6話 祝杯
「あら、レンさん、クロエさん。お帰りなさい!」
ギルドの扉をくぐり抜けてきたレンたちを見るやいなや、ルチアはぱっと顔を輝かせて声をかけてくれた。その満足げなレンたちの表情や、少し誇らしげなクロエの足取りを見て、今回の兎魔討伐クエストが無事に成功したことを一目で察したらしい。
「ルチア、見て! 大成功よ!」
自信満々に胸を張ったクロエは、ポーチからいくつもの魔石と、討伐の証である剥ぎ取った爪をカウンターの上にざらざらと広げた。
あの後、レンたちは要領を掴んだこともあってさらに何体か追加で狩ることに成功した。最初はあんなに手こずっていたというのに、最後の方の連携は自分達でも驚くほどスムーズになっていた。
クロエがルチアに依頼完了の報告をしているのを確認し、レンは換金所の方へと足を向ける。
いま借りているギルド支給の装備は借り物だ、早くちゃんとした自分の装備に切り替えたいという思いが強かったからだ。
「ここが換金所であってる?」
そこは先ほどの依頼窓口とは反対側に位置しており、大型の魔獣の素材なども運び込めるように、天井が高く、頑丈で広々としたカウンターが備え付けられていた。
「はい、あってますよ! 換金ですね?」
「ああ、今日手に入った魔石を売りたくて」
そう言って懐から取り出したのは、先ほどクロエからもらった自分の分配分の魔石だ。職員の男性はそれを受け取ると、嬉しそうに目を細めた。
「ああ、魔石ですね、ありがとうございます! うちのような街のギルドじゃ、魔石はいくつあっても足りないくらいですからねえ」
「ちょっと気になったんだが……この魔石って、具体的に何に使うんだ? いや、魔道具の動力源になるくらいは知ってるけども」
なんとなく気になって尋ねてみると、職員は親切に指を折りながら教えてくれた。
「そうですね。おっしゃる通り魔道具の魔力充填や、魔術師の魔力回復の補助なんかには定番です。ほかにも、複雑な魔術式を展開する際の触媒にしたり、武器や防具へのエンチャントで魔力を定着させるための型にしたりもするんですよ。本当に用途は多種多様ですね」
なるほど、単なる換金アイテムというだけでなく、この世界のあらゆる魔術技術の基盤になっているらしい。だからこそ、これほど安定した金額で取引されるわけだ。
ある程度まともな装備が整ったら、お金欲しさにすぐ売ってしまうのではなく、こうした魔石をいくつか手元に貯めておくのも悪くないかもしれない。
「お待たせしました、こちらになります」
職員が手際よく手元の天秤と計算盤を動かし、魔石と引き換えに硬貨をいくつか差し出した(どうやら魔石の大きさと純度でその強さと値段は比例するようだ)
「ありがとう」
硬貨を受け取り、しっかりとポケットにしまって振り返ると、ちょうどクロエの方も依頼完了の手続きを終えたらしく、鼻歌まじりでこちらに歩いてくるところだった。
「終わった?」
「ああ、こっちも終わったよ」
「じゃあ、今日のところは宿屋で祝賀会やるわよ! 記念すべき私たちの初パーティー成功を祝って!」
クロエは両手を大げさに広げ、どこか得意げに胸を張ってみせる。
「ああ、そうだな」
返事をしながら、レンはポケットの中で重みを持つ硬貨の感触をそっと確かめた。
口うるさいし、最初はポンコツが露呈してどうなることかと思ったが……こうして振り返ってみれば、悪くない一日だった。異世界に放り出されて絶望しかかっていたあの時から考えれば、これは間違いなく、俺がこの世界で踏み出した確かな第一歩だ。
「それじゃあ、今日の初仕事と、私たちの新しい門出に……乾杯っ!」
クロエが勢いよく木製の大きな盃を高々と突き上げる。
その威勢の良さに気圧されつつも、レンも慌てて自分のコップを掲げ、クロエの差し出した盃へとコツンと軽く当てた。
コップからふわりと鼻をくすぐるのは、いかにも庶民的な酒場らしい、麦の強い発酵した香りと酸味だ。
黄金色の液体がなみなみと注がれたコップを片手に祝賀ムードに浸っていると、カウンターの向こうから、宿の主人が大皿を抱えてひょっこりと顔を出した。
「初仕事の祝いだ」とサービスしてくれたのは、大きめの木製ボウルになみなみと盛られた温かいスープだった。
愛想はなく堅物な印象を受ける見た目に反し、宿屋の店主は存外に温かかった。
