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 目の前には、頬杖をついた洗濯婦長がいる。

 三脚の丸椅子に腰掛け、火室の小窓から真っ赤に燃える炎を覗かせたストーブを見つめている。ストーブの天板の上には、鉄製のアイロンがいくつも置いてあって、ちょうど熱せられているところである。


「何で呼ばれたか、分かっているわね」


 朝一番で呼ばれた洗濯婦長の仕事部屋。

 切り株のような、ただ丸太を切っただけの椅子とも言えない木材に座っている私。

 立ち上がったネッサに尋ねられた。


 一昔前まで、熱した鉄を握るという裁判があったらしい。無罪なら火傷しないとか。

 火傷しない訳ないだろう、とストーブの上のアイロンを見ながら思った。

 魔法遣いじゃないのだし、そもそも魔法遣いなら裁判にならないだろうし。

 それは、拷問であり懲罰だ。


「………お仕置き、ってところですかね」


 握った拳を膝の上に乗せて、少し猫背になりながら、反省の意を示す。


「そうよ。

 でも、その前に、質問に答えてちょうだい」


 ネッサは、アイロンの一つを取って、コテ近くに手を翳し熱の具合を確認する。不十分と判断したのか、再びストーブの上に置いた。

 それから、私を見る。


「ミア。あの方とは、どういう関係?」


「全く、知らない人たちです。

 かなり上等な服を着てましたけど、何者ですか? あの二人」


「エリアス様の家庭教師と、その腰巾着よ」


 エリアス様。ノルデン公爵閣下の御子息にして御継嗣である。

 薄灰色の髪の男性使用人が家庭教師で、金髪がその取巻き。

 と言うことは、あの黒髪の坊ちゃまは、エリアス様の近侍か御学友――鞭打ち少年か。

 御継嗣の家庭教師。そんな高貴な人に、喧嘩を吹っかけてしまったのか。


「御継嗣の家庭教師と言うことは、魔法遣いですか」


「彼は違うわ。

 ていうか、魔法遣いに喧嘩売ってたら、こんなところで、呑気に話していられないわよ」


「あなたも私も、生きてないわよ」とネッサが鼻で笑う。

 それから丸椅子を私に近づけ、腰を掛けた。


「で。なぜ、見ず知らずの家庭教師様が、あなたを間諜だってホラ吹きながら洗濯場に乗り込んできたのよ?」


「前に、黒髪の男の子に声をかけられた事がありまして………」


 ネッサは、半眼で私を見下ろし、私の頬をぐにっと抓った。


「また、何か余計な事を言ったんでしょう!

 何をしてたら、どこにでもいる下級女中が声をかけられるのよ。

 ………え? 鍋を頭に乗っけていた?

