36話 守りたかったもの
「ザック」
「なんだ」
「巻き込んで、悪いな」
「何言ってんだ、俺が進んでここに残ったんだよ。お前に言われたから残ったわけじゃねーよ」
「そっか」
レンはゆっくりと立ち上がり、村長宅を囲む簡易的なバリケードの前に立った。
先ほどまで前線で戦ってきた頑丈な防壁に比べれば、周囲に浅い溝を掘って丸太を並べただけの、お世辞にも頑丈とは言えない急ごしらえの代物だ。押し寄せるゴブリンの群れが本気で突進してくれば、そう長くはもたないことなど誰の目にも明らかだった。
ふと、背後を振り返る。
避難するはずが、結局は戦うためにシルト村の男たちの大部分が残っていた。
いざ戦闘になれば、真っ先に狙われ、命を落とすかもしれない。それでも、彼らは逃げることを選ばなかった。
「……っ」
前方から、地響きのような土煙が立ち上る。
先ほどの激戦で数はかなり減らしたはずだが、それでもなお、視界を埋め尽くすほどの緑色の群れは健在だった。ぞろぞろと轟くおぞましい魔獣の軍団が、今まさに静かなシルト村へと牙を剥いて迫り来る。
「で、なんか作戦はあるのか? レン」
隣に立ったザックが、愛用の剣を肩に担ぎながら軽口を叩く。
「こっちの手札はもう大体使い切っちゃったからね。あとは、聖騎士団かギルドマスターの援軍が間に合うまでの運頼みかな」
「へっ、あれだけ色々やって、最後は運任せかよ。まあ、俺ら冒険者らしいわ。……よし、やるぞ!」
「おう!」
ザックの号令を皮切りに、防衛線のあちこちから気合の入った声が上がる。
「ゴブリンがきたぞ! 配置につけ! やることはさっきと一緒だ、丸太の隙間からや棒を突き出し、登ってきた奴は足元の溝へ叩き落とせ!」
ゴブリン軍団との最後の戦いが始まった。
そこからは、まさに悪夢のような蹂躙劇だった。
圧倒的な物量の前に、浅い堀は瞬く間に無数のゴブリンで埋め尽くされ、それを踏み台にするようにして急ごしらえのバリケードが容易に引き倒された。
木の裂ける音と、魔獣どもの汚い咆哮、そして人間の絶叫が混ざり合い、シルト村は一瞬にして地獄へと変わった。
レンやザックたちのパーティがどれほど奮戦し、群れを切り伏せても、ゴブリンの進軍は止まらない。
そして恐れていた最悪の現実が、目の前で次々と形になっていく。
戦いに慣れない村の男たちが、若い者たちが。
守ろうと誓ったはずの人々が、ゴブリンたちに引きずり下ろされ、無惨に嬲られ命を奪われていく。
「うわあぁっ……! 誰か、誰かっ……!」
「ぐっ……があっ!」
助けを求める声が、かき消される。
また一人、また一人と、血の海に倒れていく。魔獣の暴力の前に、人の命があまりにも無惨に、紙切れのように散っていく。
守るための戦いは、いつしかただの残酷な殺戮の場へと変わっていた。
土と血にまみれ、地に伏していたレンは、かすむ視界のなかで必死に身体を引き起こした。
見渡す限りの地獄絵図。
無数のゴブリンの死骸と、シルト村の人々の骸。その中心で、ザックとミリアがかろうじてこの狂乱のなかで奮戦を続けていた。
後方を振り返れば、聖職者であるノエルや弓使いのヴァルはすでに動かなくなり、それにより守護魔法がきれたザックとミリアが背中を預け合って戦っている。
だが、多勢に無勢。あまりにも数が多すぎた。
ついには、その細い均衡すらも音を立てて崩れ去る。
ガァッ!
半身を吹き飛ばされたはずの一体のゴブリンが、執念だけで這い寄り、ミリアの足首へと鋭い牙を深く食い込ませた。
ぐらりと、ミリアが大きくよろめく。致命的な隙。
「ミリアっ!?」
とっさにザックがミリアをつきとばす。そこにゴブリンの群れが一斉に殺到した。
ミリアの悲鳴が響く。逃れる間もない。無数の牙と爪が、ザックの顔も、手も、足も、その頑丈な肉体をも容赦なく噛みちぎり、引き裂き、肉をえぐり取っていく。
「ぐあ……っ、がっ……!」
歴戦の戦士の叫びは、数秒も経たずに濁った気道音へと変わり、やがてその体があった場所には、血溜まりだけが残された。
「ざっ……く……?いやあああああ!?」
目の前で起きたあまりにも凄惨な光景に、ミリアが狂ったように叫び声を上げながら魔力を絞り出し、魔法を放つ。だが、枯れ果てた魔力で放たれた魔法など群れを止めるには至らない。
ミリアもまた、群がったゴブリンたちに飲み込まれ、あっけなくザックの後を追うように血のなかに消えていった。
眼前に広がるのは、守りたかったすべてが無惨に散った現実。
なんだ、これは。
なんだ……?
なんなんだ。
血の匂いが、呼吸をするたびに肺を満たす。
間に合わなかった。
守れなかった。
俺のせいで。
心の中で何かが音を砕けていくのを感じる
人間としての感情が急速に萎み。底知れぬ黒い沼へと沈んでいく。抗うことすら忘れたその精神の隙間に、ドス黒い絶望と、すべてを呪う猛烈な飢えがべったりと張り付いていく。
うつろに開かれたレンの瞳の奥で、濁った黒が急速に塗り潰され金色へと変わっていく。
「レン」
誰かの手が、レンの肩にそっと触れた。
黄金に染まった瞳を揺らしながら、レンはゆっくりと首を巡らせる。
そこに立っていたのは、いるはずのない人だった。
避難民として、はるか安全な後方へ逃がされたはずの少女。
この世界で、自分が一番守りたかった人。
いつだって明るく、太陽のように活発な笑顔が一番似合うその子。
「……クロエ……?」
血まみれの戦場の中に、クロエがそこに立っていた。
「レン、遅くなってごめん。でもね、もう大丈夫だから」
戦場の只中で、クロエは元気よく、けれどどこか儚げな笑みを浮かべた。
「何を」
「いっぱい、迷惑かけちゃったみたい。……ザックさんも間に合わなかった……」
クロエは視線をわずかにずらし、変わり果てたザックの血溜まりを見つめて、辛そうに顔を歪める。
「ごめんね、レン」
何を言っているんだ?
なんでそんな、まるでこれから死にゆく者のような口調で……。
嫌な予感が全身かけめぐる。
クロエの両手が握りしめているもの。それはあのゴブリンロードがもっていた、禍々しい魔石だった。
「レンは、生きて」
「な、何やってんだよ……! やめろよ、おい……っ!」
血の気の引いた顔でレンが叫び、飛び出そうとしたその制止の声を、クロエは優しく拒絶するように微笑んで遮った。
クロエはためらいなく、その魔石を自らの胸元へとぐっと押し当てる。
「ありがとう、レンと冒険できて楽しかったよ」
瞬間、クロエの身体が黒いオーラに包まれた。
ドクン、と心臓の音が響き渡り、か細い彼女の肉体が急速に、おぞましく変形をはじめる。
クロエの面影はみるみるうちに飲み込まれ、醜悪な災厄の獣へと、その姿を変貌させていくのだった。




