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今夜は、早く洗濯場に戻れた。
マリア嬢と皿洗い女中たちと私。五人で、糊状石鹸を使って鍋洗いを終え、洗い場の掃除もそこまで時間を取らなかったからである。
掃除をそこそこにしたのは、あまり綺麗にすると、どこかの誰かに嫌味を言われるからだ。
洗濯場は、もちろん真っ暗。
と思ったが、食堂の方から灯りが漏れている。
夕食にありつけるかも。
最近、朝食だけの一日一食になりつつあったのだ。
腸詰が入っていなくてもいい。
とりあえず、温かい食事がほしい。
そんな思いで、食堂の様子を伺っていたら、裏口がダンと開いた。
ネッサである。
裏口の内開きの扉が、外側に開いている。
この既視感。
いつの間にか両開き扉になっていたのか。なんてアホなことは言わない。
「――――なんだ、ミアじゃないの」
肩透かしを食らったようなネッサの声。
その手には洗濯棒。
私を、のぞきと勘違いしたのか。
確かに、一生懸命、食堂の様子を見ようと壁にへばりついていたが。
「顔まで真っ黒だし、完全に目がイってたから、ミアだと思わなかったわ」
ネッサの後ろから洗濯女中たちが顔を出して笑う。
目がイってるって、失礼な。
ただ夕食にありつきたいだけだ。
ふんと鼻を鳴らし、水場で真っ黒な顔と手を洗った。ついでに仕着せも脱いでから裏口に向かう。
「夕食? いま片付け終わったところだよ」
そう言われ、私は裏口の前で両膝から崩れた。
干し肉の欠片と冷たくなった茹でた五月芋二つ。
それが私の今夜の夕食、ならぬ夜食である。
干し肉はライラから。五月芋は、マーサとソフィから頂いた。
因みにであるが、マーサの五月芋は昨晩の夕食時に、そして、ソフィの五月芋は今晩の夕食時に持ち出してくれたものだ。
片付けの終わった食堂は、既に灯りが落とされた。
私が夜食にありついているのは、屋根裏部屋である。
そしてもちろん、銀食器部屋の醜聞を広めている最中である。
「――ふーん。あのシミ男がねぇ」
自分のベッドの上で寝支度をしていたソフィが呟く。
「誰よ。シミオって」
「誰って。その銀食器皿洗いのこと。元家庭教師の装飾品、染み抜き――じゃなくて染み抜かれ男」
「染み抜かれ男だと長いでしょ」とソフィが言う。
そんなドヤ顔されても困るのだが。
あと、彼の名はティモシーだ。
「なら、シミーでいいじゃない」
エマが言う。
確かに。ティモシーはティミーと呼んだりする。
「落ちぶれたとはいえ、銀食器部屋でしょ。相当エリートなんじゃないの、シミー」
「シミー、金持ちのボンボンとか」
「そう言えば、髪を脱色してたよね、シミー」
ソフィもサラもマーサも、その呼称がお気に召したようだ。
「――みんな、シミーが気になるのは分かるけど。
水槽の隙間にスプーンが落ちているって、銀食器部屋あり得なくないよね」
「でも、そのスプーンは錫製なんでしょ。
間違って混入してた錫製のスプーンの存在に、配膳前に給仕が気付いて、慌てて見えないところに隠して忘れてた、とか。
可能性だけで言えば、いろいろ出ると思う」
銀食器担当を貶したいだけの私に、真面目に回答してくれたのはソフィである。
「マリア嬢は、銀食器が使えない来賓用じゃないかって」
「……来賓用ねぇ。あまり聞かないけど」
エマが、そう伏せ目がちに言って、チラと横に視線を投げた。
「もし、その通りだとすると、少しきな臭い話になるわよ」
エマの視線を受け取って、ライラが低い声で言った。
「そもそも、公爵家が、そういう体質の人を慮って錫製の食器を用意するなら、基本的には公爵より上の地位に対する配慮よ」
公爵より上。その地位に位置するのは、この国では、アルテリア王家しかいない。
「――王族であれば、他の高位貴族の屋敷だって滞在されることは十分考えられるのだから、どこの屋敷も用意があるものよ。でも、そんな話、聞いたことがない」
エマが、ライラの後を引き取って言った。
北部地方が田舎だから情報が限られている、というわけではない。
他の貴族の屋敷にいた経験がある使用人は多い。特に上級使用人は、他の屋敷での経験が買われたり、そこで得た情報と引き換えに雇用されたりする。
つまり、王族の嗜好や体質などは、自然とどの屋敷の使用人も知っていたりするらしい。
銀食器が使えないという特殊で重要な情報が、他の貴族の屋敷に共有されていないのはおかしい。
それが二人の見解である。
「基本的には、だけど」
ライラが言う。
「考えられるなら、ノルデン公爵家でのみ貴賓として扱われる人物、というところかしら」
他の貴族からは格下と見られているが、ノルデン公爵家では特別重要な人物。
多額の取引相手。もしくは、公爵家の弱みを握っているのかもしれない。
それは確かに、きな臭い。
その場がしんと静まり返った。
「――ねえ、ミア。さっき、マリア嬢って言った?
また侍女様に呼び出されたの?」
マーサの呑気な声が、場の空気を粉砕する。
「えっ、マリア嬢?!」
目を剥いたのはライラである。
「あれ、言ってなかったっけ。
侍女を辞めて、今、調理場の洗い場にいるよ」
「はああぁ?!」
五人が同時に素っ頓狂な声を出す。
他の部屋から苦情が来るから、あまり大きな声は出さないでほしいところだが。
まあ、驚くのは仕方ない。
「侍女辞めて、皿洗い女中って。聞いたことないけど。
何をやらかしたのよ、その人」
酷く冷たい言い方をしたサラ。
そう言えば、サラはマリア嬢に会ったことないのだった。
「いや、マリア嬢は悪くなくて。
………………私のせいなんだよね」
「はあああぁ?!」
先程の倍は大きいと思われる声。
まあ、言いたいことは分かる。
「ミア! あんた、また何やらかしたの?」
「ライラ! あんたが付いていながら、何やってんの」
「監督不行届じゃないの?」
「仕方ないでしょ! ミアだもの!」
「あー、あんまり大きな声は、隣の子たちから怒られるから――――」
「ミアのせいでしょうが!」
相変わらず、洗濯場は騒がしい。




