15話 シルト村
「目的地のシルト村は、アイゼンヴェールからもそう遠くない場所にあるわ。もともとは良質な木材を求めて旅をしていた一団が、そのまま居着いて村を開拓したのが始まりなんだって」
アイゼンヴェールの街を出発し、シルト村へと続く街道を歩きながら、クロエがこれまでの経緯や村の背景を語る。
かつては林業で栄え、その豊かな木材は周囲の街でも重宝されていた。しかし、ここ最近頻発するようになった魔獣の襲撃によって状況は一変している。村人たちは命の危険から満足に森へ入ることができず、生命線である林業の収入は激減。そしてそれが、さらなる悪循環を生んでいた。
「魔獣被害で村が貧しくなると、冒険者ギルドに払う報酬も出せなくなる。報酬が出せなきゃ、ギルドだって冒険者を派遣できない……。綺麗事抜きで、冒険者もボランティアじゃないからね」
シビアだが、それが現実だった。依頼を出せないまま魔獣の数は増え続け、村の経済はさらに疲弊していく。根本的な解決には村の近くにある魔獣の巣ごと焼き払うのが一番なのだろうが、今回のレンたちに下されたのは、あくまで状況の現地調査と、周辺ゴブリンたちの複数体討伐。つまり露払いだった。
「レンは、シルト村に行ったことある?」
「いや、ないな。クロエはあるのか?」
「一回だけね。少し前の依頼の帰りに、ちょっと通りかかったくらい。あんまり目立ったところはないけど、村の人たちはみんな親切だったかな」
「そうか……」
「村の人たちを何とかして助けてあげたいよね」と、クロエは空を見上げながらそう呟いた。
「村自体は、そんなに大きくないのか?」
「うん、いたって普通の小さな村って感じ。ただ、最近は魔獣のせいでどこもすっかり元気がなくなっちゃってさ」
「まあ、どの村も似たようなもんか。どこも魔獣の数に手を焼いてるしな」
レンがそう呟くと、クロエはぴたりと足を止め、深刻そうに眉をひそめた。
「……ねえ、レンは思わない? なんで最近、こんなに魔獣が増えてるんだろ」
「そんなに多いのか?」
レン自身は、異世界に転移してからの日々が基準になっているため、この世界の魔獣の増減がどれほど異常なことなのか肌感覚で分かっていなかった。
「そりゃ多いよ! たまに大物が現れることはあったけど、これほど色んな種類の魔獣の討伐依頼が所狭しと並ぶなんて、ここ最近では本当になかったことだもん」
言われてみれば、ギルドの掲示板には常に剥ぎ取り素材や討伐の赤紙が溢れかえっていた。受理されないまま、期限切れで貼りっぱなしになっている依頼も珍しくない。
「……もしかして、冒険者の数が足りてないのか?」
「うん。お姉ちゃん……ギルドマスターも言ってた。今度、他の街の支部からも正式に応援を要請する予定だって」
「それは助かるな。俺たちだけじゃ、どう足掻いても手が回らないしな」
国の首都から離れていることもあってアイゼンヴェールには低級冒険者比較的少ない。熟練者は報酬少ない低級クラスの依頼は受けたがらないし、低ランクの雑魚とはいえ、数で押されると対処も大変なのだ。人手が増えるというのなら、レンにとっても大歓迎だった。
生い茂る木々のトンネルを抜けたその瞬間、視界がぱっと開けた。
「もうすぐ着くわよ」
木々の隙間から差し込む光が少しずつ開けていく中、クロエが前を指さして声を弾ませた。
「……あれが、シルト村か」
レンが足を止め、目の前に広がる光景を見据える。
そこは、切り立った木々の山々に四方を挟まれた、すり鉢状の深い盆地だった。窪んだ地形の底にへばりつくようにして、シルト村の家々がひっそりと寄り添うように立ち並んでいる。かつて林業で栄えた名残か、あちこちに木材を加工するための小屋や、丸太を組んだ倉庫のような跡が見て取れた。
上から見下ろす村の姿はどこか穏やかで、のどかな農村の風景に見える。
「ここからだと、村全体がよく見渡せるね。……でも、森との距離が近すぎて、これじゃあ魔獣がどこからでも入り放題じゃない」
