30話 シルト村防衛戦
「以前クロエとこの村の全容はみたことがある。この村はすり鉢状の深い盆地にある。つまりだ、高低差がかなり大きい。高所や斜面に陣地をひき、ゴブリンどもを追い込む」
「そんなうまく行くかね」
「こればっかりはやってみないと分からないな。俺の東ルートの封鎖がうまくいったら、谷の入口の侵入ルートの待ち伏せができる」
「逆を言えば、レンが東ルートの封鎖に失敗すれば、挟撃されて終わりだな」
「ああ、だから絶対失敗できない」
「ザック、今回のリーダーは任せる」
「おいおい、お前の方がいいじゃないか? 少なくともシルト村の連中は、レンがリーダーの方が士気があがるだろう?」
「そうなんだろうけど、俺はゴブリンロードを抑えるので精一杯だからさ。実際に指揮をするのはザックだ。それに、冒険者としての階級もザックが上だ」
「レンがそう言うなら、まあやるがな」
レンの言葉を思い出し、ザックはわずかに息を吐き出す。
シルト村へ入る谷の入り口、その険しい地形を利用し、ゴブリンどもを待ち伏せするための罠や、木で造られた簡易的な野戦城が着実に作られつつあった。
「ザック、こっちの防衛陣地は完了したぞ。シルト村の連中、手が早くて助かる」
「ああ、わかった。こっちももうすぐ終わる」
ズドンッ!!
その時、遠くの空がカッと朱色に染まった。
重い爆音が、谷全体を激しく揺るがす。
東の伐採場の方角から、黒煙ともに巨大な爆炎が真っ直ぐに吹き上がった。それは強力な魔法の爆発であり、レンが戦闘を開始したことを告げる狼煙だった。
「……始めやがった」
ザックは手を止め、遠くの空に立ち上る黒煙を険しい眼差しで見据える。
「……死ぬなよ、レン」
誰にも聞こえないほどの小さな呟きを飲み込み、ザックはぐっと歯を食いしばる。
「おい、野郎ども! 始まったぞ! すぐに客人がご到着だ!」
遠くで上がった爆炎から数刻も経たないうちに、それは現れた。
木々の隙間を縫うようにして姿を現したのは、おぞましい緑色の異形たち。数え切れないほどのゴブリンの群れが、ザック達の目前へと迫り来る。
「グギャアアアアッ!」
「ギギギ……!」
耳障りで不快な鳴き声を響かせながら、奴らは一斉に突っ込んできた。
数十匹どころの騒ぎではない。視界を埋め尽くすほどの緑の塊が、大地を揺らしながら狂乱の疾走を見せる。ゴブリンロードの命令など存在しない。ただ野生の本能と血への飢えに従い、縦横無尽に暴れ狂うだけの烏合の衆だ。
だが、その統率のなさゆえの圧倒的な物量と無軌道な突撃こそが、生きた津波となってそのまま牙を剥く。
ただの群れが、そのまま巨大な殺戮の壁と化して、シルト村の守る者たちの目の前に立ちはだかった。
ゴブリン達を前に村人たちの顔つきが一変する。それは戦いへの高ぶりによる武者震いか、武器がわりの農具を指の関節が白くなるほどギュッと握り締め、ある者は顔面を真っ青に染めて、ガタガタと足を震わせていた。
「おい、下を見るな! 前だけを見てろ!」
気迫に満ちたザックの一括。
「お前らの後ろには守るべきものがいるんだろう! ここで尻尾を巻いて逃げ出したら、すべてを失うことになるぞ!」
「ああ、やるぞ……!」
「守るんだ、俺たちの家を……!」
「母さん……!」
震えていた声は、いつしか自分自身を鼓舞するための叫びに変わる。
恐怖を飲み込み、覚悟を決めた村人たちの瞳に、まっすぐな炎が灯った。武器を握る手にぐっと力が入り、構える姿勢に迷いが消え失せる。
ガアアアアアアア!
