12話 レン
騎士団の詰め所といっても、それは領主の屋敷の片隅を間借りしたような場所にすぎなかった。元は衛兵たちの休憩所だったのだろう。無機質な石造りの部屋は窓からの光も乏しく薄暗い。
いくつかのドアが並ぶ奥の一室。その殺風景な空間で、レンはレイモンドと向かい合って座っていた。
「まずは、先ほどの非礼を詫びよう」
そう言って、レイモンドはスッと美しく背筋を伸ばしたまま頭を下げた。
騎士としての堂々たる振る舞いは、謝罪の動作すら絵画のように洗練されている。こんな緊迫した状況だというのに、レンは「すげえな、絵になるな」と、どこか現実逃避めいたどうでもいいことを考えていた。
「あ、ああ……」
「ただ、こちらにも事情があったのだ」
レイモンドは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、テーブルの上へ滑らせた。そこには幾人もの名前が几帳面な文字で羅列されている。
「この名前たちに見覚えは?」
「いや、知らない」
「そうか。……この者たちは先日、任務で、あるモノを追っていた」
レンの心臓がドクリと跳ね、無意識にぎゅっと自分の足を掴んだ。
「彼らは、それがこの街にあると突き止めた。そしてつい先日、回収を実行に移したのだよ」
レイモンドは怜悧な瞳を細め、まっすぐにレンを射抜く。
「君がいたあの路地裏で死んでいた騎士たちは、私の部下だ。……で、レン君。君はあの場で、いったい何をしていた?」
「お、俺はただ……買い物のついでに道に迷って、あの裏通りに紛れ込んだ。それだけだ。確かに騎士の人たちは倒れていた。でも、俺が見つけたときには、もう……」
「そうか。……では、そこに少女はいなかったか?」
少女……その言葉に、レンの脳裏へ鮮烈にあの姿が蘇る。ボロボロの服を纏い、路地裏にうずくまっていた、あの少女。夢のなかで言葉を交わし、シエルと名付けた、自分の命の恩人でもある存在。
「……いた。だが、少女の他にもう一人、女がいた」
「ほう?」
女という単語に、レイモンドの眉がピクリと微かに跳ねた。
「黒いローブを着た女だ。あいつが……手を振るたびに、周囲の空間がまるで紙のように裂けて……」
思い出すだけでも悪寒が走る。あの日、自分は確かにあの不可視の刃で体を両断され、死にかけた。いや、死んだのか? 脳裡の記憶と現在の生々しい肉体の乖離に、レンの頭が混乱をきたす。
「黒いローブ……。ふむ」
レイモンドは顎に手を当て、不気味に目を伏せる。
「おそらく、裏ギルドの『赤血の処刑人』リゼだな。……なぜ、あいつらが私たちの動きを嗅ぎつけ、あの場に介入してきた……?」
静まり返った部屋のなか、レイモンドは小さく独り言を呟く。
「リゼってのは、いったい誰なんだよ……!」
レンは怪訝な顔を隠さず、目の前の男をまっすぐに見据えた。
「赤血の処刑人。この国には表の冒険者ギルドだけでなく、裏の組織、いわゆる裏ギルドが存在する。盗賊や暗殺を生業にする、ろくでもないクズどもだ。その裏ギルドのなかでも、リゼという女は数々の暗殺をこなし、我々白銀聖騎士団すら手を焼いている危険人物だ」
レイモンドはまるで厄介な害虫でも語るかのように、やれやれと肩をすくめて見せた。
「そんな裏ギルドの大物が、なんでこんな街の路地裏にいるんだよ!」
「目的は、我々と同じであろうな」
レイモンドはふっと笑みを消し、レンを真正面から見つめ返す。
「……女の他に、少女がいただろう?」
「ああ……」
「その少女こそが、災厄だ」
「災厄……?」
「この世界は遥か昔、七つの災厄によって滅ぼされかけたことがある。あらゆる生命と理を狂わせる、災いの元凶。あの少女のなかに眠る力はその一旦だ。だが解き放たれれば、この国など一瞬で地図から消え失せる。だからこそ、我々白銀聖騎士団が命がけで回収しなければならなかったのだ」
レイモンドの言葉には。国家の守護者としての強い使命感が宿っているように見えた。