ゴロゴロとした根菜と、昨日今日で手に入った端肉がたっぷりと入り、素朴なハーブの香りがふわりと鼻をくすぐる。添えられた少し酸味のある硬い黒パンをスープに浸して口に含むと、冷えた体が芯からじんわりと温まっていく。
「んー、美味しい! やっぱり、こういう温かいものが一番体に染みるよねぇ」
クロエは幸せそうに頬を緩め、スプーンを動かしている。
派手な料理ではない。だが、慣れない世界で命を削った後に食べる温もりは、思いのほか心に染み入るものがあった。
「ああ、美味しいな」
朝食もそうだがこの店の素朴な味はどこか癖になる。
そんなふうに酒場で少しはしゃいでいたものだから、周囲にたむろしていた他の冒険者たちも、自然とこちらに視線を向けてきた。
「お、クロエじゃねえか。今日はやけに景気がいいな。また例のヤバい薬草採取ででも大儲けしたのか?」
「失礼ね! 今日はちゃんと本業の討伐よ、討伐!」
ふふんと鼻を鳴らしたクロエは、隣に立っていたレンの肩に腕を回してきた。距離が近い。暑苦しいやつだと思いながらも、今日のところは免じておく。
「へえ、その兄ちゃんが新しく組んだ相棒ってわけか」
声をかけてきたのは、無造作に伸ばされたボサボサの黒髪に、無精髭を生やした男だった。年季の入った革甲冑のあちこちに擦り傷があり、いかにも場数を踏んできたベテランといった雰囲気を漂わせている。
「俺はザックだ。よろしくな、新人さん」
ザックが無言のまま差し出してきたその手は、分厚いタコと無数の古傷に覆われていた。俺が恐る恐るその手を握り返すと、ゴツゴツとした掌の感触を感じた。
「……レンだ。よろしく頼む」
「フッ、で、どうだった? このじゃじゃ馬の面倒を見るのは」
からかうようなザックの言い草に、クロエは「ちょっと、余計なこと言わないでよ!」と、持っていた木製のジョッキをテーブルにカンと音を立てて置き、不満げに頬を膨らませた。
「いや、いや俺の方が色々教えてもらってるから助かってるよ」
「ほう、新参者か。なのにいきなりクロエと組むなんて、お前もなかなかの物好きだな」
ザックは面白そうに髭面の口元をニヤリと歪め、酒をあおった。
「まぁ、あいつは見た目通りのお調子者だが、根性だけは腐ってねえよ。昔から、危なっかしくて見てらんねえだけでさ」
「ちょ、ザック! それ以上言ったら蹴るからね!」
「はいはい、すんませんねえ」
軽口を叩き合いながらも、ザックの眼差しにはどこか優しげな温かさがあった。この街の冒険者たちは荒くれ者ばかりだと思っていたが、意外と気さくなのかもしれない。
ザックは立ち上がると、俺の肩をゴツい手で軽く叩いた。
「ま、何にせよ、あいつの面倒を頼むぜ。死なせんなよ」
「ああ、任せてくれ」
ヒラヒラと手を振って自分の席へと戻っていくザックの背中を見送りながら、レンは改めて隣のクロエに目を向けた。
……死なせない、か。
「……何よ」
すっかりご機嫌で麦酒をあおっていたはずのクロエだが、ふと俺の視線に気づいたのか、酔いで潤んだすわった目をこちらに向けた。据わっているどころか、完全に絡む気満々の目つきだ。
「いや、なんでもないよ。飲みすぎなんじゃないか?」
「なーまーいきねー……。新米のくせに、なんか今、心の中でバカにしたでしょ!」
ふんすっと鼻息を荒くしたクロエは、酔いにまかせた無駄な怪力を発揮し、ガシリと背後からレンの首に腕を回して力任せに羽交締めにしてきた。
「ぐっ、苦しっ……! おい、ちょっと待て、力の加減を知ろよ!」
ふわり、と甘い香りと共に、予想外の柔らかい感触が背中へと押し当てられる。
当のクロエは気づいていないのか、それともわざとなのか、さらにぐにゃりと体重を預けてくる。その拍子に、背中に当たる感触がより一層はっきりと意識させられ、俺の顔は一瞬で真っ赤になった。
「なっ……! おまっ、ちょっと、離れろって!」
「うるさぁい、もー」
背中越しに伝わる体温と柔らかさに、男としての理性が盛大に崩壊しかける。
自覚のないスキンシップにこれ以上耐えられたもんじゃないと、レンは慌ててクロエの肩を掴み、これ以上密着しないように無理やり引き剥がした。
「こらー! 逃げるなー!」
「おまっ、酒こぼれるから暴れるな! いてて、首が締まる!」
テーブルの上でガタガタとコップを揺らしながら、俺たちはもみくちゃになった。
周囲の席にいた冒険者たちがやんやのやじを飛ばしてきた。
騒がしく、汗臭くて、けれどどこか居心地のいい酒場の熱気の中で、俺たちは泥臭くも笑い合っていた。




