20話 vsゴブリン変異体
よく見れば、手斧を持ったゴブリンの体表からは、メラメラと立ち上る不気味な赤いオーラが纏わりついていた。
「……変異体だわ」
クロエが息を呑み、ぽつりとつぶやく。
魔獣というものは基本的に同種であれば個体差による戦闘力はそこまで大きく変わらない。だが、ごく稀に生まれつき強大な魔石を宿した個体が現れることがある。それが変異体だった。
「レン、どうする?」
「どうするも何も、ここでやるしかないだろうな」
手斧を手にした変異体のゴブリンは、標的である二人を逃がすまいと目をギラつかせ、低く唸りながら睨みつけている。
レンは先ほど自分の剣が片手斧をもつ変異体が持っていることに気づいた。武器がない。目の前には、強化された変異体、そしてもう一匹……いや。
「……クロエ、よく見ろ。おそらくあいつも変異体だ」
レンが顎で示したのは、ここまで一歩も動かずに佇んでいた、鉈を持ったもう一匹のゴブリンだった。他の雑魚どもとは明らかに雰囲気が違う。身にまとうオーラは見えないが立ち振る舞いからして、こいつも同等の変異体に違いなかった。
「あっちも……!?」
クロエはゴクリと乾いた唾を飲み込み、わずかに顔を引き締める。
「まともに相手をして二対二に持ち込まれたら勝ち目はない。初撃の魔法で、まずは手斧のほうを全力で潰す。数を減らしてこちらの有利に持ち込むぞ。……後先考えてる暇はない」
「わかったわ!」
レンたちがまだ魔法を使っていなかったからか、あるいは獲物をいたぶる愉悦に浸っているのか、レンの武器を見せびらかすように「ぐぎゃぎゃ」と下劣な笑い声を上げている。
ゴブリン達はあえてすぐには飛びかからず、見物するようレンたちをあざけっていた。
その隙を突く。二人は同時に両手を突き出し、魔力を解放した。
「《ライトニング》ッ!」
「《メテオ・ファイア》ッ――!」
レンとクロエが放った渾身の詠唱。体内の魔力がごっそりと持っていかれる感覚があり、クロエもまた顔色を青くさせている。それは日常的に使う下位魔法よりも一段階上の階級。その分、威力は上がるが、多くの魔力を消費する。
ほとばしる雷光と、渦巻く炎の剛球が、手斧を持ったゴブリンへと猛烈な勢いで襲いかかった。
完全な不意打ちだ。自分たちがこれほどの魔法を使えるとは微塵も予想していなかったのだろう。手斧のゴブリンが驚愕に目を剥き、間抜けな悲鳴を上げかける。
「いけっ……!」
そのまま雷と炎が奴の身体を焼き尽くす……そう確信した、まさにその瞬間だった。
それまでただ突っ立っていたはずの、鉈を持ったもう一匹のゴブリンが、変異体の前に躍り出た。
「……。。。。」
何か、人間には聞き取れない呪文のようなものを呟いた直後。
地面がごう音を立てて大きく盛り上がった。それは二匹のゴブリンの前面を遮るように瞬く間に隆起し、頑強なひし形の半ドーム状の土壁へと変化する。
直撃。
雷と炎の爆発が衝撃波を生み出し、土の壁を粉々に爆散させた。しかし、ひし形の土壁が盾となったことで攻撃の勢いは相殺され、衝撃の大部分は逸らされて威力が半減してしまった。
もうもうと立ち込める土煙が晴れた先。そこには、二匹ゴブリンが……かすり傷程度はあるものの、健在のまま佇んでいた。
「嘘……防いだっていうの!?」
「くそっ、あれは変異体じゃない……!」
レンたちが驚愕に目を見開く。
変異体だと思い込んでいた鉈の持ち主は、ただの個体差などではない。ゴブリンの群れにおいて極めて稀にしか発生しない、卓越した魔法行使能力を持つ上位存在。
「……ゴブリンロードかっ……!」
「レン!」
「ああ、わかってるって!」
思考の切り替えは早かった。ここで勝ちを狙うのは悪手だ。実戦の経験が、今の戦力差を無謀だと告げている。純粋な戦闘力も、魔法の威力も、そして地の利すらも相手が上。このままではジリ貧の末にすり潰される。
勝つための思考から、生き残るための撤退戦へと意識を強制的にシフトさせる。
「クロエ、魔石を使って魔力を回復させろ! その間に俺が時間を稼ぐ!」
たとえゴブリンロードの魔法が厄介だろうと、クロエの魔力さえ戻れば一発逆転の手段は残る。それに、剣を失い、先ほどの魔法で決定打を与えられなかった今の自分は、前衛としての役割を果たすのがやっとだ。活路を開くには、時間を稼いでクロエを立て直させるしかなかった。
「わかった、すぐ使う!」
クロエが魔石を取り出しにかかるのを背中に感じながら、レンは前に踏み出した。
「ぐぎゃぁッ!」
……ッ! 距離を詰めてきた変異体が、殺意を剥き出しにして肉薄してくる。
横殴りに放たれる、重く鋭い一撃。レンは左腕に装着した小盾を構え、その軌道を受け流そうと身構えた。
だが、盾に直撃した瞬間に全身の血が凍るような衝撃が走る。ただの丸太を断つための手斧とは、質量も威力も桁違いだった。
後方に控えるゴブリンメイジによるものだろう。青紫色に妖しく光るバフされた手斧は、本来の鉄の強度を遥かに凌駕する魔法的な硬度と鋭さをまとっていた。
このまじゃ、盾ごと両断される……っ!