……なるほど、筋は通っている。騎士団がその危険な存在を追う理由自体は理解できた。裏に何か別の思惑があるにせよ、表向きの理屈としては完全に正当だ。
だが、レンのなかでどうしても拭えない疑問が渦巻く。
「白銀聖騎士団がお前たちを追う理由はわかったよ。……だが、それなら何で裏ギルドの連中までその少女を追っていたんだ?」
あの時、リゼはあきらかに少女を排除しようと……あるいはその命を奪おうと、容赦のない不可視の刃を向けていた。
「そもそも、裏の暗殺者がわざわざ世界を救うために動くわけがないだろ」
「よく気づいたな、レン」
レイモンドは感心したように小さく笑い、指先でテーブルを軽く叩いた。
「理由は単純だろう。……あの災厄の力を簒奪し、自らのものにしようとしたのだろうよ。災厄の力を手に入れた者は、世界をも揺るがす大いなる力を手に入れられるという。裏ギルドがそれに目を付けないはずがない」
レイモンドは冷酷な笑みを浮かべ、レンに身を乗り出す。
「だからこそ、我々が先手を打ってその危険因子を確保しなければならないのだ。……さて、レン君。君が本当に何も知らないのかい?」
その言葉は、暗に「お前を怪しんでいる」という警告なのだろう。
シエルがそんな恐ろしい災厄だという事実と、彼女をめぐる国家と裏組織の血生臭い争い。それを知ってしまった以上、このレイモンドには話すことはできない。レンの胸を重く締め付けた。
「おーい、レン〜!」
騎士団の詰め所から重い足取りで出てきたレンの耳に、聞き慣れた明るい声が飛び込んできた。石造りの無機質な街路に、クロエのいつもの「にゃはは」としたハニカム笑顔がよく映える。彼女は大きく両手を振りながら、駆け寄ってきた。
「クロエ……」
レイモンドの底知れない眼光と、尋問にすり減らされていた精神が、その笑顔を見た瞬間にふっと軽くなるのを感じた。
「大丈夫だった? 何もされなかった?」
「ああ、なんとかね。大したことなかったよ」
実際のところ、レンが語ったことは事実の範疇を出なかった。確かにあの路地裏に迷い込み、倒れていたのは事実だ。少女がいて、あの恐ろしいローブの女がいたことも間違いない。だが、意識が朦朧としていたせいで肝心な部分は曖昧模糊としており話すことなどあまりない。
自分が災厄の器として蘇ったことや、夢の中でシエルと交わした約束など、知られれば命の保証はない。そんな秘密は言えるはずもないし、それに自分自身この事はまだ曖昧なことも多かった。
レイモンドは最後まで鋭い猜疑心の目を向け続けていたが、レン自身が本当に全容を把握していないと悟ると、やがて追及の手を緩めざるを得なかったのだ。
「でさー、クロエ、明日からまた依頼受けられるかな?」
レンはわざとらしく頭に両手を組み、気まずさを紛らわすようにへらっと笑ってみせた。
「なんだかんだ言って、三日もぶっ倒れてサボっちゃったし。宿代もかかるからさ、稼がないと」
「もう、そんなこと言って大丈夫なの……?」
クロエは嬉しそうに安堵の息を漏らしつつも、ジトっとした心配そうな目を向けてくる。
「あー、後クロエの予備の回復ポーション、使っちゃったんだよね」
「へっ……?」
「あ、あれ、高級品なんだからね! 大事なとき以外使っちゃダメって、あれほど言ったのに!」
クロエはわなわないと小さな肩を震わせ、両手を腰に当ててぷんぷんと頬を膨らませた。
「いや、だって、あの時はガチで死にかけたんだって! すまん、マジですまんって!」
「もう知らない! 」
「悪かったって、クロエ。ちゃんとお金稼いで返すからさ」
「本当に返すんだからねっ!」
プリプリと怒りながらそっぽを向くクロエの肩を、レンは軽くごめんと笑いながらポンと叩く。
張り詰めていた空気が、いつもの温かい日常のそれにすっと戻っていく。
「じゃあさ、明日から気合入れて依頼こなさないとだね」
クロエがぽつりと言うと。
「おう、任せとけって」
とんだ災難から始まった異世界での生活。波乱万丈すぎる底辺冒険者のスタートを経て、今度こそ、本当の意味でレンの冒険者としての道が動き出すのだった。