木々を押し分け、シルト村防衛前線に一斉になだれ込んでくる。
ゴブリンの群れが、ついに視界の距離まで迫ってきた。無数の血走った目が、坂を駆け登り村人たちを捉える。
「今だ……! 引けぇっ!!」
ザックの鋭い合図とともに、斜面の途中に仕掛けられた罠の引き手が引かれた。
ゴゴゴゴゴッ……と地響きを立て、斜面の上から大量の巨大な丸太と落石が、雪崩のようにゴブリンの群れへと向かって転がり落ちていく。
圧倒的な物量で突進してきたゴブリンたちにとって、その数の多さが逆に逃げ場を奪う最悪の結果となった。
密集しすぎて身動きが取れなくなった群れの中心へと、丸太と落石が容赦なく叩きつけられる。
「ギィッ……!? ギャアッ!?」
鈍い破裂音とともに、何匹ものゴブリンの体が文字通り吹き飛び、無惨に押し潰されて地面にひしゃげた。
さらに、勢い余って吹き飛ばされたゴブリンの残骸や負傷者たちは、後ろから止まることのできない後続の群れに踏み荒やされ、血の泥へと化していく。
斜面を転がり落ちた巨大な丸太と落石は、密集して突進してきたゴブリンたちに甚大な被害をもたらした。逃げ場を失い、文字通りすり潰された緑の群れは、最初の突撃の勢いを完全に削がれ、凄まじい数のゴブリンが一掃する。
「うおおおおっ、やったぞ……! 俺たちの攻撃が効いたんだ!」
「いける……! 俺たちでも、あの化け物どもと戦える……!」
簡易城壁の後ろから戦況を見守っていた村人たちから、歓声と安堵の混じった声が上がる。恐怖に凍りついていた心に、自信と熱い高揚感が灯った。
しかし、その歓声も、すぐに急速にしぼんでいく。
目の前で繰り広げられていたのは、常軌を逸した、光景だった。
仲間が無惨な死を遂げようとも、後続のゴブリンたちはそこに怯えすら見せない。まるで目の前に転がる肉の塊が最初から存在しなかったかのように、仲間たちの屍を容赦なく踏みつけ、乗り越えて前進してくる。
それだけではない。
まだ手足をバタつかせて生き延びている仲間さえも、後から押し寄せる大群は踏み潰し、ただひたすらに前へ、村へと走る。
「なんだ、あれは……仲間だぞ……!」
村人の一人が、恐怖に震えながら呟く。
先ほどまでの高揚感は霧散し、異常なこの戦場の恐怖と悪寒が防衛線を守る全員の体を支配していった。
ザックは剣を閃かせ、簡易城壁の丸太に爪先をかけて這い上がってきたゴブリンの首筋を綺麗に両断した。噴き出す緑の血を浴びながら、舌打ちを漏らす。
「くっそ、こいつら止まんねえ……! 仲間を踏み潰してまで……マジでイカれてやがるっ!」
レンの読みは、大筋では完璧に当たっていた。
統率者を失ったゴブリン軍団は、残された本能と最短の道、南側の洞窟ルートを一直線に駆け抜け、このシルト村へと雪崩れ込んできた。地形を利用した罠も、最初の攻撃に対して十分な戦果を挙げた。
だが、レンの計算を狂わせた、決定的な要素が一つあった。
それは、背後で文字通り怪物へと変貌を遂げつつあるゴブリンロードに対する、底知れぬ恐怖だった。
異形への恐怖が、群れ全体の理性を完全に焼き切っていた。
恐怖と逃走本能が、烏合の衆だったはずのゴブリンたちを、仲間をも踏み台にして止まることを許されない死の兵へと変えたのだ。
当初の予定では、幾重もの罠と強烈な遅延工作によってゴブリンたちの打撃を与え、その士気を完全に挫くはずだった。
しかし、死の兵たちは、仲間がどれだけ死のうとも歩みを緩めない。防衛ラインの周囲にはすでに無数のゴブリンの死体が山のように積み上がり、奴らはその屍を踏み台にして、簡易城壁へとよじ登ってくる。
もはや後方で支援するだけの予定だったシルト村の面々も武器を取らざるを得ず、戦場は凄惨な様相を呈していた。
「ゴブリンが上がってきたら何でもいい! 棒でもクワでもいいから突いて落とせ! 城壁を突破されたらおしまいだぞ、一歩も入らせるな!」
ザックの怒号が響き渡る。
ザックたち冒険者と村人たちの死に物狂いの奮戦は、かろうじて防衛線を支えていた。幸いだったのは、狂乱化したゴブリンたちが恐怖のあまり本来のずる賢さを失い、ひたすら直進するだけのワンパターンな攻撃に終始していたことだ。軍事訓練を積んでいないシルト村の男たちでも、必死の思いでどうにか対応することができた。
「せーの、落とせッ!」
村人の一人が声を張り上げ、手に持った槍や尖った木の棒で、城壁に這い上がろうとするゴブリンを突き飛ばす。
「交代しろ!」
ザックの号令とともに、疲労の色が見え始めた村人の後ろから、別の男たちが素早く前衛へと入れ替わる。
「突き続けろ!」
代わった村人たちが一斉に突きを繰り出し、群れの勢いを押し戻していく。
ザックの統率と、村人たちの必死の継戦能力により、戦線は何とか持ちこたえていた。だが、それはあまりにも脆く、文字通り薄皮一枚の上で成り立つ危うい均衡にすぎない。
ほんのわずかなほころび、一つの小さなミスが生じれば、一瞬で破綻しかねない攻防が続いていた。




