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29話 災厄の力

 

 ゴブリンロードが転移陣に手をかざすと視界が、ぐにゃりと歪む。

 

 ジメジメとした暗い洞窟の底から、景色が一瞬にして切り替わった。


 ゴブリンロードは血走った単眼をギラつかせ、前を見据えた。

 

 そこに立っていたのは、仁王立ちする忌々しい冒険者。

 

「みつけたぞ……小僧。今度こそ、その手足をもぎ取り、あの実験体を目の前で、八つ裂きにしてや……!」

 

 残虐な笑みを浮かべ、喉の奥から這い出るような声を出した、その刹那。

 

 ドォンッ!! と、足元が砕けた。

 

「……ぐえ?」

 

 空間を繋いでいたはずの転送呪文が、暴走し、凄まじい閃光とともに内部から大爆発を起こした。

 

 制御を失った魔力が空間を断裂し、ゴブリンロードの肉体を容赦なく引き裂く。


「がっ……あ……!?」

 

 思考が追いつくよりも早く、破壊音が響き渡る。

 

 両腕が、両足が、ちぎれ飛んだ。


 


 「……今だ」

 

 転送装置が鎮座する小屋の四隅。そこに仕掛けられた変異体の魔石を組み込んだ高負荷の設置型魔道具。


 変異体の魔石は、起動した瞬間に限界値を超えたエネルギーを解放する。

 

 ズドンッ!! と、凄まじい爆音が響き渡った。


 木造の小屋が内側から一瞬にして木端微塵に吹き飛び、ゴブリンの群れを飲み込んで、灼熱の爆炎があがる。

 

 空間を繋いでいた転送の魔法陣が、その爆発の衝撃によって文字通り引き裂かれた。

 

 まだ完全に空間を渡りきっていなかった後続のゴブリンたちは途中で遮断される。空間の裂け目に巻き込まれた者たちは、凄まじい逆流の魔力に引き裂かれ消え去った。

 

 だが、それだけでは終わらない。

 

 転送の最中、まさにその中心点にいた者たち、ゴブリンロードと、その周囲を固めていたゴブリンたちは、空間転移の不安定な魔力と爆発のエネルギーを至近距離で同時に浴びることになった。

 

「ギ……ガ……ァ……!?」

 

 悲鳴すら上げる暇すらなかった。

 

 超高圧の爆風と空間断裂の余波が、彼らの肉体を容赦なく巻き込む。ゴブリンロードの両腕と両脚が引きちぎられて宙を舞った。周囲にいたゴブリンたちの体もまたにちぎれ飛び、鮮血と肉片が爆炎と共に四方八方に飛び散る。


 まさに死屍累々。

 

 爆煙が晴れた伐採場は、一瞬に地獄の惨状と化していた。原形をとどめないゴブリンたちの肉片が辺り一面に散らばり、緑の血の海を作り出している。

 

 その血と肉の中心で、四肢を失いながらも、ゴブリンロードは死んでいなかった。

 

「ギザマァァァァァァァァッ……!!」

 

 常軌を逸した絶叫が、森を切り裂く。

 

 すでに左目を失い、両腕も両脚も吹き飛んでいるというのに、その異様な執念と狂気だけは衰えるどころか、マグマのように煮えくり返っていた。這うように体を震わせ、ゴブリンロードは剥き出しの殺意をレンへと叩きつける。

 

「すまんな。普通にやったら勝てない相手だからさ、使える手は全部使わせてもらった」

 

「にんげん……! 人間風情がぁぁぁぁぁぁぁっ……!!」

 

 その瞬間、ゴブリンロードの肉体が異様な膨らみを見せた。


 傷口から赤黒い肉の塊、触手のような肉芽が何本も飛び出し、周囲の瓦礫や、かろうじて生き残っていた部下のゴブリンたちへと襲いかかる。

 

「グェっ……!? ギャッ!?」

 

「ギャウ………!?」

 

 ゴブリンたちは恐怖に顔を歪め、必死に這いつくばって逃げ出そうとしたが、背後から伸びた肉の塊に捕らわれ、生きたまま捕食されていく。

 

