19話 遭遇
シルト村の東側、旧伐採道を、レンとクロエの二人は歩いていた。人の手が入らなくなって久しいその道は、荒れ果てた雑草に覆われ、どこか重苦しい静けさに包まれている。
今日の目的は、伐採地の奥地へ踏み込むことではない。その手前、ゴブリンの目撃情報が相次いでいる旧伐採道周辺の森を散策し、奴らの動向を探ることだ。
村を後にしてから幾分か歩くと道は徐々に勾配を増し、山の中腹付近へと差し掛かった頃だった。
「ん……クロエ、あれは?」
足を止めたレンの視線の先に、異様な光景が転がっていた。
動物の死骸だ。だが、それはただの捕食痕ではなかった。何か硬い石や鈍器のような塊で、何度もめったうちにされたのだろう。身体のあっちこちにひしゃげ原型をとどめていない部位すらある。
「っ……ひどい……」
死骸を一目見るなり、クロエは顔をしかめた。
「おそらく、ゴブリンの仕業だろうな。……遊び半分で命を奪う、悪質なリンチだ」
D級以下の下等な魔獣とは異なり、C級に近づく、あるいは群れとして知性を持ち始めた魔獣は、残虐な性質を強く表すようになる。ゴブリンはその典型だった。
「これを見るに……ゴブリンたちは、やはり食糧には困っていないのか?」
本当に飢えているのならば、獲物をこんな風に無駄に痛めつけて放置するなどあり得ない。飢餓状態にある群れなら、どんな肉塊であっても巣へ持ち帰るはずだ。
「クロエ、お前も何か分かるか?」
「うーん、なんだろう……。食べるわけじゃないみたいだし。レンが言ったみたいに、ただの悪趣味な遊びで殺しただけかもね」
「まぁ、何にせよ……この痕跡は、奴らを追うための手掛かりになるな」
「そうね。……あ、そうだ。せっかくだし、この前買ったあれ、ここで試してみようかな」
そう言うと、クロエは道の脇にしゃがみ込み、冒険用に軽量化された小型のバックパックを器用に漁り始めた。
しばらくして彼女が取り出したのは、手のひらサイズの小さな布袋だった。
「それは……?」
「ふふん、魔石の露光パウダーよ。魔石は微量の魔力や魔獣の気配に反応する性質があるの。この粉を対象にふりかけて、魔力を少しだけこめるとね……」
クロエは布袋からさらさらとした細かな粉を取り出し、惨たらしい姿になった動物の死骸、その周辺の地面へとパラパラと撒いた。そして、指先で微弱な魔力を通す。
次の瞬間、動物の死骸の周囲と、そこから薄暗い木陰の地面に伸びる複数の足跡が青白く淡く光り出した。
「おお……すごいな」
「でしょー? 便利だけど、そんなに数を持ってないし、わかるのはあくまでふりかけた場所の周辺だけなんだけどね」
「いや、それだけでも十分すぎる手掛かりだ」
レンが感心したように頷き、ふと一箇所を指差した。
光の足跡は、旧伐採道を真っ直ぐ進むのではなく、そこから大きく逸れて鬱蒼とした森の奥へと続いていた。
よく見れば、周辺の草木がわずかに倒れ、枝がポッキリと折られているのがわかる。じっくりと周囲を観察すれば自力でも気づけたかもしれないが、この魔道具を使えば、その追跡の速さは一目瞭然だった。
「足跡は、ここから森の奥へ続いている。……行くぞ、クロエ」
「うん!」
青い光の軌跡を見据え、二人は慎重に足音を殺しながら、魔獣の潜む森へと踏み出した。
しばらく森を進むと、後ろからクロエがレンの背中をトントンと軽く叩いた。
振り返ると、クロエは自分の唇に人差し指を当て、しーっと音を立てないようにレンを促す。
クロエはもともと聴覚が優れている。レンにはまだ何も聞こえないような距離でも、彼女の耳はすでに微かな異音をとらえていたのだろう。そう察したレンはすぐに足を止め、すぐ傍にあった太い木の影へと身を潜め、息を殺した。
……ぐぎゃ、ぎゃぎゃ……。
少し遅れて、レンの耳にも耳障りな濁った声が届き始めた。
それだけではない。何か硬い棒や金属をこする音のようなもの、地面に引きずる音、足音、そして複数の濁声が入り交じり、雑然とした騒ぎ声が近づいてくる。
