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「本当に成功するんだろうな!」
錫製のスプーンを片手に、そう叫んだのはシミーである。
結局、私は未だに銀食器の洗い場にいる。
とっとと鍋洗いに戻りたかったのだが、やはり、そう簡単に帰してくれなかった。
まあ、そうなるよね。
と内心、独りごちる。
詳細は省くが、紆余曲折を経て、黒ずみ落としの作業はシミーが行うことになった。
湯気がもくもくと立ちのぼるタライの中に沈んだ銀の平皿とスプーン。そのタライを前に、完全に及び腰のシミー。
手に持った錫製のスプーンをタライの中に差し入れようとしては、やめる。そして私を見て「本当に(以下略)」と喚く。
からくり人形か何かかと思ってしまうほど、同じことしか繰り返さない。
まあ、そうなるよね。
誰だって、貴重品の汚れ落としに失敗するのは嫌だ。躊躇するのは当然だろう。
おまけに、私の回答が「まあ、理論上は……」と語尾を濁しているものだから、不安になるのも分かる。
絶対に成功するとは言えないこちらに非があるのも分かっている。
とは言え。
そろそろ覚悟を決めてほしい。
また言うのか、と思い始めてから指折り数えているが、既に両手が塞がってる。
いい加減にしてほしい。
塩を溶かした湯が冷えるではないか。
それから、指折の復路――折り曲げた指を一つずつ開き、片方の手の指を全て伸ばし終えるまで、シミーは粘った。
粘ったところで、何もならない――既に銀食器は熱湯の塩水の中――という状況を、いけ好かない上級使用人から、滾々と説明され、とうとうシミーはタライに錫製のスプーンを差し入れた。
「――――錫の部分を、黒ずみに触れさせないと何も起きませんよ」
私は横から口を挟む。
差し入れたものの、錫製のスプーンのつぼの部分の三分の一も湯に浸かっていないのだ。
往生際の悪いシミーである。
タライの底に沈む銀の皿に届くくらい、錫製のスプーンを恐る恐る沈めるシミーに向かって、いけ好かない上級使用人が朗らかに言った。
「ティモシー。
その錫のスプーン、柄を直に持っているけど、熱くなるから気を付けろ」
思わず、私とシミーは、いけ好かない上級使用人の顔を見上げた。
確かにその通りなのだが、今このタイミングで、それを言うのか。
「――あっつ!」
驚愕に見開かれたシミーの顔が、醜く歪む。
持っていられなくなった錫製のスプーンが、熱湯のタライにぽちゃんと落ちていった。
そう。
錫は、熱伝導率が高い金属なのだ。
失念していた私も悪いのだが、気付いていたなら、もっと早く言ってくれ。
シミーが錫製のスプーンを手に持ってから湯に入れるまで、だいぶ時間があったと思うが。
敢えてこのタイミングで言うのは、性格が悪すぎるだろう。
「熱湯を使うから火傷に注意しろって、君が言ったんだよ」
非難の視線を向けた私を見て、いけ好かない上級使用人がニコッと笑った。
なんて、すったもんだの末。
無事に硫化した銀食器に、錫を接触させることができたわけである。
「私の目が悪いのかな。まだ黒ずんでいるように見えるけど」
3人で、タライの上から銀食器を覗き込む。
そう嫌味な声で私に言うのは、いけ好かない上級使用人である。
「まあ、錫ですからね。一瞬で全ての黒ずみが反応するわけではないですよ」
銀より錫の方が硫黄と結びつきやすい。あくまでも理論上の話である。
そう簡単に上手くいくとは限らないのだ。
私は、水槽近くにあったブラシの木の柄をタライに突っ込んだ。
上級使用人もシミーも、ギョッとした顔にこそなったが、何か言われることはなかった。
「――あ、ほら。
接触していた部分は、黒ずみがなくなってますよ」
柄で、沈んだ錫製のスプーンを突いて皿の上を移動させる。
錫と接触していた部分の皿の黒ずみが、ほんの小さな丸であるが、銀に戻っていた。
「こうやって、少しずつ接触させていけばいいんじゃないですか――」
言いながら私が顔を上げると、タライの湯に顔面が着きそうなほど前のめりになって覗き込む二人の後頭部があった。
「…………す、すごい」
「本当に黒ずみが――、輝きが戻っている――――!」
その後頭部から漏れ聞こえる感嘆の声。
わかる。
感動するよね。
その姿に、私は密かに共感を覚えた。
何しても落ちなかった汚れが、ふとした拍子に落ちると、本当に嬉しくなるのだ。
「――こんなことで、簡単に落ちるのか」
顔を上げたシミーはほとんど放心状態だった。