 バキバキ、グチャリと骨と肉が潰れる音が響き渡り、逃げ惑うゴブリンたちの絶叫が次々と飲み込まれた。周囲に散らばる死肉や生き残りを文字通り吸収し、ゴブリンロードの醜悪な肉体はみるみるうちに肥大化し、歪な再生を始めていた。

 

「……っ!そんなのありかよ」

 

 あまりの異様な光景に、レンは思わず息を呑み、一歩後ずさった。

 

 部下の命を糧にして自らを再構築していく怪物。ゴブリンロードの成れの果てだ。


「ぁぁ……あああぁああああああ!!!!!」

 

 触手が鞭のようにしなり、猛烈な勢いで突き出される。

 

 レンはその触手を盾で受け止めた。


 ガツンッ!!!


 すさまじい衝撃と金属音が森を切り裂いた。


 無数の部下を喰らい、より巨大で醜悪な異形へと変貌を遂げたゴブリンロード。その肉塊から繰り出された触手の一撃は、視界が歪むほどの衝撃とともに叩きつけられた。


「ぐうっ……、重っ……!」

 

 歯を食いしばり、必死に盾で受け止める。だが、普段愛用していた小ぶりのバックラーとは違う、ザックに借りた中型の防具であっても、伝わってくる質量は規格外だった。腕の骨がミシミシと悲鳴を上げ、痺れが肩の付け根まで駆け抜ける。こんな一撃が何発も叩きつけられれば、到底持ちこたえられるはずがない。


「ああああ! ぁぁぁぁぁぁっ!!」


 思考する間もく追撃の第二波がレンを襲った。

 

「っ……!」

 

 盾で完全に防ぎきれなかった衝撃が身体を直撃し、レンの体は宙に浮き上がったまま、そのまま数メートル先へと盛大に吹き飛ばされた。

 

 地面に転がったレンが慌てて手元を確認すると、頼みの綱であった盾は中心から大きくベッコリと凹み、使い物にならなくなっていた。

 

「ははっ……分かっては、いたけどさ……やっぱ、きっついな……」

 

 口元から漏れた血を拭いながら、レンは自嘲気味に笑った。


 結局のところ、自分はD級の冒険者だ。対する相手は、国が討伐隊を組むレベルのA級相当の魔獣。いくら知恵を絞り、奇策をろうしたところで、運や小手先の技術だけでは絶対に覆せない圧倒的な力の差がそこにはあった。

 

 ましてや、肉塊と化した今のゴブリンロードは、先ほどまでの統率者としての狡猾さすらない、純粋な暴力の塊だ。

 

 あの罠でさえ、致命傷には届かなかったか……。

 

 視線の先では、巨体がぐにゃぐにゃと脈打ち、無数の触手をうねらせている。

 

 D級冒険者が一人で挑むなど、無謀を通り越してただの自殺行為に他ならなかった。

 

 計画通りにはいかない。人生も、戦いも、そう簡単にはうまくいかない。

 

 それでも、レンは震える足に力を込め、ひしゃげた盾を放り捨てた。


「……それでも、諦めるわけにはいかないんだ。戦うしかないんだよ……っ!」

 

 盾を捨て、軽快になった体でゴブリンロードへと肉薄する。触手をよけ、


 狙うは一撃必殺の突き。

 

 握りしめた剣を、敵の心臓めがけて真っ直ぐに突き立てる!

 

 レンの剣は届いた。だが、肥大化したゴブリンロードの肉塊は、もはや通常の生物の構造をしていなかった。

 

 刃が心臓に到達する寸前、ドロドロと波打つ肉の壁が隆起し止まった。肉塊に刺さったレンの剣を弾き飛ばす。分厚い肉塊の牙城に阻まれ、どんなに力を込めても届かない。

 

「ぁっああああ!」

 

 焦燥を覚える間もなかった。

 

 不気味にしなった無数の触手が、鞭のような風圧を伴ってレンを捉えた。


 ドスッ! と、凄まじい衝撃がレンの体を直撃する。

 

「ぐぅっ……ああっ!」

 

 受け身を取る暇もなく、レンは吹き飛び、硬い地面へと転がった。

 

