第二話 白竜王の溺愛と初めての肯定
目まぐるしく駆け抜ける光の中を、二頭の竜が飛ぶ。真っ白な光の渦に飛び込んだ先に広がっていたのは、どこまでも続く真っ青な空と肥沃な大地だった。
「我が愛しの番よ、こちらへ」
――声が甘い。やさしく耳朶を包むような低い声に、先ほどまでの恐怖が薄れ、シャディアは思わずうっとりしてしまう。そうして誘われながら荘厳な白亜の宮殿に降り立った瞬間、白竜が人の形へと変身した。
陽の光を浴びて、長い白銀の髪が煌めく。金色に輝く縦長の瞳孔を細めながら、その美丈夫はシャディアへと手を伸ばした。
美丈夫の手を取った瞬間、シャディアも人の形へと戻っていく。竜化していた瞳も戻り、そこにはいつもと変わらない彼女の姿があった。
「ああ……! なんと愛らしい!」
「きゃっ」
美丈夫がシャディアを抱きしめる。シャディアは突然のことに身動きが取れず、ただその腕の中で固まった。
「竜の姿も美しかったが、人の姿も愛らしいな! 我が番よ、名はなんという?」
美丈夫の金色の瞳がシャディアを覗き込む。初めて自分と同じ色を持つ人に出会ったはずなのに、不思議と出会うのが必然だったように思えた。
「あ、えっと……シャディア、です」
「シャディア! ああ、シャディア……! 我が番……!」
「あの、あなたは……?」
「俺はアルバジーク・アルゼニス。どうかジークと呼んでくれ、ディア」
「ディ、ディア……!?」
潤む金色の瞳に見つめられ、そっと頬を撫でられる。その感触がくすぐったくて、シャディアは思わず目を閉じた。
「……む、これはなんだ?」
「あっ」
アルバジークが気づいたのは、シャディアの頬の傷だった。それを見た瞬間、彼の柳眉が吊り上がる。
「誰がそなたにこのような傷をつけたのだ!? 引きずり出して八つ裂きにしてやる!」
「だ、大丈夫ですから! 今はもう全然痛くないんです!」
「……あとで侍医に薬を持って来させよう。竜族の薬はよく効くぞ」
「あ、ありがとうございます」
お礼を言われて気を良くしたのが、先ほどまでの怒りは消え去ったらしい。アルバジークは満面の笑みでシャディアを見つめていた。
「さあ、ディア。宮殿の中を案内しよう。今日からここがそなたの家だ」
「きゃあ!」
アルバジークがひょいっとシャディアを横抱きにする。自分とは違う薔薇の香りが香って、シャディアはその濃厚さにクラクラした。
「そうだ、湯あみの用意をさせよう。ゆっくり湯につかって、疲れを癒すといい。――ああ、湯あみは俺が手伝おう。隅々まで洗ってやるぞ」
「い、いえ! 自分で入れますから!」
「遠慮することはない。俺が洗ってやりたいのだ」
食い下がるアルバジークをなんとか押し留め、なんとか一人で湯あみができた。久しぶりの湯は気持ちよく、ほうっと息をついたとき、シャディアは処刑台での出来事を思い出した。
(まさか私が、伝説の竜だったなんて……)
竜だった頃の記憶を取り戻した今でも、正直信じきれない。自分は一生『忌み子』として嫌われ、家のために尽くして死ぬのだと思っていた。
(……本当に、殺されるかと思った……)
処刑台で首筋をさらされたときの、ひんやりとした空気が忘れられない。あのときの恐怖を思い出して小刻みに震える手で、まるで繋がっていることを確かめるように、シャディアは首筋をそっと撫でた。
湯あみを終えると、二人の侍女が待っていた。一人はシャディアの顔や身体に丹念に香油を塗り、もう一人は髪を整えていく。二人の手つきが気持ちよく、シャディアは思わずウトウトしてしまった。
「――番様、準備が整いました」
「……わあ、」
髪と服を整えるだけで、人はこうも変わるのか。初めて着る綺麗なドレスと切り揃えられた髪を見て、シャディアは思わず感嘆の声を上げてしまった。
「ディア、準備ができたか?」
扉が開かれると同時に、アルバジークが部屋の中へと入ってきた。そうしてシャディアの姿を見た瞬間、彼はまた彼女を抱きしめた。
「ああ、綺麗だ、ディア。俺の色のドレスがよく似合っている」
「……あの、私の髪は、黒くて気持ち悪くありませんか?」
「何を言う。新月の夜のように静謐で美しい。俺は髪の毛一本まで愛しく感じるぞ」
「あ、ありがとう、ございます……」
真っ直ぐな言葉にシャディアは頬を赤く染めて、視線を下げた。それがまたアルバジークの心をくすぐったのか、今度は縦抱きにされながら、彼の執務室へと向かう。敬礼をした兵士が扉を開けば、灰がかった青髪に切れ長の深い紫色の瞳を持つ、長身の男が待っていた。
「待たせたな、エスカリウス」
アルバジークは執務室に置かれたソファーへと腰かけ、自らの膝の上にシャディアを座らせた。