隣に並んだクロエが、不安そうに眉を寄せながら村の様子を観察する。盆地という閉ざされた地形は、物資の搬入や防衛の面でも決して有利とは言えない。
「ああ。……気を引き締めていこう。まずは村長を探して、詳しい状況を聞き出すぞ」
森を下っていくと、ここまで来れば、レンにも近くに集落があることが肌で感じられた。何度も往来があったのだろう、足元の道は草木が削れてはっきりとした歩道になり、山間を抜けたその先に、ぽつりぽつりと家々の屋根が見え始めていた。
畑で作物を世話する人々の姿や、放し飼いにされた鶏や犬がのんびりと歩き回るのどかな風景。しかし、その空気にどこか張り詰めたものが混じっているのも感じられた。
「まずは村長に挨拶しに行こうか」
「そうね」
状況を把握するため、そして村長の居場所を見つけるためレンは畑仕事に精を出している夫婦の元へと歩み寄り、声をかけた。
「農作業中すまない。シルト村の村長がいる場所を教えてもらえるか?」
最初は警戒するように顔を上げた夫婦だったが、二人の身なり……冒険者特有の装備や空気感を感じるとパッと表情を明るくさせた。
「ん……? あんたたち、冒険者かい!」
「ああ。アイゼンヴェール冒険者ギルドから、依頼を受けてきた」
「そうか……! やっと、やっと来てくれたのか!」
「本当に、待ちわびたのよ……!」
二人は心底ほっとしたような、しかし隠しきれない疲労の滲む顔で声を弾ませた。
「魔獣の被害が頻発しているって聞いてきたんだが……そんなにひどいのか?」
「ああ。最初は森の奥で見かける程度だったんだ。森に入った連中が慌てて逃げ帰ってくるくらいだったのが……ここ最近はもう、そんなもんじゃない。この村のすぐ近く、それこそ集落の中まで魔獣が入り込んでくるようになったんだよ」
「村の中にまで……?」
「そうだとも。うちはこうして畑仕事をするために、村の端っこに家を構えていてね。次もしまた魔獣が現れたら、この家が一番最初に標的にされるだろうよ」
夫は自嘲気味に、どこか諦めたような笑みを浮かべた。
その言葉に、クロエが居ても立ってもいられないといった様子で一歩前に出る。
「だったら、どうして逃げないのよ!? こんな危ない場所にいたら……」
「逃げる? はは、逃げたって行き場なんてないさ」
夫は肩をすくめ、乾いた笑いを漏らす。
「シルト村の中心部に引っ越すとか、他の場所に行く手立てだってあるでしょう?」
「この村はそんなに大きくないんだ。よそへ行ったところで、所詮は身寄りのない居候じゃ食っていけない。それに、今はどこもみんな生活に必死だ。自分たちだけがのうのうと逃げ出すわけにはいかないのさ」
「そんな……」
クロエが息を呑む。
それでも、男はごつごつとした手で、ぽんとレンの肩を力強く叩いた。
「だが、お前たちが来てくれた。それだけで希望が湧くってもんだ。頼むぜ、若い冒険者さんよ!」
不安や恐怖に怯えながらも、泥臭く、懸命にその土地で生き抜こうとする人々の強さに、レンは胸を突かれるような思いがした。
「……良い人たちだったな」
「うん……絶対に、何事もなくこの村を救い出してあげたいね」
これまでレンとクロエの討伐任務といえば、指定された森や山に入り、そこに巣食う魔獣を狩って素材を回収して帰ってくることの繰り返しだった。依頼主の顔を見ることもなければ、誰かの生活の営みに直接触れることもない。基本的にはギルドが間に立ち、お互いの顔が見えないシステムの中で淡々と仕事をこなすだけの関係だった。
だからこそ、今こうして目の前で笑いかけてくれた村人たちの温度に触れたのは、レンにとって初めての経験だった。
夫婦が去っていったあとも、レンはぽんと叩かれた自分の肩にそっと視線を落とす。
これまでは自分の身を守り、生き残るために剣を振るってきたが、自分の背後には、温かな笑顔を守るべき生活があったのだ。
プレッシャーに押しつぶされそうになるかと思いきや、不思議と、レンの胸の奥底からは熱いものがフツフツと湧き上がってきた。
決意を新たにした二人は、再び足を動かし、村の中心部へと向かって歩き出した。




