17話 依頼
「東と南の二方向から……か。これは流石に、俺たち二人だけじゃ手に余るな」
レンがぼそりと呟き、ちらりと横に視線を走らせる。
それに気づいたクロエは、表情こそ引き締めたままであったが、無言のまま目で力強く頷いてみせた。やはり、彼女もこの二正面の危険性を肌で感じ取っているらしい。
「ガディさん、詳しい情報をありがとうございます。……ゴブリンの目撃情報は、これで全部ですか?」
「はい、今のところ私どもが把握しているのは以上の通りです。どうか、どうかよろしくお願いいたします……!」
ガディはガシリと両手でレンの手を強くつかんだ。
それは心からの必死の懇願であると同時に、もうこの村には後がないという切羽詰まった重みがひしひしと伝わってくる。
レンは少し困ったような、しかし覚悟を決めた表情を浮かべ、話を続ける。
「ガディさん、正直に言います。この状況は、もはや単なる魔獣の小競り合いなんかじゃありません。スタンピードに近い状態だ。俺たちの今回の依頼は、あくまで周辺のゴブリンの情報収集と数体の討伐までです。伐採地の奥や未確認の洞窟まで踏み込むことは、本来の契約に入っていません」
「そ、そんな……! 」
「もちろん、ギルドから受けた依頼です。周辺の調査と、目撃されたゴブリンの討伐は俺たちが責任を持ってやり遂げます。ただ、俺たちがやれるのはそこまでだ。それはあくまで付け焼き刃の処置でしかない。根本的に解決するには、巣自体を壊滅させ、その洞窟を完全に攻略しなければならない。それは、冒険者ギルドを通じて正規の大規模依頼を出さなきゃいけない話です」
結局のところ、二人きりのパーティーでどれほど健闘したところで、できることの限界はすぐに見えてくる。
「このクラスの規模になると、最低でもB級冒険者のパーティが複数組必要だと思うわね……。それでも、下手をすれば苦戦するレベルよ」
クロエが冷静に分析して付け加える。その言葉を聞いた瞬間、ガディの顔から血の気がサーッと引いていった。
「B級……。そんな高位の冒険者様方に払う報酬なんて、今のうちの村には……!」
潤沢な資金があれば苦労はしない。今は日々の生活を送ることで精一杯なのだ。B級冒険者を雇うだけの莫大な報酬など、この寂れた村が捻出できるはずもなかった。
……金を用意できず、依頼を出せないまま魔獣に飲まれて潰れていった村は、これまでにも数え切れないほどあったのだろう。レンの脳裏に、そんな非情なこの世界の現実がよぎる。
「村の懐事情は、なんとなく察しています。ただ……今回はスタンピードの発生の可能性もある。ここまで被害が拡大していれば、アイゼンヴェールの冒険者ギルド、そして街としても村の依頼料の有無にかかわらず、放っておくわけにはいかないはずです」
レンはガディの肩に手を置き、少しでも安心させるように落ち着いた声で続ける。
「それに、幸いなことに今、アイゼンヴェールには白銀聖騎士団が常駐しています。彼らの目的はこの地方の魔獣討伐のためですからね。動けば、ある程度の人員や大規模な間引きも行われるはずです」
「本当か……! 聖騎士様方が動いてくださるのか!」
絶望に沈んでいたガディの顔に、ぱっと明るい光が戻る。
レンはその反応を横目に見ながら、心の中でわずかに苦いものを飲み込んだ。……白銀聖騎士団の本当の目的が、この地方の治安維持などではなく、自分の中に眠る災厄の力のだ。そんなこと、ガディが知るはずもない。
だが、表向きの目的がどうであれ、魔獣を討伐するという利害の一致がある以上、彼らが動けばシルト村の脅威が一時的にでも削がれるのは事実だった。
「無論、私たちにできる依頼の分は、しっかりと働き抜きますからご安心を」
レンの力強い言葉に、ガディは何度も何度も深く頭を下げ、あふれそうになる涙を拭った。
その後何度かガディと細かな情報をやり取りした後、レンたちは村長宅を一時的に間借りすることになった。
高位の冒険者でない二人に本来ならそこまでする必要はなく、レンとクロエは丁重に断りを入れていたのだが、村長の強烈な後押しに押し切られてしまった。もちろん、それは足止めとして確実に自分たちを繋ぎ止めておきたいという思惑もあったのだろう。しかし、それ以上に滲み出ていたのは、藁にもすがる思いで村を守ろうとする必死さだった。
「レン、どうする?」
木製の椅子を引きながら、クロエが問いかけてくる。レンは広げられた古い地図から視線を外し、腕を組んだ。
「まあ、俺たちにやれることをやるしかないだろうな」
「そうね。この依頼、どう考えても私たちの手に余るわ。レンにとってはランク昇格のための大事な仕事かもしれないけど、別に今回が最後のチャンスってわけじゃない。ある程度ゴブリンを間引いて最低限の成果を出したら、あとはギルドに増援を要請して撤退したって、そう文句は言われないはずよ。最悪、不手際で失敗扱いになったって、違約金を払えば済むことだし」
「さすが元常習犯は言うことが違うな」
「もう、茶化さないの!」
クロエは不満そうに頬を膨らませ、レンを睨みつけた。
「悪かった、悪かった。……確かに、クロエの言う通りだ。今の俺たちのランクじゃ、こんな大規模なスタンピードの予兆なんて荷が重すぎる。ただな、クロエ」
軽口を叩いていた表情を引き締め、レンは真っ直ぐに相棒を見据えた。
「この依頼は、シルト村からの要請だが、国が動かしている案件でもある。いざとなったら無理でしたで簡単に引き下がってもいいのか」
「それはそうだけど……。別に今更じゃない。私たち、国に恩義なんてこれっぽっちもないもの」
「それに……シルト村の人たちを、このまま見捨てるのもな」
救えるのなら、自分の手が届く範囲の人間くらいは助けたい。
それはかつての、底辺の自分なら決して抱かなかった感情だ。力を手に入れ、誰かを守る側になったからこそ芽生えたものか。あるいは、力を振るうことで得られる、歪んだ自己満足……かつての自分が唾棄していた綺麗事の裏返しなのだろうか。
ギルドマスターから叩き込まれた警告が、頭の片隅で冷たく響く。
『根拠のない正義感や慢心は、いつか必ず足をすくわれるぞ』
自分の内側にあるものが正義感なのか、それとも力を得た者が抱く傲慢な愉悦感なのか、レン自身にもまだ分からなかった。けれど……目の前で懸命に生きる人々を見捨てたくないというその思いだけは、嘘偽りのない本心だった。
「……レンがそこまで言うのなら、私も付き合うわ。でも、絶対に無茶はしないでよね。死んだら元も子もないんだから」
レンの決意そして迷いを察したのか、クロエは少しだけ心配そうな、しかしどこか覚悟を決めた目を向けてきた。
「ああ、分かってる。無茶はしないさ」
明日から始まる捜索に向けて、二人は静かに気合を入れ直した。




