23話 牢獄
クロエの意識がゆっくりと浮上する。顔の半分に伝わるのは、ひんやりとした冷たい土の感触だった。最悪の目覚めだ。
視界がぼんやりと霞む中、自分の体を見ると装備を乱暴に剥ぎ取られていた。
鈍っていた思考が覚醒する。
「レンっ!っ……!」
クロエは起き上がるが誰もいない。周囲を確認すると初めていま自分の置かれている状況に気づいた。
「ここは……」
見回せば、そこは地下洞窟だった。ジメジメとした湿った空気が重く、頑丈な鉄格子がはめ込まれている。どうやらここは、捕らえた獲物を幽閉するための即席の牢獄らしい。
「牢屋、かな。……。私、まんまと連中に捕まっちゃったみたい」
ゴブリンといえば、ただの魔獣ではなく群れで人間を拉致し、いたぶるような狡猾な習性を持つと聞いたことがあった。
クロエは意識を集中させて体内の魔力を練り上げようとした。しかし、魔力が霧散して一向に形にならない。
魔力が……練れない……?
不審に思いながら、自分の両腕を改めて見つめる。そこには、いつの間にか肌に食い込むように銀色の金属で作られた腕輪がはめられていた。
魔力を封じる魔道具。力が湧いてこない
嫌な予感を覚えてクロエが自分の手首を引くと、ジャラリと重く冷たい金属音が響いた。頑丈な鉄の鎖が巻き付いており、石の壁に深く打ち込まれガッチリと固定されている。
「はぁ……」
クロエは頭を抱えたい衝動を抑え込みながら、深い、大きなため息を一つ吐き出した。
「レン、大丈夫かな?」
自分がレンを最後に見た光景は変異体と戦っていた光景で。最悪の考えも浮かんだが、頭を振って消す。
「冒険者ギルドやシルト村の人たちに報告しなきゃいけないことは山ほどあるけど、でもまずはこの状況からの脱出が最優先。そもそも、ここはどこなんだろう」
ぐぎゃぎゃ
「……っ」
クロエは反射的に身体を引き締めた直後、不気味な鳴き声とともに三匹のゴブリンが姿を現す。耳障りな笑い声を上げながら近づいてくると、鎖に繋がれたクロエを見下ろし、人間を値踏みするかのような笑みを浮かべた。
「……来るなっ!」
クロエが低い威嚇の声を絞り出すが、ゴブリンたちは嘲笑うように構わず格子を開け、手に持っていた木の棒でクロエの身体を容赦なく突き飛ばした。
「っく……!」
クロエの悲鳴が洞窟に響く。万全なら一蹴できる雑魚どもだが、魔力を封じられ、ボロボロに傷ついた今のクロエに反撃の手段はない。
ゴブリンたちは乱暴に手首の鎖を壁の留め具から外していく。そして、立ち上がろうとするクロエの背中をさらに棒で突き立て、外へ歩くよう促した。
くそっ……!
屈辱と痛みに耐えながら、クロエは必死に身体を起こす。抵抗しても無駄という事はわかった。今は従うしかない……。
クロエは痛む全身に鞭を打ち、ゴブリンたちにうながされるまま重い足取りで牢屋から外へと引きずり出されていった。
ゴブリンたちに連れてこられたのは、地下深くにぽっかりと口を開けた巨大な大穴。人工的に削られたような広大な空間だった。
そして、その広場の中心で歪な椅子に座っていたのは、あのゴブリンロードだった。
ゴブリンロードはクロエを見るとぐにゃりと歪んだ口元に嫌な笑みを浮かべる。周囲には他のゴブリンたちも集まっており、薄気味悪い歓声を上げながらこちらを品定めするように見つめていた。
「ようこそ、わが城へ」
唾液を飛ばしながら、人間の言語を濁った不快な声でそう喋る。その知性を宿した醜悪な顔に、クロエは言いようない吐き気を感じた。
背後から、連行してきたゴブリンがガツガツと容赦なくクロエの背中を棒で突いてくる。「喋れ」とでも言いたいらしい。
「……。私を捕まえて、いったい何をするつもり?」
痛む身体を堪えながら、クロエは鋭い眼光をゴブリンロードに向けた。
すると、ゴブリンロードはクククと喉を鳴らし、愉快そうに歪んだ口元を吊り上げる。
「つかまえる? 自分のなわ張りにむだんに入られたら捕まえるのは当たりまえであろう?」
「それは、あなた達魔獣が村を襲うからじゃない」
ゴブリンロードは杖を地面に突き立て、腹の底に響くような不快な笑い声をあげる。
「ぐげげげ、魔獣が人を喰らうそれが何がおかしい?それに、貴様たち人間どもはまもなく駆逐されるからな。わが軍団でな」
その言葉にクロエは息を呑む。
「軍団……?」
先ほどまで薄暗いだけの空間だと思っていたその地下大広場は、目を凝らせば、おぞましい数の影で埋め尽くされていた。
岩陰から、通路の隙間から、天井の足場から……視界の隅々にまでひしめき合っているのは、数え切れないほどのゴブリンの群れだ。緑色の醜悪な肌が蠢き、涎を垂らしながら不気味な歓声を上げる。
……なに、この数は……っ!?
