第四話 不条理な茶会と黒竜の威光
数日後。他の侍女によってドレスに着替えているシャディアに、ヴェロニカが竜王妃としての課題を出した。
「本日は社交教育の一環として、お茶会に出ていただきます」
「えっ」
突然のお茶会の参加に動揺を見せるシャディア。
「社交も竜王妃に必要なことです。もう一週間も学んだのですから、お茶会くらいできるでしょう?」
「………」
社交をするにはまだマナーな知識に不安が残るが、竜王妃に必要なことと言われれば逃げられない。シャディアは唇を噛みしめて、口から出そうになる不安を呑み込んだ。
その間も、シャディアの身支度は整えられていく。その腰から下にかけてボリュームがあるドレスを見て、ヴェロニカは人知れず笑った。
(竜の国のトレンドとはほど遠い人間界のドレスを着て、恥をかくといいわ)
竜の国に来るまで、まともな衣服を与えられなかったシャディアは、ヴェロニカの意図には気づかない。ただ、鏡に映る明らかにドレスに負けている貧相な自分の姿に溜め息をつくだけだった。
ヴェロニカに連れられて、宮殿の庭へと出る。シャディアは陽射しの眩しさに目を細めた。
庭先に設営されたテーブルに、貴婦人たちが座っている。シャディアは緊張で自分の心臓がきゅっと縮むのを感じた。
「――まあ、番様。ごきげんよう」
貴婦人たちがシャディアのドレスを見て、扇で口元を隠しながら露骨にクスクスと笑う。
「今日は番様のお披露目を兼ねたお茶会です。お教えした公式な儀礼をしてください」
「え、あ、はい」
ヴェロニカに促され、シャディアは目の高さで両腕を交差させ、その上に顔を伏せる。それは単なる貴族感の挨拶ではなく、公式な儀式で行われる高度な儀礼だった。
シャディアは足を大きく後ろに引き、腰を落とす。そして両手を大きく広げて時計回りに回転させようとしたとき、バランスを崩して一歩よろめいてしまった。
その瞬間、貴婦人たちの間から悪意を含んだ笑いが零れる。
「まあ、恥ずかしい」
「竜王妃となろうというお方が……ふふっ」
貴婦人たちの嘲笑に、顔を青くするシャディア。笑われて恥ずかしいという感情より、自分が失態を犯したせいでアルバジークの顔に泥を塗ってしまったのではないかと心配していた。
「――みなさま、番様はまだ不慣れなのです。どうぞご容赦ください」
ヴェロニカが笑い、シャディアが失敗した儀礼を美しい姿勢で見せつける。
「まあ、さすがヴェロニカ様。礼儀作法が完璧ですわね」
「竜王妃にふさわしい振る舞いだわ」
「………」
シャディアは人知れず拳を握りしめる。「竜王妃にふさわしい」という言葉が、やけに癇に障った。「アルバジークにふさわしいのはヴェロニカだ」。そう言われている気がして、竜としての本能がざわついたのだ。
「―――、」
そんな刺々しいお茶会を物陰から眺めていたのは、エスカリウスだ。ヴェロニカがシャディアを連れ出すところを見かけて、密かに着いてきていたのだ。
明らかにシャディアに敵意のある雰囲気だが、エスカリウスは手出ししない。シャディアがこの窮地でどう振る舞うか、竜王妃としての資質が彼女にあるのか、エスカリウスはここで見極めようとしていた。
「地の国からいらっしゃったのですものね。竜の国ではさぞ生活しにくいでしょう」
「竜王陛下が番を見つけられたと聞きましたが……このようなお方でしたのね」
「陛下もお選びになる相手をお間違えになったのではなくて?」
執拗な侮辱が続く。次第にそれは、シャディアではなく自分を愛してくれているアルバジークの選択を貶めているように聞こえて、シャディアは顔を上げた。
「――私を悪く言うのはかまいませんが、ジーク様を侮辱することは許しません」
その瞬間、シャディアの金色の瞳が鋭く光り、竜化する。無意識に放たれた黒竜の威圧感に笑っていた貴婦人たちは震え上がり、ヴェロニカも言葉を失った。
背筋を伸ばし凛と立つその姿には、先ほどまでの臆病さはない。まるで黒竜の姿が後ろに見えそうなほどの存在感に、場の空気が一変した。
そしてその空気は、エスカリウスのもとにも届いていた。
(これが黒竜様……! このお方こそが、我が主が焦がれた真の伴侶様だ……!)
シャディアの姿に竜王妃の資質を見たエスカリウス。ぞくりと肌が泡立ち、興奮で心臓が高鳴った。
「――な、なにを偉そうに……っ」
誰よりも早く我に返ったのは、ヴェロニカだった。
「地の国から這い出てきたくせに――」
「失礼します」
ヴェロニカが悪意を直接シャディアにぶつけようとしたそのとき、お茶会に割って入ってきたのはエスカリウスだった。
「エスカリウス様!」
貴婦人たちがざわめく。竜王の右腕たる彼は、貴婦人たちの中でも人気のある人物だった。
「――シャディア様。ドレスの色が御髪に映えて美しいですね」
「……!?」
エスカリウスが「番様」ではなく「シャディア様」と呼んだ。その意図に気づいたのは、ヴェロニカだけだった。
「しかし、そのドレスは竜の国のものではないようだ。これは衣装を用意した侍女の失態――引いては彼女らを取りまとめているリンドールの失態ですね」
エスカリウスの冷たい視線がヴェロニカへと向けられる。ヴェロニカは顔を青くして、すぐに頭を下げた。
「も、申し訳ございません! 番様には着慣れていらっしゃるドレスがよろしいかと浅慮しました……!」
「おや、リンドール。謝罪をする相手が違うのでは?」
「……っ、番様、申し訳ございません、でした……っ」
屈辱に肩を震わせるヴェロニカ。それでもエスカリウスに指摘されてしまっては、成す術もない。自分に頭を下げるヴェロニカを、シャディアは悲しそうな目で見ていた。
(薄々感じていたけれど……こんなにリンドールさんに嫌われていたなんて。私が不出来だから……)
(あのエスカリウス様までこの女に絆されるなんて! 信じられない!)
