5話 vs兎魔
正直に言うと、まだ全然体に馴染んでいない。
左腰に吊るした剣の重みを感じながら、レンは鬱蒼とした森の小道を踏みしめる。新米冒険者としてギルドから支給された革の防具と安物の武器。歩くたびにカチャカチャと頼りない音を鳴らすそれらの道具を横目で見やりながら、息を整えた。
一応、ギルドでの手続きの際に魔法の適性(暴走という最悪の形ではあったが)があることは分かった。だが、肝心のコントロールは相変わらず全くできない。暴発させて自爆するリスクを考えれば、下手に実戦で使うのは自殺行為だった。だから武器は、剣と小型の丸盾……バックラーを選んだ。
攻撃を正面から弾き飛ばすのではなく、相手の力をいなして受け流す。それにはそれなりの技術が必要とされるが、腕力に自信のないひ弱な自分には、重い一撃を受け止めるよりは流す方がまだ生存率は高いと踏んだからだ。
だが、そんな戦術の是非を考える以前に、森の中の行軍そのものが過酷だった。
不慣れな装備の重みも相まって、歩くたびに体力がごっそりと奪われていく。もともと運動とは無縁の人生を送ってきた自分にとって、この湿った土を踏みしめるだけで正直かなりしんどい。
肩で息をしている情けない自分に比べ、さすがはC級冒険者というべきか、クロエはひょいひょいと軽やかな身のこなしで木々を避け、涼しい顔をして並走していた。
「……ねえ、多分この先にあの兎魔がいるはずよ。さっきは不意を突かれて逃げられちゃったけど、今度こそ仕留めましょう」
「ああ、わかってるよ。作戦は……たしか、兎魔は魔力の匂いに敏感だから、魔道具を囮にして誘き出すんだっけか。で、動きが鈍ったところをクロエが弓で負傷させる」
「そうよ! そして、隙ができたところに、レンがトドメを刺すのよ」
「了解した」
慎重に歩を進めると、地面に爪で引っかいたような兎魔の痕跡が見つかった。
レンたちはさっそく、懐から取り出した安物の魔道具を配置して即席の罠を仕掛けた。先ほどのような失態はもう踏めない。仕掛けに不備がないか、二人がかりで念入りにチェックを済ませる。
「よし、完璧にできたわ。レン、隠れるわよ!」
クロエに促され、レンたちは生い茂る茂みの影へと身を潜めた。
息を殺して待つこと数分。カサリ、と草木が揺れ、警戒心を剥き出しにしたあの兎魔が顔を覗かせた。周囲をキョロキョロと窺いながらも、地面に転がされた魔道具の放つ微弱な魔力に惹きつけられるように、じりじりと罠の中心へ近づいていく。
そして、兎魔の鼻先が魔道具に触れた瞬間……罠が作動した。
あらかじめ刻印を施しておいた魔道具の力が魔法を発動させ、地面から眩い光が立ち上る。魔力で編み上げられた光の紐状の縄が、一斉に飛び出して兎魔の四肢を縛り上げた。
「よし、かかった!」
しかし、相手も生き残るために必死だ。安物の魔道具による即席の拘束など、魔獣にとっては時間を稼ぐ程度の意味しかない。兎魔は全身の毛を逆立て、ブワッと体を硬質化させると、巻きついていた魔力の紐を力任せに引きちぎってしまった。
だが、狙い通りその一瞬の隙が生まれた。
「いっけ! 《マジックアロー》!」
拘束が破られるコンマ数秒のリードを見逃さず、クロエが構えていた魔力の弓を放つ。物理的な矢はつがえられておらず、彼女自身の魔力に反応して形状をなす特殊な弓矢だ。
放たれた閃光の矢は、硬化した兎魔の毛皮の隙間を正確に穿ち、見事にその体を射抜いた。
「ぎゅぅっ……!」と、獣のカン高い悲鳴が上がる。
「やった……!」
「だめ、致命傷には届いてない! レン、今よ!」
クロエの叫びに背中を押されるように、レンは茂みから飛び出した。
