4話 クロエ
ぼんやりと霞んでいた視界が、ゆっくりと焦点を結んでいく。そのまま視線を上へと向けると。
「……やっと起きたのね」
のぞき込んできたクロエが、ニカッと悪戯っぽく笑いかけてくる。
「わっ、うわっ、ごめん!」
それが何であるかを脳が理解した瞬間、レンは飛び上がるようにしてその場から起き上がった。どうやらさっきの魔力暴走で気絶したレンを、クロエが膝枕で介抱してくれていたらしい。
真っ赤になって慌てふためくレンに対し、当のクロエはどこ吹く風といった様子で、ひらひらと手を振ってみせた。
「いいのよ、別に。なんだか可愛かったし」
「可愛いって……俺、お前とそんなに歳変わらないだろ!」
残る柔らかな感触の余韻を頭から振り払うように、レンは激しく首を振った。
ふと見れば、先ほどまで手続きをしていた受付カウンターの一角。その木目の板には、さっきレンが放った魔力暴走のせいで、くっきりと痛々しい焦げ目が刻まれていた。ルチアはすでに不在のようで、代わりに片付けのモップが立てかけられている。……本当に大迷惑をかけてしまったらしい。
「で、さっきのどうなったんだ?」
「もう、こっちは大慌てだったんだからね! いきなりあんな盛大に魔法を暴走させる人がどこにいるのよ。子どもだってそんな派手な自爆しないわよ?」
「……すまん」
謝るレンに、クロエはやれやれと肩をすくめ、懐から一枚のプレートを取り出した。
「まあ、無事ならいいけどさ。ほら、これ」
放り投げられたそれを、慌てて両手でキャッチする。それは先ほどルチアが用意していた真鍮製のプレートだった。
「それがレンのギルドカード。絶対に無くさないでよ? 再発行には面倒な手続きと手数料がかかるんだから」
言われて表面に目を落とすと、そこには綺麗に刻まれた自分の名前と、その横に鮮やかな赤色の刻印が記されていた。
「ギルドカードは、実力や等級によって色がが変わるのよ。レンは、正真正銘のピカピカの新人だから、一番下のD級を示す赤色ってわけ」
ふふーん、と得意げに胸を張ると、クロエは自分の首から下げていたカードをこちらに見せつけてくる。
「ちなみに、私は一つ上のC級だから黄色ね。……というわけで、私は立派な先輩なんだから、もっと敬いなさいよね、後輩くん?」
「へへー、」
レンがわざとらしく大げさに頭を下げて見せると、クロエは「よろしい」とばかりに満足げにふんっと鼻を鳴らした。
「どうせその様子じゃ、依頼の受け方はわかっても、どうすればいいか何一つ分かってないでしょ?」
……図星だった。言われてみれば、形ばかりのギルドカードを手に入れたものの、ここからどうやって依頼をこなしていけばいいのか皆目見当もつかない。
レンが気まずそうに言葉を濁していると、クロエは腕を組み、ふっと悪戯っぽく笑った。
「しょうがない、先輩のこの私が、一から教えてあげてもいいわ。ちょうどね、前のパーティーが色々あって解散しちゃったし、新しいメンバーを探してたところだったの」
それは願ってもない申し出だった。だが、そのあまりにも都合の良い展開に、レンは思わず怪訝な目を向けた。
「……なぁ。どうして、今日出会ったばかりの赤の他人に、そこまで親切にしてくれるんだ?」
「うーん、そうねぇ……。なんとなく、かな?」
「なんとなくっておい……」
突っ込まずにはいられない適当な返事に、レンは盛大にため息をつく。いくらなんでも話が都合よすぎやしないか。
レンのそんな疑念を察したのか、クロエはクスッと笑い、茶目っ気たっぷりに片目をウィンクさせてみせた。
「ま、タダとは言わないわよ? しっかり一人前の冒険者にしてあげる代わり相応の指導料はもらうから、安心して」
「まあ、いいさ。俺としては助かるよ。これからよろしく頼むな、クロエ」
レンが差し出した右手を、クロエは迷うことなく、しっかりと力強く握り返した。
「うん、よろしくね、レン!」
答えはすぐにわかった。
草木が生い茂る街道の脇で、レンは荒い息を吐きながら
「そっちに行ったわよ、レン!」
「ああ、わかってるよ!」
飛び出してきたのは、丸々と太った兎……だが、牙を剥き出しにした凶暴な魔獣、ウサギ型の魔獣だ。冒険者ギルドで借りた、柄のすり減った古ぼけた剣を握りしめ、俺は突進した。
しかし、その一撃はあまりにも素人臭かった。
ガキィン! と、耳を刺すような硬質な金属音が乾いた森に響き渡る。
兎魔の全身を覆う毛皮は、魔力を帯びて鋼鉄のように硬化していた。レンの未熟な腕力と安物の剣では、その防御を破るどころか、浅い傷をつけることすらできない。衝撃がそのまま柄を伝わり、痺れたような痛みが手のひらを駆け上がった。
「くっ……固いっ!」
弾き返された衝撃にバランスを崩しながらも、レンは歯をくいしばって慌てて体勢を立て直す。
そのままの流れの勢いを利用して、二撃目を繰り出そうとした
兎魔はあらかじめ動きを読んでいたかのように、ひょいと軽やかにジャンプしてそれをかわす。あろうことか、俺の頭を踏み台にして、そのまま背後へと逃げ去っていった。
「あーもう、何やってるのよ! せっかく私が追い詰めたのに!」
「元はといえば、最初の不意打ちでクロエが弱らせておく手筈だっただろ! 全然ピンピンして逃げられたじゃないか!」
「だっていきなり素早く動くんだもん、仕方ないじゃない!」
クロエは悔しそうに地団駄を踏み鳴らす。
……これである。偉そうに先輩風を吹かせていた彼女だが、実際にパーティを組んでみると、思っていた以上にポンコツだった。
「何が指導料だよ! 俺の戦闘訓練どころか、お前だって俺と大して変わらないじゃないか!」
それもそのはず。問い詰めて分かったことだが、クロエがC級に上がれたのは、モンスター討伐ではなく、ひたすら薬草採取などの戦闘を伴わない安全な依頼で地道にポイントを稼いできたからだった。肝心の戦闘能力は、見かけによらずからっきしである。
おまけに、レンから大金をせしめようとした本当の理由も途中で白状した。なんのことはない、これまでの依頼で失敗や放棄を繰り返し、溜まりに溜まった罰則金のせいでギルドをクビになりかけていたからなのだ。
「うるさいうるさいうるさーい! 終わったことをネチネチ言わないの!」
「はぁ……。何としてもあの兎を討伐しないと、今日の稼ぎがゼロになるぞ」
「ルチアさんにまた怒られる……絶対、今度こそギルドカード取り上げられちゃう……!」
青ざめてわーわーと騒ぎ立てるクロエを横目に、俺は逃げた魔物の足跡を頼りに追跡するのだった。




