14話 ギルドマスター
結局、C級への昇格試験はルチアの提案であっさり承諾することになる。
窓口を訪れたまさにそのタイミングで、ちょうど舞い込んだばかりの緊急依頼があったのだという。レンとクロエの現在の実力や実績を鑑みても、昇格試験の難易度として充分だというのがルチアの弁だった。
「お任せしたいのは、シルト村でのゴブリン複数体の討伐です。街の近くにあるシルト村ではゴブリンの出没が相次ぎ、深刻な被害が出ているようでして……。レンさんたちには現地へ遠征していただき、状況の現地調査と、村を脅かすゴブリンどもの討伐をお願いしたいのです」
ルチアから提示された内容は、単なる単体の討伐ではなく現地調査と複数体討伐が複合した依頼だ。
しかも相手はC級に分類される凶悪なゴブリン。そして群れである。事前情報も乏しく、現場での判断力が求められるこの任務は、本来であればC級の中でも中堅以上のベテランパーティに回されるような代物だった。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。それって私たちの昇格試験としては、難易度が高すぎない……?」
クロエがレンの肩越しからひょいと顔を出し、不安そうに眉をひそめてルチアに抗議する。
「この依頼は、ほかならぬギルドマスターからの直接のご指名ですから」
「ギルドマスターが……?」
レンは首をかしげた。このアイゼンヴェール支部のトップにそんな人物がいることは知っていたが、まだ一度も顔を合わせたことがない。
なぜ、まだD級の自分たちにそんな重要な直指名が飛んできたのか。疑問を抱いたその瞬間、背後から重苦しい足音が近づいてきた。
「……では、その話は私から直接させてもらおうか」
ずん、と。
空気が重く沈むような圧力を伴って、その人物は現れた。
でかい。それがレンの抱いた最初の、そして絶対的な感想だった。
レンの身長を遥かに超える、優に2メートルはありそうな圧倒的な巨躯。極限まで鍛え上げられた鋼の肉体の盛り上がりは、同じ人間というカテゴリーに収まるのか疑わしくなるほどの迫力を放っている。顔の左半分には生々しい大きな古傷が斜めに走り、無造作に伸ばされた長髪と不敵にはねた毛先は、まさに人里に現れた野獣を思わせた。
低く地を這うような声の響きから辛うじて女性だと察しはついたが、そんなことを吹き飛ばすほどの凄まじい威圧感に、レンは思わず小さくたじろいだ。
「あ、お姉ちゃん!」
クロエが急にパッと明るい声を上げた。
指さした先には、あの圧倒的な巨躯と野獣のような風格を纏ったギルドマスターがいる。
「クロエ」
ギルドマスターはふっと顔を緩め、どこか優しい響きを含んだ短い返事を返した。
「……は?」
レンはぽかんと口を開けたまま、クロエとギルドマスターの顔を交互に見比べた。
どこをどう見たらそうなる。金髪で小柄、愛嬌のある愛らしい容姿のクロエと、身長2メートルを超え、全身を鋼の筋肉で武装した、顔に大きな古傷のあるこの筋肉ダルマの女が……同じ血縁? 似ても似つかないどころか、生物としての種族すら違うのではないかと疑いたくなるレベルだ。
しかし、そんなレンの混乱をよそに、ギルドマスターはガシリと太い腕を伸ばすと、クロエの頭にポンと大きな手を置いた。そして、さきほどまでの冷徹な威圧感が嘘のように、どこか嬉しそうな、妹を可愛がる姉の笑みを浮かべたのである。
「どうだ、ちゃんとご飯食べてる?」
「もう、子供扱いしないでよー」
ぷんぷんと頬を膨らませるクロエと、それを愛おしそうに見下ろすギルドマスター。
「あ、あのさ……」
気まずそうに手を挙げたレンの声に、ギルドマスターは「あぁ、お前いたのか」とでも言いたげな、先ほどまでの穏やかさが嘘のような氷点下の視線をふたたび向けた。
温度差の激しさに、レンは思わず引きつった笑みを浮かべる。
「お姉ちゃん、そんなに睨まないであげてよ! レンはこれでも私の大事な相棒なんだからさ」
クロエよ、これでもは、余分だよ。
クロエが慌ててギルドマスターの腕を引っ張り、庇うようにレンの前に一歩出る。
「……ふん」
ギルドマスターは鼻を鳴らし、腕を組み直した。その鋭い眼光は依然としてレンを捉えたままだが、先ほどのような殺気は少しだけ引っ込んでいる。
「さっきの話の続きを言おう」
「あ、ああ」
「この依頼は、王国から直接このアイゼンヴェールの冒険者ギルドへと届いたものだ」
