26話 戦う意志
村長宅の前には、ガディの急な呼びかけに応じて集まったシルト村の住民たちがひしめき合っていた。事情を飲み込めず、戸惑いの表情を浮かべる者もいれば、ただならぬ緊迫した空気にざわめく者もいる。
「みな、急に集まってもらってすまない。……急ぎで話さなければならない事態が起きたのだ」
「つい先日、この若い冒険者殿が村の依頼を引き受けてくれたのは、皆も承知していると思う。そこでレン殿が旧伐採道の奥を調査を行ったところ、とんでもないものに遭遇した……」
「ゴブリンロードだ」
ガディが言い淀んだ言葉を、レンが静かに引き継いだ。
レンはゆっくりと住民たちの前に進み出る。
「みなさん、はじめまして。今回、アイゼンヴェールの冒険者ギルドから派遣された、D級冒険者のレンと申します」
レンの名乗りに、シルト村の人々は不安げにお互いの顔を見合わせた。
「ガディから話しがあった通り、旧伐採道にゴブリンロードが現れたのは事実です。それだけではありません……南の廃坑には、数え切れないほどのゴブリン軍団が確認されています」
瞬間、割れんばかりのどよめきに包まれた。
「ゴブリンの軍団だって……!?」
「そんなバカな、あんな洞窟に……!」
「嘘だろ……?」
現実を受け入れがたい恐怖と動揺が、人々の間に波及していく。
「そして……おそらくゴブリン軍団は、俺たちを追ってこの村へと向かってきている可能性が極めて高い」
その言葉がトドメとなった。住民の間から悲鳴のような声と、怒号が巻き起こる。
「おい、ふざけるなよ! なんでそんな化け物の大軍を、この村に引き連れてきたんだ!」
「俺たちの村を滅ぼす気か……!」
「レン殿、それは本当なのですか……?」
ガディが血の気をうせた顔で、震える声で問いかけた。
そういえば、ガディには村の避難を急がせただけで、ゴブリンたちの具体的な規模や軍団の数までは詳しく伝えていなかった。
「ああ、事実だ。実際にあの廃坑の奥に入り、俺の目で直接確かめた。……百体、いや、それ以上の大軍だ。一つの街を丸ごと潰し尽くせる規模だと思っていい」
レンの口から告げられたその数字は、広間にいる全員を黙らせるには十分すぎるものだった。
数百の魔獣の群れが、自分たちのすぐ足元まで迫っている。今この瞬間も、逃げ場のない死がすぐ隣まで忍び寄っているという現実。
その恐ろしい事実を突きつけられた村人たちの間に、再び重苦しい沈黙が落ちた。
そして次の瞬間、それはどうしようもない憤りと、やり場のない怒りへと変わっていく。
わかっている……。この少年や、あの傷ついた少女が悪いわけじゃない。そんなこと、頭では分かっている。
だが、恐怖に押しつぶされそうな心を保つためには、何かにすがり、何かに怒りをぶつけるしかなかった。もしもこの怒りを発散させなければ、自分たちの心は音を立てて崩壊してしまう。そうせずにはいられないほど、彼らが抱えた恐怖は切実で、大きすぎたのだ。
向けられる怒りと恐怖の視線。レンはそれを分かっていたからこそ、それを避けることも弁解することもしなかった。ただ真っ直ぐに村人たちを見据え、その非難の言葉をすべて受け止めるように黙った。
「……」
ガディが一歩前に出る。両手を大きく広げた。
「まあ、みんな待て! 落ち着くんだ!」
村長の一喝に、わずかにざわめきが収まる。
「たとえレン殿がゴブリン軍団を引き寄せたのだとしてもだ……! だが、考えてもみてくれ。もしレン殿が命がけで調査してくれなければ。命がけで廃坑に行ってくれなければ。この村のすぐ近くにそんな大軍が迫っていることに気付けたか?きっと寝込みを襲われて全滅していただろう。感謝こそすれ、ここで彼らを批判するのは筋違いというものだ」
「そりゃあ、そうかもしれねぇけどよ……でも……!」
村人たちはまだ恐怖と納得のいかない感情を拭い切れていない様子だったが、それでも村長であるガディの言葉に、どうにか頭では理解しようと押し黙った。
ガディの背後から、レンはしっかりと村人たちを見据えた。