「今までの苦労は何だったんだ」と言いたげな表情である。
「この知識は、『おばあちゃんの知恵』的な何かか?」
そう問われると答えに詰まるのだが。
まあ、そういう事にしておこう。
普通のおばあちゃんは銀食器の手入れなんて、しないのだが。
「――それでか。銀食器部屋に、錫製のスプーンが落ちていたのは」
閃いた俺スゲーな顔をしているシミーには悪いのだが、例の錫製スプーンが落ちていた理由は、それではないと思う。
現に、ニコニコと笑ってシミーを見ているいけ好かない上級使用人の顔に、「そんなわけないだろ」と書いてある。
よくよく見れば「黙れティモシー」と変化していく。
その隙間に落ちていたスプーンの存在は、管理不行届きに行き着くので、いけ好かない上級使用人にとっては耳の痛い話なのだろう。
落ちていた錫製スプーンについては、尋ねないでおこう。
「いや、でも。このスプーンは、この前落ちていたスプーンではないな。あのスプーンは紋章が付いていたことだし。
ユリウス、この錫スプーンはどこから持ってきたんだ? やはり、銀食器には、紋章付きの錫製スプーンを使うべきでは?」
敢えて発言しないでいるのに。
空気読まずに、ぶつくさと言い続けるシミー。
ユリウスとは誰だ。
と思ったのは一瞬だけ。いけ好かない上級使用人の名なのだろう。
「――――ありがとう、洗濯女中の君。もう戻っていいよ。
この借りはちゃんと返すから、安心してくれ。
……ティモシー、調子に乗りすぎだ。いい加減にしろ」
最後は小声でシミーの脇腹を肘で小突く。
いや。小突くと言うよりは、完全なる肘打ちである。
いけ好かない上級使用人が、私の肩に手を置いたかと思うと、くるりと回転させられていた。そうして、ジャンケン列車さながら扉の方へ押しやられる。
よほど、錫製スプーンについて、私に聞かせたくないらしい。
「――ちゃんと伝えてなかったかもしれないけど。
ここで見聞きしたことは、他言無用だよ。
もし誰かに話したら、その時は。分かっているね?」
念を押されてしまった。
私が多方面に錫製スプーンの存在と、銀食器部屋の醜聞をばら撒いたせいか。
「ええ、もちろん。心得ています」
振り返って、私は肩越しにニコッと笑った。
別に、錫製のスプーンが銀食器部屋に保管されていたって、正当な理由があるのであれば、周知されても問題ないはずなのだが。
やはり、錫製スプーンの存在は、きな臭い話なのだろうか。
「…………十分信用に足りる返事だね」
いけ好かない上級使用人――ユリウスが朗らかに笑った。
「ここで見たこと、聞いたこと。とくに食器に関すること。
もし他の誰かに話したら――――。まあ、君の望みは、当分叶わないと思った方がいいね」
嫌な言い方をする。
泣きついてきたくせに。
「下級女中の私をお呼びになったのは、そちらです。
洗濯女中が箝口令を守るとお思いでしたら、考えが甘いと言わざるを得ませんよ。
それに、銀食器が使えない体質の方が存在するというのは、周知の事実ですし。別に隠し立てする必要はないのでは?」
ムッとして、口に出してしまった。
慌てて口を噤んだが、後の祭りである。
「……………………何の話?」
ユリウスが首を傾げる。
その顔は、真顔だ。
私は、嫌味の応酬をしたつもりだったのだが。
話が噛み合っていないようだ。
「錫製のスプーンの、話ですよね」
「――――いや、銀食器の黒ずみの原因の話だけど。
君、あんまり目立つと、パトリツィア様にも目を付けられるよってこと」
嫌味ではなく、真っ当な忠告だったとは。
「てか、錫製スプーンがどうしたって?」
「あー。……以前、この部屋で見つけた、錫製スプーンの話かと。
銀食器が使えない体質の方のための食器なのかと思いまして。エリアス様の前の侍従の方も、その体質だったのですよね」
「ああ、あれ。
あれは、昔に廃棄したはずの物が隙間に落ちていただけだよ。
工房から意匠確認で持ち込まれた試作品らしい。だから数に入っていなかったんだろうね。既に廃棄済みだよ。
しかし、そんな体質の人がいるなんて、初めて聞いたね。
――てか、エリアス様の前の侍従って何?」
何と問われても。
エミール様では。
「エリアス様には、ノア様しか御学友はいないよ。
現在も、以前も、ずっと。ノア様だけだよ。
誰からの情報か知らないけど、『ノア様の前任』なんていないよ」
ユリウスが真顔で言った。
どこか、苦しそうな、切羽詰まったような。
それは、うっすらと焦りすら感じる声色だった。