ただの群れではない。それはまさに、王国の村や街を一つ蹂躙するのに十分すぎるほどの軍団そのものだった。
こんなものがシルト村へ雪崩れ込んだら、村の防衛線など一瞬で崩壊し、誰も生き残ることはできない。
村周辺でのゴブリンの異常発生はこいつらが原因で魔物の暴走などではない。組織された軍団として、人間たちの集落を襲撃する計画が着々と進んでいたのだ。
「そうだ。お前も、あのちっぽけな村も、街も、すべてすべて終わりだ」
ぐげげげげげ!
洞穴の天井が揺れるほどの嘲笑を浴びせかけた後、ゴブリンロードは血走った目を爛々と輝かせ、笑みを深めた。
「計画はわかったわ。けど、そんな重要な企みをなぜ私にペラペラと喋るの?」
クロエの問いかけに、ゴブリンロードは面白そうに鼻を鳴らす。ゴブリンロードが狂気的な笑みを浮かべ、杖から禍々しい光が放たれた。
激しく脈打ち、魔法陣が現れる。
「お前は、我が実験の贄となるのだ」
「え?」
その言葉の意味を理解する間すら与えられず、周囲を取り囲んでいたゴブリンたちが一斉に動き出した。
ガッシリとゴブリン達の腕がクロエの首筋や両腕を捕らえ、身動きが取れないように容赦なく羽交い締めにする。
「なっ……離して!やめて……っ!」
ゴブリンたちがクロエを青白い光を放つ魔法陣の中心へと引きずっていく。魔力を封じられた肉体では、複数のゴブリンを振り払うことなど到底できない。
ゴブリンメイジは歪な魔石を手に持つと。クロエにかがげた。
ドクン、と。
クロエの身体を奇怪な魔力のよどみが包み込んでいく。
「あ……あ……っ!」
頭蓋骨が内側からハンマーで叩き割られるような激痛が走る。
心の奥底……制御しきれない強大な何かが無理やり入り込んでくる。体が引き裂かれ、冷や汗が噴き出し、視界がノイズに染まっていく。
「あ、あああぁぁぁぁぁっ!!」
抑えきれない絶叫が、クロエの喉を突き破って飛び出した。
それは人間に出せるはずのない獣の叫びだ。
レン……。
助けて……。
「くろええええええ!!!」
その瞬間、頭上から魔法が降り注いだ。突如の強襲に虚をつかれたが、ゴブリンロードは直撃を免れるように跳び退いた。しかし、クロエを力任せに抑えつけていた手下のゴブリンたちは避けきれず、降り注いだ魔法の直撃を受けて吹き飛んでいく。
爆風と煙が立ち込める中、レンはクロエの前に立ちはだかった。
「もう、遅い……よ、レン……」
クロエは痛々しい笑みを浮かべて首を振る。
「ごめん……遅くなった」
クロエは目の前に立つ背中を見上げた。
ボロボロになりながらも、自分を守るために盾となっているその姿に、クロエは胸の奥が熱くなるのを感じた。
ああ……、私は……。
出会った頃の、いつもどこか頼りなくて、危なっかしくて、守ってあげたくなるような少年。
けれど、いま目の前にいる彼は違う。死闘を越え、絶望の淵にあってもなお自分のために牙を剥くその背中は、こんなにも大きく、頼もしく見えていた。