レンは静かにクロエへと視線を送り、目配せで「行くぞ」と合図を送る。二人は気配を極限まで消しながら、木々を伝うようにして、その姿が見える位置まで慎重に移動した。
木立の切れ間から覗き込んだ先には、四匹のゴブリンがいた。
連中は警戒する様子もなく、地べたに身を投げ出して座り込んでいる。そして、互いに何かを自慢し合うように見せびらかしていた。
よく見れば、それは林業で使われていた手斧や鉈などの刃物だった。まだ真新しい血や肉片がこびりついたそれを手に入れたゴブリンたちが得意げに笑い、逆にただの木製の棍棒しか持っていない他の二匹のゴブリンたちは、羨ましそうにじろじろと見つめている。
あいつら……道具を奪っただけじゃなく、それで優劣をつけてやがるのか。
知性が芽生え、群れの中に序列ができ始めている証拠だ。レンが冷ややかに分析しながら、隣にいるクロエへと小声で囁く。
「……四匹だ。複数いるが、いけるか?」
クロエはわずかに口元を引き締め、静かに首を縦に頷いた。
「正面から鉢合わせになってたら少しは手こずっただろうけど……今は、私たちが奇襲をかける側よ。問題ないわ」
その自信に満ちた返答に、レンは小さくうなずく。
「わかった。なら手筈通りいく。まずは一番手前で、棍棒を持った一番油断しているやつを。俺は奥にいる、斧を持っている厄介そうな方を狙う」
「了解。……一撃で仕留めるわよ」
二人は息を合わせ、それぞれの得物にそっと手をかけた。
「《アローショット》!」
クロエの放った魔力の弓矢が、手前で羨ましそうにしていたゴブリンの額を正確に撃ち抜く。悲鳴を上げる暇すらない即死だった。仲間の頭が弾け飛ぶ光景に、他のゴブリンたちが硬直する。
同時に、レンも動く。
その隙を逃さず、レンはもう一匹の斧持ちのゴブリンへと一気に肉薄した。
急な人間の襲撃に目を丸くしてのけぞったゴブリンめがけ、跳躍した。
「おらっ!」
上段から叩き込む渾身の一撃、兜割り。完全に虚を突いた完璧な奇襲。レンはこれで勝負ありだと思った。
だが……ゴブリンの反応速度は、これまでの雑魚とは次元が違っていた。
あろうことかそのゴブリンは、隣にいた別の仲間をぐいと無理やり引き寄せ、自分の盾代わりに突き出したのだ。
「ぐげぇッ!?」
肉盾にされたゴブリンは受け身も取れず、レンの放った全力の剣撃をモロに頭頂部から食らう。
「なに……っ!?」
勢い余った剣は、肉盾の頭蓋を割り、骨と肉を断ち切った末に、その下のゴブリンの体にまでズッポリと深く食い込んでしまった。刃が硬い骨に噛み合い、抜けなくなっている。
「ちっ……抜けねぇ!」
焦るレンの目の前で、手斧を持っていたゴブリンが、ニヤリと人間を嘲笑うような獰猛な笑みを浮かべた。
そして、獲物を捉えた野獣のように鋭い軌道で、手斧を振り下ろす。
「……っ!」
とっさに剣の柄から手を放して身を引いたが、一瞬遅い。
ガキンッという鈍い金属音と共に、レンの身体が大きく吹き飛ばされた。
地面を転がり、背中から激しく地面に打ち付けられる。
衝撃で脳が揺さぶられ、視界が白くチカチカと明滅した。一瞬、意識の糸がプツリと切れかけたが、レンは奥歯を噛み締めて強引に意識を現実へと引き戻す。ここで気を失えば、間違いなくあの手斧の餌食になる。
「はっ……、くそっ……!」
「レンッ、大丈夫!?」
「あ、ああ……大丈夫だ。すまん、油断した……!」
地面に手をつき荒い息を吐きながら起き上がる。
とっさに剣を手放したことと、間にゴブリンを挟んだことで威力が相殺されたおかげで致命傷は免れた。身につけていた軽鎧の装甲板は深くえぐられている。もし直撃していれば今頃身体が両断されていただろう。ゴブリンとは思えないほどの圧倒的な筋力と、戦闘判断力に、レンは冷や汗を拭う。
手斧を持ったゴブリンは、狙った獲物を仕留め損ねたことが不満と言わばかりに、嫌な笑みを浮かべながらレンを見据えていた。
「クロエ、気をつけろ……! あいつ、ただのゴブリンじゃない……!」




