で首をかしげている。
だが複雑な女性心理など彼に理解できるはずもなく、解釈する事は諦めて、まあいいか、と思う事にした。
その山田を見て、錬金術師はいたずらっぽく笑いかける。
「私ね、これから新しく研究してみたい事が見つかったの」
「研究してみたい事?」
「あなたよ、ヤマダ」
「は?」
「異世界人ヤマダ・タイチローがこの世界で何を考えて、どういう行動をして、領主として成功するか失敗するか、その記録を残していく。それを私の生涯の仕事にすることにした!」
「えええ、生涯の仕事って……というか、領主として失敗する可能性もあるんでしょうか」
「それはそうでしょう。失敗して夜逃げする事になった時は私もついていくから」
「いやそれはその、心強いですけども」
複雑な顔をする山田を見て、錬金術師はまた笑った。
「まあ、夜逃げしなくて済むように私も手伝うけど」
「はあ、お願いしますよ錬金術師様……うっわー、でも自信ねぇぇぇぇ」
「ヤマダだもんねえ」
「山田ですから……ってもう勘弁してください」
山田とバカップルめいた会話をしながら、錬金術師は次のように考えていた。
領主というものは、領地防衛のために膨大な魔力を持つ上級戦闘職を伴侶に持たねばならない。だが領主の目的は領地を防衛する事にあり、高魔力の伴侶を得る事はそのための手段にすぎない。
つまり逆に言えば、領地が防衛できさえするならば、伴侶に選ばれる者が高魔力である必要は無く、誰でもいいのである。
錬金術師には正攻法で大魔獣と戦うような力は無い。だが、彼女には遠隔魔術に関する多彩な知識があった。
藁人形から術式を飛ばして離れた場所にいる者を呪殺するように、相手の索敵圏外から魔術式を送って侵入者の戦闘力を奪ってしまえば良い。
もし外敵が魔術障壁を展開していたとしても、その脆弱性を突いて攻撃術式を体内に送り込めば、相手の生体機能を書き換えてしまう事が可能である。
たとえば脳内伝達物質を操作して生きる気力を完全に消し去ったり、血液凝固因子に手を加えて全身に無数の血栓を発生させたり、呼吸筋を含むすべての随意筋を痙攣固縮させて機能停止させたり、再生魔力を暴走させて精神機能は保ったままの状態で、その体をうごめく肉塊に変えてしまう術式などを、相手が気づかぬうちに遠く離れた場所から生体浸食させるのである。
王宮の雑用などをさせられる事もなく、働かずに専業でそういう術式を組ませてもらえるならば、数限りない生体操作術式を創術できる自信があった。王国内では開発が禁止されている術式でも、他領であればそこの領主に禁止されない限り自由に研究できる。そしてこれから行く土地の領主は山田であり、彼女の言いなりである。
そう、彼女のやりたい事を妨げる邪魔者はもう誰もいない。いままではできなかった、法律によって禁止されていたありとあらゆる研究が――
――やりたい放題なのである。
あとは山田の領地経営が軌道に乗って、錬金術師がいれば領地防衛に問題が無い、という事を証明できれば、彼が錬金術師を正妻に選んでくれるという事も十分に考えられる。
そうなれば、あとは山田に寄ってくる自分以外の女性を何らかの手段で除去すれば良い。勝利の法則は、決まった!
錬金術師の脳内に住む5人の女性は、意見が一致して祝杯をあげていた。
だが、錬金術師はきわめて重大な事を見落としていた。
そして社会というものに疎い彼女は、その事にまったく気付いていなかった。




