33話 飢え
レンは猛り狂ったように吠えた。
「があああああああぁあああ!!!」
放たれた凄まじい咆哮の衝撃波が空間を引き裂き、ゴブリンロードの巨体をズタズタに切り裂く。だが、相手の脅威はその異常なまでの再生能力にあった。ちぎれ飛んだ無数の肉片がまるで意思を持つかのようにうねり、下から盛り上がるようにして瞬く間に傷口を塞ぎ覆っていく。
災厄の獣へと姿を変えたレンは怯むことなく、力強く地面を蹴り上げてゴブリンロードへと肉薄した。
鋭く研ぎ澄まされた爪を閃かせ、怪物の肉片を容赦なく削ぎ落す。それと同時に、レンの纏うオーラが発動し、常時腐敗の力がその傷口の肉を黒くドロドロに腐らせて再生を阻もうとした。
しかし、ゴブリンロードは怯むどころか、防御の構えすらせず体内から無数の肉芽の触手をニードルのように鋭く射出した。
あまりの至近距離に回避しきれず、放たれた肉の槍がレンの体を容赦なく貫く。
「ぐうっ……!」
レンは痛みに顔を歪め、傷口を押さえながらたまらず後方へと退いた。
そのわずかな間にも、レンが刻んだはずの傷跡は、すでに完全に埋まりきっていた。
(くそ……! 攻撃を上回るだと? 再生能力ではあいつの方が格段に上だ……。どうする、このままではジリ貧だぞ……!)
災厄の力は、こんなものではないはずだ。シエルの言葉が、脳裏で確信として響く。だからこそ、秘められた奥底の力に頼るまでもなく、いまこの剥き出しのパワーだけでも勝ち切ってみせる!
迫り来る肉芽の触手を、レンは鋭い眼光で捉えて見切り、鮮やかな身のこなしでひらりと避けた。
パターンは読んだ。初撃はブラフ、本命は二発目だ。
読み通りに繰り出された二撃目の触手を、レンは躊躇うことなく素手でガシリと掴み取った。
「もらった!」
筋肉の隆起した腕に凄まじい力を込め、ぐっと手元へ引き寄せる。あまりの怪力にバランスを崩し、巨体を誇るゴブリンロードが宙へと浮き上がった。
レンの方へと引きずり出されたその無防備な懐へ、レンは容赦なく爪を突き立てる。
ズプッ、と肉を断つ重い感触とともに、鋭い爪はゴブリンロードの分厚い胴体を完全に貫通した。
「らぁっ……!」
叫びとともに両腕を大きく引き裂くように振るう。一撃のもとに、ゴブリンロードの巨体は真っ二つに引き裂かれ、鮮血の雨が盛大に降り注いだ。
勝負あり、かに見えた。
だが、絶命するどころか、左右に分かたれた肉の塊はグチュリとグロテスクな水音を立てながら、レンの目の前すぐさま引き寄せ合うように再結合していく。
「おいおい……マジかよ」
呆れと戦慄の入り混じった声を零す間もなく、再生を終えたゴブリンロードは元の異形の巨体に完全に戻り、再びレンを見据えた。
周囲の地面を這う肉片がまるで生き物のようにうねり、レンへと襲いかかる。
とっさに身構えて受け止めようとした瞬間、レンは足元に違和感を覚えた。
「っ……!?」
いつの間にか、足首から下が肉片に飲み込まれ、ガチガチに固められていたのだ。地面から伸びた触手が呪縛のように彼の足場を奪い、その動きを完全に封じ込める。
動けない。
回避の動作が遅れたその数秒の隙を、ゴブリンロードは見逃さない。
周囲にうごめいていた無数の肉片が一斉に牙を剥いた。
バキバキと音を立てながら伸びた太い触手が、レンの両腕と両脚を容赦なく絡め取り、十字に張り付けるように地面へと固定する。四肢の自由を完全に奪われたレンの巨体に、ゴブリンロードは容赦なく凶悪な肉の槍を叩き込んだ。
突き刺さり、抉られ、肉が破裂する。
「ぐうっ……あぁっ……!」
とめどなく溢れ出る血と、全身を駆け巡る激痛。あまりのダメージに、レンの意識が飛びかける。
視界が歪み、絶望的な気配が全身の神経を焼き尽くしていく。
「痛い痛い痛い痛い……!」
次々と肉を抉られ、全身の自由を奪われた絶望の中で、レンの思考が恐怖と激痛に染まっていく。
ただの肉塊として喰らい尽くされ、あの醜悪な化け物の糧になってしまう。恐怖そして死。
「ああ俺、ここで死ぬのか……」
レンの頭の中で、張り詰めた糸のようなものが弾けた。
それは理性の声ではない。飢えた獣の本能だった。
「ガアアアアアアアッ……!!!」
喉の奥から絞り出されたのは、もはや人間の言葉ではない。獣の咆哮だった。
その瞬間、レンの全身を纏うオーラが爆発的に膨れ上がり、四肢を縛りつけていたはずのゴブリンロードの触手を、腐敗し、四散させる。
四肢の自由を取り戻したレンは、剥き出しの牙と爪で目の前で慄くゴブリンロードへと文字通り飛びかかった。
牙がその肉体を容赦なく噛みちぎる
引き裂き、削ぎ落とし、そして喰らう。
怪物の肉を、血をそのものを、レンは野獣の如く貪り食い尽くしていく。
どれほど再生しようとも、それを上回る速度で引き裂き、噛み砕き、その存在のすべてを胃袋へと叩き込む。
ゴブリンロードの声がただの断末魔の悲鳴へと変わっていく。
グアアアッ……ギャアアアッ……!!
その暴力の前に、すべてがすり潰されていく。
再生しようとする端から肉が引き剥がされ、骨が砕かれ、その存在のすべてが生肉として胃へと消えていく。
血溜まりの泥濘の中で、いまやこの空間に存在しているのは二つの理だけだった。
すべてを貪り尽くす飢えた捕食者と、ただ命を削り取られるだけの、逃げ場のない食われるもの。
災厄の獣は全てを喰らい尽くし、跡形もなく消え去ったゴブリンロード。その場に残されたのは、ドス黒い血溜まりと、狂気に満ちた眼光をぎらつかせる、完全に獣へと変貌しきったレンの姿だけだった。
絶対的な恐怖の絶叫が、どこまでも虚しく反響していた。
レンの全身を狂気に染め上げていたオーラが、まるで嘘のようにスッと霧散していった。
肌を焼くような飢餓感が消え去り、肥大化していた肉体がみるみる縮み、人間の姿へと戻っていく。血塗れていた爪や牙が元の形に戻り、荒く乱れていた呼吸が静まっていった。
災厄の力は消え失せ、彼は完全にもとのレンへと戻る。
だが、その身体にまとわりついているのは、隠しようのない大量の返り血と、ゴブリンロードを貪り食った生々しい生肉の残滓だった。