「アルバジーク様! 自分で座れます!」
「だめだ。俺のためにここにいてくれ、ディア。それから俺のことはジークと呼ぶように」
「うぅ……」
人前で誰かの膝の上に座るなんて恥ずかしい。そんな彼女の思いとは裏腹に、エスカリウスと呼ばれた男は顔色一つ変えずにシャディアを見ていた。
「ディア。こいつは俺の右腕のエスカリウスだ」
「初めまして、番様。エスカリウス・ジルアと申します」
「あ、シャディア・ヘイズ、です……」
「ディアには竜の記憶はどのくらいあるんだ?」
「えっと、この国で生まれて……人間界に降りたことまで覚えています」
「なら話は早いな。現在の竜の国の王は、俺だ」
「えっ」
「ずっと生涯の伴侶となる番を探していて、ようやくそなたを見つけた。そなたの覚醒を感じ取り、人間界まで迎えに行ったのだ」
「……突然飛び出されたときは、何事かと思いました。執務を押し付けられた側がどれほど大変だったか……」
どうやらアルバジークはシャディアの覚醒を察するなり、すべての執務を放り出して飛び出したらしい。
「本当にそなたに会えてうれしいぞ、ディア。もうこのまま、番には一生巡り合わないのかと思っていた……」
アルバジークが甘えるように、シャディアの胸元へと額をくっつける。シャディアは戸惑いながらも、自分の中にも彼を愛しく思う気持ちがあることに気づいていた。
「番が何なのか、まだよく分かっていないですが……私もジーク様に会えてうれしい、です」
「本当か、ディア!」
アルバジークがうれしそうに笑い、シャディアの額に口づけを落とす。
「まだ覚醒したばかりだからな。これから徐々に竜としての本能が出てくるだろう」
そのとき、扉をノックする音が鳴った。アルバジークの許可を受けて、扉が開かれる。そこには、鮮やかな真紅の髪を揺らし、勝気な琥珀色の瞳を煌めかせた女が立っていた。
「竜王陛下、お呼びでしょうか」
「来たな。――ディア。彼女はそなたの侍女を務めるヴェロニカ・リンドールだ。竜王妃としての教育も、彼女が教えてくれる」
「よ、よろしくお願いします、リンドール様」
「リンドールに敬称はいらない。そなたは竜王妃になるのだから」
「あ、はい……」
「……よろしくお願いいたします、番様」
ヴェロニカは優雅な仕草で、シャディアに礼を取った。
「名残惜しいが俺は執務をせねばならぬ。そうせねば横にいる男がうるさいからな」
「あの、私はここで何をすれば……」
「俺と結婚する準備を整えてくれればいい。そのあとは、竜王妃としての公務がそなたを待っている」
「王妃としての、公務……」
「さあ、リンドールとともに行くがよい」
膝の上からやさしく下ろされ、シャディアは身の置き場がなくなったように戸惑った表情を見せる。アルバジークがそれにやさしく頷けば、彼女も頷き返してヴェロニカの方へ向かった。
「ではリンドール、よろしく頼む」
「かしこまりました」
ヴェロニカのあとを追って、部屋をあとにするシャディア。振り返れば、アルバジークが名残惜しそうに金色の瞳でこちらを見つめていた。
二人きりになった廊下。ヴェロニカの無遠慮な視線がシャディアをなめる。俯いているシャディアは、その視線に気づかない。
「――番というには、随分と人間臭いわね」
ヴェロニカの毒を含んだ呟きはシャディアに届かず、そっと空気に溶けた。
一方の人間界の王国では、民の混乱が王城にまで押し寄せてきていた。怒りと嘆きに声を上げる群衆の声が、城の中にまで届く。
国王は玉座で頭を抱え、顔を真っ青にしたオーリックは黙って言葉を待っていた。
「オーリック……。お前の沙汰が決まった」
「ち、父上……、私は……」
「王太子および王族としての地位を剥奪。平民として北方の辺境への追放を命じる」
「父上! それはあまりにも重すぎる罰ではありませんか……!?」
「黙れ! お前はそれだけのことをしでかしたのだ! 命があるだけでも有難いと思え!」
「ですが私はリリアーナに騙されて……!」
「その偽聖女も今は地下牢の中だ。彼女は一生を牢獄で過ごすことになる」
王城から少し離れた西の塔。地下深くへと続く階段を下りると、そこには罪人を閉じ込める陰鬱な地下牢があった。
「わたしは聖女よ!? 早くここから出しなさいよ! 守護神様の天罰が下るわよ!」
毎日続くリリアーナの甲高い声に、兵士はうんざりした様子で溜め息をつくばかりだ。
「シャディア……! あの忌み子のせいで……! あんな女が竜だなんて嘘よ! 見間違いよ!」
リリアーナはシャディアへの恨みを募らせる。その喚きに呼応するように、彼女の腐敗臭はひどくなるばかりだった。