自分を卑下しそうになる思考を振り払うように、シャディアは頭を横に振る。少なくともアルバジークは自分を必要としている。それだけで、シャディアは強くなれる気がした。
「――シャディア様。陛下がお呼びですので、どうぞこちらに」
「え? あ、分かりました」
エスカリウスに丁寧にエスコートされながら、その場を去っていくシャディア。ヴェロニカは屈辱に震える目でシャディアの後ろ姿を睨みつけ、貴婦人たちは居心地悪そうに視線をさまよわせていた。
「あの、ジルアさん。ジーク様はお仕事中なのでは?」
「どうぞ、エスカリウスとお呼びください。――陛下は執務中ですが、シャディア様がいらっしゃればお喜びになると思います」
「え? ジーク様が私を呼んでいたんじゃ……?」
「いいえ。あれはシャディア様をお茶会から連れ出すための口実です」
エスカリウスがふっと笑う。彼の笑った顔を初めて見たシャディアは驚いた。
「……シャディア様。リンドールのことで、何かお困りごとはございませんか?」
「……いいえ、特に何もありません」
あのお茶会の一件で、エスカリウスもヴェロニカの悪意に気がついたのだろう。しかしシャディアは否定を返した。
(リンドールさんのことはきっと、私自身で解決しなきゃいけないことだから……)
竜王妃として、番として、一人の女として。ヴェロニカと向き合うことを、シャディアは心に決めたのだった。
「ディア! 今日のドレス姿も可憐だな!」
執務室を訪れたシャディアを、アルバジークは大歓迎した。例のごとく彼女を自分の膝の上に乗せて、その細い腰をぎゅっと抱きしめる。
「……はあ。ディアの香りを嗅ぐだけで心が休まる……」
「わ、私も……ジーク様の香りが好き、です……」
「っ、聞いたかエスカリウス! ディアが私を好きだと!」
「はい、陛下の香りが好きだとおっしゃいましたね」
「く……っ、聞き耳を立てていたのか、いやらしい奴め」
「同じ部屋にいるのですから、嫌でも聞こえますよ」
アルバジークとエスカリウスの気心しれたやり取りに、シャディアは微笑む。先ほどまでのお茶会での出来事など、なかったかのように気分が明るくなった。
「ああ、ディア。名残惜しいが、俺は執務の続きをしなければ……」
アルバジークはシャディアの頬を一撫でし、盛大すぎる溜め息を吐く。
「だが、ディアのおかげでやる気が出てきた。これからの執務もがんばれそうだ」
アルバジークが視線で合図し、それを受けたエスカリウスが手を叩く。すると扉から一人の女騎士が姿を現した。
「お呼びでしょうか?」
「シャディア様を部屋まで送り届けてください」
「かしこまりました」
「またあとでな、ディア」
額にアルバジークの口づけを受けて、シャディアは照れたように微笑む。それがまた愛しいと言わんばかりにアルバジークは最後に彼女を抱きしめてから、そっと手を離した。
シャディアが女騎士に連れられて執務室をあとにする。それを笑顔で見送るアルバジーク。そして二人の姿が見えなくなってしばらく、拳で荒々しく机を叩いた。
「エスカリウス、状況を説明しろ」
「はい」
突然シャディアを執務室に連れてきたエスカリウスの視線で、アルバジークは彼女に何かがあったのだと悟っていた。
「……何か勘違いをしているようだな、あの女は」
エスカリウスからお茶会の様子を聞いたアルバジークは、怒りをあらわにする。
「今日の様子から察するに、竜王妃教育の内容も怪しいかと思われます」
「今すぐ半殺しにして下界へ追放してやる!」
「それではシャディア様が喜ばないかと」
「俺のディアに害をなしているのだ! 生かしておくだけでも慈悲を与えている!」
「しかしシャディア様は、リンドールのことを一言も口にしませんでした。それは、ご自身で決着をつけたいという思いがあるからではないでしょうか?」
アルバジークが過保護になればなるほど、竜王妃としての資質が周りから疑われる。周囲から孤立して辛いのはシャディア自身だ。
「いっそ、ディアが泣きついてくれればよいものを……」
「そうしないところも含めて、私はシャディア様に竜王妃としての資質を感じます」
「……しかしお前、いつからディアを名前で呼ぶようになったんだ?」
「つい先ほどからですが何か?」
「……あまり呼んでくれるな。ディアは俺だけのディアなんだ」
竜王の可愛らしい嫉妬に、エスカリウスは笑わずにはいられなかった。