「俺が廃坑の入り口を塞いできた。だから、ゴブリン軍団がすぐにこの村を襲うことはないはずだ」
レンのその言葉に、張り詰めていた空気がほんのわずかに緩み、村人の間に安堵の息が漏れる。
今すぐ襲われるわけではない。まだ、時間がある。その事実だけでも、村人たちの心を繋ぎ止めることができた。
「俺がこのシルト村で足止めをする。だから、みんなは逃げてくれ」
レンの言葉に、先ほどまで声を上げていた村人たちは、困惑と複雑な表情で互いの顔を見合わせた。
「一人は怪我をしているって聞いたぞ! 」
「たかがD級の冒険者が、一人で何ができるって言うんだ!」
不信感をにじませた村人の声が、空気を重くさせる。
「ああ、その通りだ。俺はそこらの下っ端と同じ、ただのD級冒険者だよ。でも、足止めくらいはできる」
「おい、ちょっと待て。そもそも冒険者だろ? 依頼の範囲外なら、わざわざ命を張ってこんな小さな村を救う義理なんかないはずだぞ?」
「そうだそうだ、タダ働きで命を捨てるような真似をする理由がどこにあるんだよ」
「……俺には今、絶対に守るべき存在がいる」
「クロエはあのゴブリンどもの手にかかって、今はこの村の奥で動けないでいる。俺は絶対に、あいつを置いて逃げたりしない」
「だから……俺がここで引き下がることはない。俺がここに残り、時間を稼ぐ。皆んなは、その間に逃げろ」
ざわめく村人たちの後方……その一番後ろから、力強い声が響いた。
「俺は、俺は戦うぞ!」
声を張り上げたのは、レンたちがシルト村に到着したとき、一番最初に出迎えてくれたあの親切な夫婦だった。彼は妻の手をしっかりと握りしめ、怯えを振り払うように村人たちを見回す。
「この村には、俺たちの畑も、これまでの財産も、家族と作り上げてきた家だって、全部ここにあるんだ……! ここを追われたら、俺たちはどこに行けばいいっていうんだよ……!」
その言葉に、周囲の村人たちがハッとして息を呑んだ。
「……」
「みんなもそうだろう!? 脅威に怯えて、冒険者の若い兄ちゃんに丸投げして、言いたい放題言って、自分たちは逃げ出すなんて……そんなんで恥ずかしいと思わないのか! 俺たちはいつだって、厳しい冬や魔獣の被害だって、みんなで助け合って乗り越えてきたはずだろ!」
彼の胸から絞り出された熱い言葉が、気弱になっていた村人たちの心に火を灯していく。
「……村の危機なんだよ!よそ者である彼一人に背負わせるわけにはいかないだろ!俺たち自身の村は、俺たちの手で守ろう!」
その言葉をきっかけに、先ほどまで恐怖に支配されていた人々の顔つきが変わり始めた。
「……そうだな。俺たちにだって、守るべきものがある」
「いつまでも逃げてばかりじゃいられないか」
「手伝う、武器なら納屋にある!」
村人たちの中から次々と賛同の声が上がり、広間に充満していた絶望の空気が、確かな戦う意志へと変わり始めていった。
その光景を目の当たりにして、レンは胸の奥を熱いものを感じる。
……俺なんかよりも、よっぽど強い。
彼らは魔法も使えなければ、魔獣と渡り合うための特別な戦闘すべも持っていない。ただの平穏な日常を生きる村人たちだ。自分は、クロエがいなければ恐怖に負けて、きっと最初の一歩を踏み出す前にすべてを放り出して逃げ出していただろう。自分はいつだって、保身ばかりを考える臆病者のままだ。
それなのに。
彼らが、恐怖に震えながらも、それでもなお立ち上がった。自分たちの手で、この場所を守り抜くと決意した。
ほんの少し前まで、自分と同じように恐怖に足元をすくわれ、すべてを投げ出して逃げ出しそうになっていたはずなのに。それでも彼らは、自分たちが愛する日常を守るために、震える足を無理やり踏みしめて立ち上がった。
その事実に背中を押されるように、レンの胸の奥で燻っていた恐怖と迷いが、熱い決意へと変わっていく。
クロエを救いたい。そしてこの村を守りたい。
震える足を踏みしめ、レンは顔を上げた。その瞳には、もはや迷いの色はなかった。