声を押し殺し、よろめく兎魔へとまっすぐ突進して剣を振り下ろす。しかし、半端な力で叩き下ろしたところで、硬い毛皮に弾かれてしまうのはさっき学習した。
狙うべきは、クロエが撃ち抜いたあの傷口だ。
レンは剣を叩きつけるのではなく、狙いを定めてその傷口へと突き刺すように剣をねじ込んだ。
「ぎゅうっ……!」
間近で響いた断末魔の鳴き声とともに、兎魔はびくんと激しく痙攣し、そのままぐったりと地面に崩れ落ちた。
「……はあ、はあ……っ」
まだ慣れない手応え、命を奪った嫌な感触が手のひらに残っている。けれど、同時に胸の奥では、言いようのない高揚感が渦巻いていた。
「やった……! やったじゃない、レン、ナイスよ!」
茂みから飛び出してきたクロエが、自分のことのようにパッと満面の笑みを浮かべ、ポンと俺の肩を叩いた。初めて自分の手で勝ち取った勝利の重みが、じわりと体に染み込んだのだった。
クロエは倒れ伏した兎魔の体をひょいと軽々と持ち上げると、慣れた手つきで解体の作業を始めた。
硬質化した厄介な毛皮も、先ほど自分たちが開けた傷口を起点に上手に切れ込みを入れ、頭の方向へと力強く引っ張ることで綺麗にはぎ取っていく。あの硬い毛皮は、それなりの値段で買い取ってもらえるらしい。
続いて、仰向けにした兎魔の腹を胸元までスッと切り開く。しかし、いわゆる普通の動物とは違い、体内には内臓らしい器官の代わりに、淡く光る管のような組織が走っているだけだった。そしてその中心、心臓のあたりに収まっていたのは、この魔獣の命の源である魔石だ。
クロエは手際よくそれを摘み出すと、持参していた水筒の水を使って、付着していた余分な血痕や脂を丁寧に洗い流した。
「ちなみに、この肉は一応食べれなくはないけど……好んで食べる人はあまりいないわね。行軍中に他に食料がない時の非常食くらいかな。味はほとんど無味無臭で、お世辞にも美味しいとは言えないのよ」
クロエは食べたことこがあるのか苦虫を噛み潰したような顔をする。そうは言いながら、クロエは手際よく討伐の証拠となる爪をパキリと割り取る。
「はい、これレンの分」
そう言って、洗浄されたばかりの魔石を、ポイッとレンの手に放り投げて寄こした。
「これ一個だけだと大したことないけど、数を集めればそれなりにいい小遣いになるはずよ」
「……いいのか? ほとんどクロエが矢で決めてくれたようなもんなのに」
「何言ってるのよ。レンがトドメを刺してくれたからよ。私の攻撃だけじゃ仕留めることはできなかったんだから。これは正当な報酬よ」
「そうか……ありがとう」
素直に礼を言うと、クロエは満足げにふふんと鼻を鳴らした。
「よし、まだ日も高いし時間もあるわね。もう何体か狩りに行くわ!」
そう言って、クロエは先ほどから愛用している刻印入りの魔道具……罠の魔道具と魔力の弓を構え、手際よく自身の魔力を充填していく。すぐさま魔法の矢を放てるのは、あらかじめ弾をこめているからだ。この充填式の魔道具は、なかなかに使い勝手が良さそうだった。
「そういえば、こういう討伐の依頼って、ギルドにノルマとかあるのか?」
「ううん、この手の雑魚討伐は基本的に常設のフリークエストだから、特にノルマはないわよ。やればやった分だけ、報酬がそのまま自分の懐に入ってくる仕組み」
それを聞いて、俺は腰の剣の重みをもう一度確かめる。
確かに、運動不足の身体には疲労感がずっしりと重くのしかかっている。けれど、前の世界では絶対に味わえなかった、自分の命と稼ぎをダイレクトに感じるこの手応えに、不思議と体の奥底から新しい力が湧き出てくるのを感じた。