 あなたねぇ。色々と目を付けられやすいんだから、目立たないよう、大人しくしてなさいよ。まったくもう!」


 抓られたまま、頬を引っ張られる。

 ネッサの力は、かなり強い。そして、痛い。

 なにせ、胡桃の殻を粉砕する手である。

 頬が千切れたかと思った。実際は千切れてはいないが。でも、赤く腫れてはいると思う。


「仕置きよ。

 ―――手を出しなさい」


 手か。

 手はやめて欲しかった。何もできなくなるから。

 せめて、腕とか、背中とか。火傷しても支障のないところが良かったが、文句は言えない。

 唇を噛み締め、前のアイロン台に手の平を上に向けて、手を置いた。


 ネッサは、その上に、バンっと乱暴に封筒を置く。

 結構、痛い。

 なにせ、以下略。


「公爵夫人の侍女の、ローテヒューゲル夫人に、恩を売ってきてちょうだい」


 ぽかんと口を開けて、ネッサを見上げた。


「あなた、家庭教師に言ったでしょ。

 自分がいないと困る、自分の代わりはいないって。

 だったら、それを証明しなさい。

 その手紙を、ローテヒューゲル夫人本人に持っていって。事の委細が書いてあるから。あなたが、いないと困る洗濯女中かどうか、彼女に判断してもらうわ。

 認められれば、この件は終わり。

 認められなかったら、―――マダムに判断を仰ぐわ」


 この件がまだマダム・ハウライトの耳に入っていない事に驚きだが、マダムの耳に入れば、私は確実に、説教折檻解雇のフルコースである。


「以上!」とネッサが私を椅子から追い立てる。

 手紙をポケットに仕舞いながら、思わず零した。


「アイロンで折檻されるのかと」


「そんな訳ないでしょうが。

 私は大事な仕事道具を、人を害することには使わないわよ。私を誰だと思ってんのよ?」


 ネッサに、先ほどとは反対の頬を抓られた。

 脅しの意図はあったと思う。

 脅迫だって精神的に害を与えてますよ、なんて野暮は言わないでおく。


「あ、ミアきた」


「婦長が一緒に手紙持って行けって」


 両頬を擦りながら洗濯婦長の仕事部屋を出たところで、廊下に屯していた四人に声を掛けられた。

 ライラ、ソフィ、エマ、それとマーサ。私の前に、ネッサの仕事部屋で説教を食らっていた面々である。


 四人とも元気がない。

 エマとマーサは、濡らした手巾で片頬を押さえている。二人とも頬が腫れているらしい。

 ライラが、私にも濡れた手巾を差し出してくれた。


「ごめん一枚しかない。両頬だとは思わなかったわ。

あと、戻ってくるまで食事なしだって」


 朝食前である。

「とっとと終わらせようよ」と、萎々と歩き出した四人の後を、私も萎々とついて行った。



 居館の使用人階最上階。この階のすぐ上に大広間がある。謂わば、バックヤード最前線。

 下級女中が立ち入ることのない、上級使用人たちの控え室である。


 その一室の壁際で、私たち五人は、真剣な眼差しで背筋を伸ばして突っ立っている。

 さすがのライラも、緊張しているようだ。

 エマとマーサの頬は、腫れがひいて、すっきりしている。もちろん私も元通りだ。


 ここに来るまで、それなりの時間を費やした。


 まず、居館の通用口に向かい、そこにいる仕着せの女中に手当たり次第声をかけた。


 女中と違い、侍女はローブを着ているので、すぐに分かるのだが、ここで手当たり次第侍女に声を掛けると大変なことになる。


 この城の侍女には、公爵夫人の侍女と、御令嬢の侍女の二通りおり、お互い縄張り意識がとても強い。


 仮に、公爵夫人の侍女への手紙の取り次ぎを、御令嬢の侍女に依頼してしまったとする。

 御令嬢の侍女から「公爵夫人のお付きの方は、あちらの方でしてよ?」と、ニッコリ丁寧に教えて貰えるのだが、それ以降、御令嬢の侍女全員から口をきいてもらえなくなる。

 そして、公爵夫人の侍女から「まったく。どなたとお間違えになって?」と、露骨に不機嫌な顔をされ、それ以降、公爵夫人の侍女全員から口をきいてもらえなくなる。

 もちろん、逆も然りである。


 公爵夫人の侍女か御令嬢の侍女か、それぞれ身につけている装飾に特徴があるらしいのだが、そう言った話は、普段居館にいない洗濯女中の耳には届かない。

 通用口を行き交う侍女が、どちらの侍女か、私たち五人には判断がつかない。

 なので、分かる女中を探すところから始まる。


 とは言え。

 大半の女中は、朝っぱらから通用口にいる、頬の腫れた三人を含む洗濯女中五人連れには近づかない。目が合った時点で、面倒事と察知して「知らない」「わからない」「ごめんなさい」と一目散に立ち去っていく。

 なんとか、気の弱い………もとい心優しい掃除女中に、公爵夫人の若い侍女に繋いでもらうことに成功した。


 そうして捕まえた、淡紅色のローブを着た金髪の若い侍女。彼女は、見るからに不機嫌だった。

 ガラの悪い洗濯女中と話していること自体、不本意と言った態度だった。

 私の差し出した封筒を手に取ると、その場で中の手紙を黙読し始めた。

「ローテヒューゲル夫人宛なんですが」と言いそうになったが、ライラに口を塞がれた。


「誰宛の手紙であろうと、手紙の内容は全て確認しています」


 塞がれた口から出るはずの言葉を察した侍女に、横目で睨まれた。

 が、しばらく読み進めると真剣な表情になり、そのうち、目を見開いて口をぱくぱくと動かし始めた。

 あたりをキョロキョロと見回し、目当ての人影が無かったのか、「ここでお待ちになって」と言い残して駆け足で行ってしまった。


 そして、待った。

 宝飾品を身に着けた業者と思われる男性に声をかけようとするライラを阻止したり、見知った上級使用人の男性にしなだれかかろうとするエマを回収したりしながら、待った。


 ただ侍女を待っているだけなのに、使用人はもちろんのこと、出入りの業者にまで、まるで公共の場で迷惑行為をしているかのような目で見られ始めた頃、侍女が戻ってきた。


 そうして連れてこられた使用人階最上階。

 この控え室である。


 飾りは少ないが見るからに上等なウール生地の赤紫色のローブ。それを身に纏った金髪のローテヒューゲル夫人が、若い侍女二人を伴って部屋に入ってくる。

 一人は、この部屋に連れてきてくれた淡紅色のローブの侍女。木製の小箱を両手でうやうやしく持っている。

 もう一人は、桃花色のローブを着た侍女。俯いていて、顔色が悪い。


「洗濯婦長からの手紙、確かに受け取りました。

 貴女方に依頼したいことがあります」


 ローテヒューゲル夫人は、ぎこちなくお辞儀をした私たち五人を見て、すぐに話を始めた。

「こちらを、ご覧になって」と、侍女が持っていた小箱を開ける。

 五人揃って、そろそろと移動し、小箱の中を覗き込んだ。


 中に入っていたのは、折りたたまれた白っぽい布。そこに金の刺繍が施されている。


「これが、何か分かるかしら」


 ローテヒューゲル夫人に尋ねられた。

 固そうなヘンプの朱子織に、歪んだ構図の刺繍。誰かの習作だろうか。それにしても金糸を使うとは、無駄遣いも甚だしい。

「触れても構わないわ」と言われたので、触ってみた。


「げぇ」


 思わず声が出てしまった。

 これが何か分かった。

 ローテヒューゲル夫人は瞑目し、小箱を持つ侍女は気まずそうな顔。桃花色のローブの侍女に至っては、今にも泣き出しそうだ。

「何なの?」と他の洗濯女中四人に視線で問われた。


「シルク………。何をしたら、こんなにボロボロになるんですか?」


 私の答えに、洗濯女中四人が、ギョッとした顔で布を見つめた。

 何をしたらと問いつつ、洗濯女中なら、何をしたのか大体の想像はつく。

 桃花色のローブの侍女が「うわぁぁん」と両手で顔を覆って泣き始めた。

 やらかしたのは彼女らしい。


「これを、元に戻してちょうだい」


 ローテヒューゲル夫人が薄目を開けて、微笑むような顔で言った。

 つられて、私も他の四人も口角を上げてしまう。

 こちらは、微笑んでいるのではなく、引き攣っているのだが。


「無理、です」


 洗濯女中五人の声が揃った。

 その余韻が消えた後は、部屋は凍りついたように沈黙した。


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