ギルドマスターと呼ばれたその巨躯の女は、腕を組みながら冷徹に言い放つ。
「依頼主の名義はシルト村になっている。だが、その村は以前から度重なる魔獣の被害を王国へ直訴し続けていた。……問題は、王国がなぜか最近になって、急にこの辺境の村の依頼をギルドへ丸投げしてきたことだ。きな臭い。何か、裏がある可能性を疑ったほうがいい」
そう警告するように告げると、ギルドマスターはギロリと鋭い眼光でレンを真っ直ぐに睨み据えた。
「裏があると分かりながら、俺たちにこの依頼を回すってわけですか」
レンは威圧感に気圧されそうになりながらも、正面からギルドマスターを見据えてそう言い放った。
巨躯のマスターは腕を組んだまま、微動だにせず鼻で笑うようにレンを見下ろす。
「王国の正式な命令だ。こちらも、理由もなくすんなり突っ返すわけにはいかん。どうせ王都の偉い連中が、何か裏でくだらん算段でもしているのだろう。……なぜお前のようなヒヨッコを名指しにしてきたのかは分からんがな」
鼻であしらうようなマスターの物言いに、レンはカチンと頭にきたのか言い返した。
「ゴブリンの討伐なら、俺たちもすでに何度も経験しています。充分にシルト村を助けれる実力はあるはずです!」
「ほう?」
ギルドマスターが気だるげに繰り出した足先が、レンの脛を軽くこづいた。ただそれだけのことだった。しかし、バランスを完全に失ったレンは、受け身も取れぬまま床へと思い切り突っ伏した。その背中を踏みつける。
「根拠のない正義感や慢心は、足をすくわれるぞ」
「お、お姉ちゃん!」
クロエの慌てた制止の声が響く。
だが、ギルドマスターは表情一つ変えず、床に這いつくばるレンの体をその巨大な足でぐりぐりと踏みつけていた。
「ぐうう……っ!」
押し返そうとしても、ギルドマスターの足はまるで鉄の柱のようで、びくとも動かない。体重差と圧倒的な筋力の壁が、レンに重くのしかかった。
ギルドマスターは鼻でフンと冷笑を浮かべ、さらに冷ややかな声を重ねた。
「実力、か。口だけなら一丁前だな、ひよっこ。今この床で這いつくばってるお前がどうやって助ける?」
「……っ」
ぐうの音も出ない正論に、レンは奥歯を噛みしめる。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。レンはその眼光から逃げず、一歩踏み込むように言葉を叩きつけた。
「……力じゃ敵わないかもしれない。頭のキレだって、アンタたちや王国の連中には遠く及ばないさ」
床に押さえつけられたまま、レンは血の滲むような力で床板を掴み、ゆらゆらと、しかし絶対に折れない意志を宿した眼光をぎらつかせる。
「だけどな……ここで引き下がったら、いつまで経っても俺は何も守れないただの俺のままなんだよ!」
その言葉に、ピクリとギルドマスターの眉が動いた。
「……ふっ」
やがて、ギルドマスターは低く息を吐き捨て、不敵に口角を釣り上げた。
「……いいだろう。その度胸と無鉄砲さは買ってやる。依頼の受託を許可する」
ギルドマスターはレン上から足をどけた。
レンが荒い息を整えながら周囲を見渡すと、窓口の周辺にいた他の冒険者たちが、ただ事ではない気配を察して振り返り、ヒソヒソとざわめいていた。
ホッと胸を撫で下ろしかけたレンに、マスターはさらに鋭く片目を細めて突き放すように告げた。
「ただし、条件がある」
ギルドマスターが巨体を揺らし、ゆっくりとレンの顔まで歩み寄る。そして、床に這いつくばるレンの耳もとに、誰にも聞き取れないほどの低い声で、しかし逃げ場のない重みをもって囁いた。
「クロエを傷つけたら、殺す」
それはギルドマスターが妹に向ける、歪みない、しかし異常なまでの執着と過保護の裏返しだった。この女にとって、王国の陰謀も村の危機も、すべては妹に危険が及ぶかどうかの天秤の片側にすぎないのだ。つまり重度のシスコンだ。
言いたいことだけを言い終えると、ギルドマスターは何もなかったかのようにふっと踵を返し、その巨躯を揺らしながら奥の部屋へと歩いていく。
「もー、お姉ちゃん! 」
姉の背中を追いかけながら、クロエが不満そうにぷんぷんと頬を膨らませて抗議の声を飛ばす。
「……結局、言いたかったのはそれかよ」
全身の力が抜け、レンはその場に大の字になる。
まだ出発すらしていないというのに、今日のところはもう、これ以上ないほどに心も体もすり減り、疲れ果ててしまったのだった。




