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22話 伐採場

 ポーチの底に残っていたポーションをすべて引き抜き折れ曲がった腕にかける。喉を焼くような痛みとともにボロボロの肉体に無理やり治癒の力が巡らされた。まだ全身が軋むような痛みを訴えているが、じっとしている余裕などない。

 

 先ほど、倒した変異体。その胸のあたりに埋め込まれていた禍々しい魔石を、レンは引き抜いた。冒険者としての習性が、いざという時のためにそれを回収させいていた。

 

 それに討伐の確かな証拠だ。これなら、ギルドへ戻ったときに変異体の存在を証明できる……。

 

 レンは黒く澱んだ気味の悪い魔石をポーチの奥深くへとしまい込み、先ほど変異体が投げた片手斧も拾い上げた。レンはそれを乱暴にベルトへと吊るし、支給用の剣の柄とボロボロに引き裂かれた盾をギュッと強く握りしめる。

 

 高級な業物でもなければ、決して切れ味が良いわけでもない。だが、死線を共にくぐり抜けたこの剣と盾こそが、今のレンにとって唯一にして最大の相棒だった。

 

「……頼むぞ」

 

 小さく呟き、剣と盾を収める。

 

 だが、勝算などどこにもない。

 

 ボロボロの装備で、一体何ができるというのか。相手は厄介な魔法を操るゴブリンロードだ。それに、これから向かう場所は連中の巣窟であろう最奥の伐採場。ゴブリンロード一匹だけでなく、他の生き残ったゴブリンたちが待ち構えている可能性も高い。

 

 頭の片隅で、理性が警鐘を鳴らす。

 

 今すぐギルドへ引き返し、応援を頼んでから討伐隊を組織した方が、生存確率は圧倒的に上がるはずだ。

 

 だが、レンの中にその選択肢は微塵も存在しなかった。

 

 魔獣としてのゴブリンの習性、そしてあの群れが持つ残虐性を誰よりも知っている。クロエの身にこれから何が起こるかを想像するだけで、血の気が引く。街に戻り、体制を立て直している時間など残されていない。今この瞬間も、時間との勝負が始まっているのだ。

 

「……行くしかない、か」

 

 戦力は、満身創痍の自分一人。

 

 作戦などない。ただクロエを助け出し、隙をついて逃げ延びるだけだ。


 悲鳴を上げる筋肉に気力を叩き込み、レンは一人足を踏み出した。



 

 痛む足を引きずりながら、足元のおぼつかない緩やかな坂道を上っていく。

 

 木々の隙間を縫うように進むこと十数分、鬱蒼としていた視界が唐突に開けた。

 

「……ここか」

 

 そこにあったのは、人間たちの営みの残骸。かつての伐採場だった。

 

 山肌の斜面を切り開いて作られたその場所は、周囲の深い森とは異なり、ぽっかりと不気味な空白地帯のように木々が失われている。

 

 覚悟を決めて踏み込んだその場所は、レンの予想を盛大に裏切るものだった。

 

 ガランとしていて、人気がない。


 ゴブリンどころか魔獣の一匹すら見当たらない。静まり返った空間が広がっているだけだった。

 

「どうなっている……? クロエは? ゴブリンロードはどこだ……っ!」

 

『あの伐採地の方向から私たちの村へと降りてくることが多く』

 

 思い返せば、村長は確かにそう言っていた。だが、よくよく考えれば伐採場に住みついているとは一言も言っていなかったはずだ。レンは旧伐採道にゴブリンがくるなら伐採場に巣があると勝手に思い込んでいた。

 

 あの言葉の通りなら、連中にとってここは単なる通り道や中継地点に過ぎないということになる。

 

 ……なら、本拠地はもっと奥にあるのか? それとも、別の場所……っ!

 

 あいつらはどこから現れ、どこへ消えるのか。人間には気づかれない裏道があるのか。

 

「くそっ……何かあるはずだ。痕跡が……!」

 

 荒れた敷地の隅、折れた丸太と積まれた資材の隙間に、見覚えのある小さな布袋が落ちているのが目に入った。

 

 急いで駆け寄り、泥に汚れたそれを拾い上げる。触れた感触だけで分かった。それは間違いなく、クロエが愛用していた道具入れだ。中を改めると、微かに淡い光を放つ布袋。魔石の露光パウダーが転がり出てきた。

 

 やはり、間違いない。クロエはこの場所を通った。ゴブリンメイジに連れ去られながらも、彼女が微かな痕跡を残してくれたのだ。

 

「……っ」

 

 レンは地面に魔力を通した。微弱な光の反応を引き出す。すると、パウダーが反応したのか、わずかに青白い光を点々と浮かび上がらせた。


 その光の軌跡は、荒れ果てた広場を横切り、ひとつの場所にまっすぐ伸びていた。

 

 視線の先にあるのは、古びた資材小屋だった。

 

 屋根の一部が抜け落ち、壁も朽ち果てかけている。ゴブリンたちが好んで隠れ家にするような、それほど大きくもない小さな小屋だ。だが、点々と続く光の足跡は、間違いなくその扉の前でピタリと途切れていた。

 

 ここに……いるのか?

 

 油断すれば、中に待ち構えているであろう敵の奇襲を受けるかもしれない。

 

 レンはボロボロの剣の柄に右手を添え、痛む身体を抑えるように低く構えながら、軋む木製の扉へとそろそろと近づいた。

 

 ギイ……、と嫌な音を立てて、扉がわずかに開く。

 

 中の様子を窺うように、レンは慎重にその扉を押し開いた。


 踏み込んだ資材小屋の中には、ゴブリンの一匹すら姿形もなかった。

 

 ただ、薄暗い床一面に、血や泥で描かれた幾何学模様の魔法陣が不気味に刻まれているだけだった。

 

 その瞬間。

 

「……っ?」

 

 腰のポーチの奥底。先ほど変異体から回収したばかりの魔石が、熱を帯び、激しく脈打ちはじめた。

 

 それに呼応するかのように、床の幾何学模様が怪しく、光を放ちながら明滅し始める。

 

 よく見れば、その複雑な紋様は床だけでなく、朽ちかけた壁や天井の隅々にまで張り巡らされていた。この小屋そのものが、巨大な魔道具だったのだ。

 

「罠かっ……!」

 

 直感的に危険を察知し、レンはとっさに身構えて部屋から出ようとした。

 

 だが、すでに遅かった。

 

 幾何学模様から漏れ出す眩い光が瞬く間に小屋全体を飲み込み、レンの視界をすべて白く塗り潰していった。


 

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