押し潰されそうになる腕の筋肉を悲鳴を上げさせながら、レンは咄嗟に持てる魔力を盾へと流し込む。
攻撃魔法やエンチャントのような技ではない。武器や防具の性能を一時的に極限まで高める瞬間的な魔力付与!常時発動型付与のゴブリンの手斧とは違い、一瞬の接触に全魔力を注ぎ込む!瞬間的な硬度はこちらが上だ。
「《パリィ》ッ!」
レンの叫びと共に、盾の表面に幾重もの薄い魔力の格子層が展開される。範囲は広くない。だが、盾の表面を完全に覆い尽くしたその防御層は、襲い来る魔力を帯びた刃をガチンと真正面から受け止め弾き飛ばす。
「防いだ……っ!」
すさまじい摩擦音と火花が散る。ゴブリンは自分の全力の一撃が弾かれたこと、そして弾かれた衝撃にわずかに目を見開いたが、次の瞬間には不気味な笑みを浮かべた。
弾かれた体勢のまま、その運動エネルギーを殺さず、ゴブリンは身体を大きく旋回させる。
手斧を投げた。
……投擲!?
完全に意表を突かれた。まさか近接戦の最中に、頼みの綱である武器を手放すなど微塵も予想していなかった。
青紫色に光る手斧は、凄まじい回転と軌道を描きながら、レンの防御の死角を抜けて……背後で魔石を使用しているクロエへとまっすぐ放たれていた。
「なっ……!?」
間に合わない。
投げ出された手斧は、無防備なクロエの胸元めがけて、まるで牙をむく獣のように一直線に飛翔していく。
「クロエッ!」
絶叫と共にレンが声をあげる。青紫色に光る手斧は、クロエの胸元を正確に貫いた……かに見えた。
しかし、手斧は一切の手応えもなく、そのままの勢いでクロエの体をすり抜けて背後の地面へと突き刺さる。
「ぐげっ……?」
レンが目を見開いて固まる。それは、不意打ちの投擲を成功させたはずの手斧のゴブリンも同様だった。
きょとんと目を丸くし、自分の手元と目の前の光景を交互に見比べながら間の抜けた声を漏らす。
「あはは、私が何の対策もしてないと思ってた? 以前、ガルガに奇襲をくらってから、こういう不意打ちはみっちり予習済みよ!」
すり抜けたはずの空間から少しだけ横にスライドした位置に、クロエが姿を現した。いやズレた。
彼女の手には、微かに青い光を放つ小さなレンズ状の魔道具が握られている。それは光を屈折させ、周囲の景色を幻惑的にゆがませることで実像の位置をずらす光学偽装の魔道具だった。発動中はまるで蜃気楼のように周囲に馴染むため、戦闘中の極限状態であれば、魔力の揺らぎや違和感に気づくのは至難の業だ。
「まあ、これって少しでも動いたら効果が切れちゃう外れ魔道具なんだけどね。今回はタイミングがバッチリだったわ」
そう言って不敵に笑うと、クロエは、背中から魔力の弓をスッと構え直した。蜃気楼の衣が解け、彼女の輪郭がはっきりと空間に戻ってくる。
「それとレン、ありがとう! おかげで魔力充填は完了よ!《ファイアアロー》ッ!」
魔石で全回復した魔力を解放し、クロエが放った炎の属性を纏う魔力の矢が、変異体の肩を鋭くえぐり抜いた。
「ぎゃうううっ……!」
想定外の反撃と激痛に、変異体が耳障りな絶叫を上げながらたまらず後方へと跳び退く。
「お前な……そういう手札は、使う前に一言教えておけよ……!」
「だって、奇襲を警戒させる隙を与えたくなかったんだもの。でも、この手の隠し球は一度見せたら次は読まれるから、もう二回目はないわよ」
肩を撃ち抜かれた変異体は、目を血走らせ、怒りで歯茎を剥き出している。ドロドロと口からこぼれたよだれが地面に流れた。その傍らでは、ゴブリンロードが不気味に鉈をしっかりと握り締め、新たな呪文の詠唱へ入ろうと低い唸り声を響かせていた。
「……さて」
レンは変異体が落とした自分の剣をひろいあげる。ガチリと重みを確認するように握り直した。
全身のあちこちが軋み、激しい痛みが走る。魔力は先ほどの魔法と防御で底をつきかけており、身につけた軽鎧もあちこちがひしゃげ、ボロボロに傷んでいる。決して万全とは言えない状態だ。
だが、一人ではない。背中合わせには、どんな絶望的な状況でも機転を利かせて立ち回ってくれる頼もしい相棒がいる。冷静さを取り戻したレンは、素手で構えを作り直してニヤリと笑う。
「さて、第二ラウンドといきますか」
「いくわよ!レン!」