「……くそ……っ……」

 

 這い上がろうと爪を立てるが、先ほどダメージが蓄積し、思うように身体が動かない。

 

 その足元へ、ドチャリ、ドチャリと、肉を鳴らしながら、ゴブリンロードがゆっくりと一歩、また一歩と歩み寄ってきた。

 

 逃げ場はない。絶望的なまでの壁。


「ぁあ……ごめん。シエル、力を借りる」

 

 目の前の圧倒的な魔獣を前にして、選べる道は一つしかなかった。

 

 レンが胸元に当てた手に、ぐっと力がこもる。

 

 その瞬間、世界からすべての音が消え去り心臓の音が強くなる。

 

 内側から沸き上がるのは、血の一滴、骨の髄まで焼き尽くすような黒い力。変異体との戦いの中で見出した災厄の力が、一気に堰を切ったように溢れ出す。

 

「ぐっ……あ……あぁぁぁっ……!」

 

 ドス黒く死のオーラが、凄まじい暴風となってレンの身体を丸ごと包み込んだ。

 

 青く、そして漆黒の闇に染まる禍々しい光が明滅する。人間のものだった皮膚がみるみるうちに硬化し、裂け、異様な変異を遂げていく。

 

 パキパキ、と骨格が軋む不気味な音が響く。

 

 手足は引き伸ばされ、鋭利な爪と獣の毛並みを纏った強靭な四肢へと変貌していく。装備はブチブチと音を立てて引き裂かれ、もはや原形をとどめない。

 

 それは、人間などではない。誰もが恐れる本物の災厄の獣そのものだ。

 

 本能と殺意の底から黄金色の獣の瞳がカッと見開かれる。

 

 無数の触手をうねらせて迫るゴブリンロードの異形の肉塊をその爪で吹き飛ばす。変異したレンは地を抉るような低く重い咆哮を森に響かせた。


「これは……?」

 

 レンは自分の変化に目を見張り、獣と化した手を開閉させた。

 

 内に満ち満ちていく、底知れない暴力的なまでのエネルギー。これが災厄の力というものなのか。その身体はもはや、完全に魔獣だ。

 

「レン」

 

 不意にかけられた声に、レンははっと息を呑んで視線を横へと向けた。

 

「シエル……!? お前、生きて……いや」

 

 そこに立っていたのは、見慣れた少女の姿だった。しかし、その輪郭は朧げで、半透明に揺らいでいる。

 

「見えてるのは、レンだけだよ」

 

 シエルは切なげに、それでもどこか嬉しそうな、穏やかな笑みを浮かべた。

 

「それは災厄の力。あなたは今、私の力をほんの少しだけ発現させたの」

 

 自分の腕に絡みつく漆黒のオーラと、獣の毛並みを見下ろし、レンは言葉を失った。これほどまでに強大な、世界を歪めるような力が、まだほんの一端だと言うのか。

 

「……俺は、あの変異体に使った腐敗の能力が、この力の正体だと思ってたよ」

 

「ううん。あれはただの副産物にすぎないわ。本来の力を顕現させる時に生じる余波……私が普段、必死に抑え込んでいたものよ」

 

「……すまない、シエル」

 

「ううん、大丈夫。レンが自分で選んだことだもの。……でもね、レン。その力を使いすぎないで。あなたは本当に飲み込まれて、二度と戻れなくなってしまうから」

 

 確かに、この姿になってから、自分のなにか大切なもの、人間としての輪郭や記憶が理性がこぼれ落ちるように削ぎ落とされていくような感覚がある。人間ではない何かに変わっていくそんな………。

 

「…………わかった」

 

「うん……あなたを信じているから」

 

 そう言い残すと、シエルの姿は溶けるように消えていった。

 

 これが、災厄の力の正体。

 

「……っ!」

 

 異形の肉塊がぐにゃりと動く

 

 無数の命を貪り食ったゴブリンロードが、その巨大な体をミシミシと音を立てて起き上がった。

 

 獣と化したレンは低く唸り声を上げ、その血走った黄金の瞳で敵を真っ直ぐに見据えた。

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