38話 守りたいもの
ギルドマスターは足元に転がるジークの千切れた腕から、ひし形の神具を拾い上げた。
「おい、レン。色々と言いたいことも、お前に聞きたいことも山ほどあるが……まずは、あの暴れてる化け物はなんだ? クロエはどこだ?」
荒々しく問うギルドマスターに対し、レンは奥歯を噛み締めながら、異形の影を指差した。
「あれが……クロエだよ……!」
その言葉に、ギルドマスターが、息を呑み、目を大きく見開いた。目の前で広がる光景と、クロエの面影すら残していない異形の一致が、彼女の脳内で結びつかなかったのだ。
「クロエが……あの子が、あんなもに……」
絞り出された声の震えが、怒りへと変わる。次の瞬間、ギルドマスターから殺意が爆発的に膨れ上がった。それは周囲の空気を歪め、視界に入るすべてのものを無差別に破壊し尽くしかねないほどの狂気を孕んでいた。
「殺す……。あの子をあんな姿に、叩き潰してやる……全部全部だ!!」
理性を焼き尽くすほどの殺戮の衝動。
その恐ろしさとプレッシャーにレンは動けなくなる。
だが、レンは地面を這いずり、迷うことなく彼女の足にしがみついた。
「待ってくれ……! 」
「離せ、レン! 」
「元に戻せる方法があるんだ……!」
血走った目で、しかし強い決意を込めてレンは叫ぶ。その必死の訴えに、ギルドマスターは歪んだ眉をぴくりと動かし、わずかに動きを止めた。
「神具だ……!」
「その魔道具は、災厄を抑え込む力を持ってるんだ……! その力を使えば、きっとクロエを元に戻せる……! だから、手を貸してくれ……!」
レンの言葉に彼女は手の中にあるひし形のクリスタルを凝視する。
「はぁ、なんでこう邪魔が入るかなぁ。めんどくせえ」
血を流し、片腕を失ったというのに、ジークの口調には焦りのかけらもなかった。ただ面倒くさそうに肩をすくめ、その奥にある瞳だけが、底知れぬ狂気と好奇心でらんらんと歪な輝きを放っている。
「足止め、しておいたんだがね」
平然と言い放つジークに、ギルドマスターは冷ややかな笑みを浮かべ、ふんと鼻を鳴らした。
「あんな雑魚の群れ、いくら集まろうと時間稼ぎにもならん」
「そっかぁ。じゃあ、ちっとばかし、俺も頑張るか」
ふざけた調子のまま、ジークは懐にスッと手を差し入れた。取り出されたのは、禍々しい光を放ついくつもの魔石だ。
彼がそれを、周囲に群がるゴブリンたちの群れへと無造作に投げ捨てる。
グギャ!
赤黒い光を浴びた瞬間、ゴブリンたちの肉体が異様な音を立てて膨れ上がり、ねじ曲がっていく。だが、それはレンやクロエが飲み込んだものとは違う。皮膚が破裂し、骨が不格好に突き出した、あまりにも歪で中途半端な魔獣のなれ果てだった。
「んー、四体成功か。まぁ、こんなもんか」
ジークは満足げに笑うと、血まみれの腕で前方をさすと、ひょいと顎をしゃくった。
「じゃ、いけ」
四体の異形がギルドマスターとレンに迫る。
異形の群れにたいしてギルドマスターの巨体が強く踏み込む。
手にした大剣をまっすぐ横に水平に振り抜いた。その大剣から重量を感じていないかのように、力強く一線。横一文字切り。
それは歪な魔獣と化したゴブリンたちの巨体を、文字通り一刀両断する一撃だった。緑色の鮮血が飛び散り、肉片が四散する。
だが。
「……っ!?」
切り裂かれたはずの断面から、ぐにょりと気色の悪い肉の芽が吹き出し、瞬く間に引き裂かれた部位が縫い合わされていく。傷口はたちどころにふさがり、魔獣たちは何事もなかったかのように不気味な咆哮をあげて再び立ち上がった。
「再生するのか……!?」
「ギルドマスター、ダメだ!そいつは切っても復活する!」
「ほう、なら」
あのギルドマスターをもってしても、驚異的な再生能力を持つ異形四体を相手取るのは容易ではない。
きっとギルドマスターなら何とかするのだろう。ただ時間がない。クロエをこのまま放置できない。
眼前で猛然と魔獣をいなし続けるギルドマスターの背中。そして、そのさらに奥で狂乱するクロエの姿。
レンは自身の胸元にそっと手をあてた。
心臓の鼓動が、嫌な音を立てて響いている。分かっていた。これ以上あの力を引き出せば、二度と元の人間には戻れない。短期間で二度の災厄化など、肉体が、魂が持つはずがなかった。
「レン、ダメだよ」
ふと視線を横にやると、半透明の少女がそこにいた。
シエルは絶対に許さないとばかりに泣きそうな顔で、懸命に、何度も首を横に振っている。
「シエル……」
「これ以上はダメ。私でも、もう抑えられないの。……お願い、その力を使わないで」
彼女の言葉が真実であることは、誰よりもレン自身が一番よく分かっていた。次はない。自分の魂をベッタリと黒い泥が覆い尽くしていくような、底なしの飢餓感が頭をもたげ始めている。使えば終わりだ。今度こそ、完全な怪物へと堕ちる。
それでも。
「それでも、それでも、俺は、守りたいんだ」
震える指先を力強く握りしめ、レンは顔を上げた。その双眸に、恐怖の色はもうなかった。
「俺なんてどうだっていい。自分がどうなろうと知るかよ。……たった一人の好きな子すら救えないで、こんなところで倒れてるくらいなら、いつこの力を使うんだよッ!」
迷いを断ち切ったレンの叫びが、血に染まる戦場の空気を切り裂いた。
「あいつを連れ戻す、例え、世界を敵に回すことになっても」
それは魂からの叫び、何もにもなれないレンが、何かになろうとしている。レンがしたいことやりたい事、守りたい事、守りたい人がいる。自分なんてどうでもいい。ただその手の届く範囲のちっちゃなものだけを、それだけを守りたい。
レンは心臓を掴む。
「いくらでもくれてやるよ! 力の代償が何だ、知るか! ……だから、力を貸せ、災厄の獣ッ!!!!!」
ドス黒く、禍々しいまでの爆発的なオーラが、レンの身体を包み込み、夜空を焦がすように渦巻く。
それは周囲の空気を歪め、足元の血だまりを吹き飛ばし、暴虐の気配として戦場全体に叩きつけられた。
獣へと落ちる。
再び顕現した災厄、しかしその獣に絶望の色はない。
「……っ、どうして……!」
シエルが悲鳴とも泣き声ともつかない声をあげる中、災厄の獣となったレンの瞳が、その黄金色の光へと染まった目を前へむける。
獣の咆哮とともに地面を蹴った。




