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「やめろ」


 低く落ち着いた男性の声。

 私の喉元を掴んでいた手が、ぱっと離れた。


 いつの間にか薄灰色の髪の男性使用人が、金髪の横に立っている。

 金髪は、自分の手首を掴む私の手を乱暴に払い除けながら直立不動の姿勢を取った後、腰からまっすぐ上体を折って彼に詫びる。


「お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません」


「女中に暴力を振るうのは感心しない」


「以後気をつけます!」


 ジーンと耳に響くほど大声を張り上げている金髪と違い、薄灰色の髪の男性使用人の声は落ち着いている。と言うか、感情の籠もっていない声だ。


 言っている事はもっともだが、女中を押しのけて転ばせるのを黙認していた口が言うのか。

 転んだ女中を跨いでいたのは誰だ。

 掴まれて乱れたフィシュを直しながら、男性使用人たちを睨みつけた。


「それから、同意なく女性の体に触るな。

洗濯女中も、女性であることに変わりはない」


 何か言いたげな金髪を片手で制しながら、薄灰色の髪の男性使用人が、私を見る。

 それは鋭く、森の狼のような琥珀色の瞳だった。


 金髪は、ぐぐっと音がするほど何かを飲み込んで、目を吊り上げて私を睨みつけながら、一歩下がった。


「以後…………気を、つけます」


 金髪の睨み付けは、薄灰色の男性使用人のそれと比べると気迫が全然足りていない。


「赤毛で、炭焼き職人を親に持つ洗濯女中を探しているのだが、この小屋の中にいるか?」


「わかりかねます。洗濯婦長にお尋ねください」


 薄灰色の髪の男性使用人を見据え、少し首を掲げながら顎を上げ、声を一段低く響かせる。

 かなり不遜な態度に見えるだろう。


 私の背後でマーサが盛大に吹いた。

 金髪がいきり立ってマーサの方へ行こうとする。薄灰色の髪の男性使用人が、その肩を掴んで制止した。


「ならば、洗濯婦長に取り次いでくれ」


「致しかねます。

 洗濯婦長は、只今、マダム・ハウライトの事務室におります。そちらをお尋ねください」


 薄灰色の髪の男性使用人が、ぴくと眉を動かし、目を眇めて私を見る。


「君、名は?」


「名乗るほどの者ではありません」


 洗濯女中たちが笑い出す。


「調子に………っ!」


 怒声を上げた金髪を、薄灰色の髪の男性使用人が制止する。そうして、口角を上げ、笑みを浮かべた。

 目は全く笑っていない。


「洗濯女中に、他国の間諜の疑いがある」


 洗濯女中たちの喧騒が止む。


「なんでも、炭焼き職人の娘と称するには博識で、それでいて字は読めない女だそうだ。

 それらしき者を知らないか?

 間諜は、詐欺師のように取り入り、まことしやかに虚偽を吹聴しては、人を扇動する。

 僅かな情報でも、貰えると有り難い。

 ―――それから、その赤毛は、よく熟れた甘橙あまだいだいの様な色だそうだ」


 良く通る声で薄灰色の髪の男性使用人が言う。

 それから、私の頭上に手を伸ばした。


「君、髪色は?」


 思わず、ライラの巻いてくれたキャップの襞を両手で掴む。


 そして、腹の底が抜け落ちるような焦燥感に駆られた。

 周りの洗濯女中たちが、「甘橙ってなぁに?」「温室にある木よ」とヒソヒソ話しているのが聞こえる。

 柑橘類はこの国の気候では育たない。その実を目にしたことがあるのは、貴族の温室を管理する者か、南方の異国の者に限られる。


 私の行動を見て、薄灰色の髪色の男性使用人は、頬に笑窪ができるほど、口角を上げた。


「甘橙の実の色を知っているのか?

 自分の髪色を、何色だと思ったのか?

 ―――ああ、答えたくないなら、答えなくていい」


 キャップの上から頭頂部に手を置かれた。

 そのままキャップを取り上げられるかと思ったが、違った。ただ置かれただけだった。


「ムキになると止まらなくなる。

 口は災いのもとだ、と言われただろうに?」


 その発言、坊ちゃまか。

 と言うか。間諜じゃない、転生者だ。

 半眼で睨みつけながら、頭上の手を払い除けた。


「同意なく体に触れないでください」


「これは失礼」


 薄灰色の髪の男性使用人は、触れていないとばかりに、両手の平を私に見せながら、大仰に言う。


「疑われていると知りつつ黙っているのは、隠匿の罪になる」


 私を見ながらも、周りの洗濯女中たちに言い聞かせるような声。

 洗濯場が静まり返る。


「洗濯女中に間諜が紛れていたとなると、洗濯婦長の責任が問われる。彼女の解雇は免れない。

 考えてみたまえ。間諜を隠匿した洗濯女中の処遇が、洗濯婦長と同じ解雇で済むと思うか?

 そう言えば、城の地下の貯蔵庫の奥に、女中の懲罰部屋があるらしいな。

 ―――どんな僅かな情報でも、とても助かるのだが」


 仕着せの衣擦れの音。洗濯女中たちが身じろいでいる。

 ここには、「次に何かやらかしたら………」と言われて洗濯場に回された女中が大勢いる。

 お互いに視線を合わせ、どうやって一抜けるか出方を伺っている状況だ。


「いや。解雇はないと思います」


 恐怖心を煽るつもりだろうが、そんなことさせるか。

 顎に指を当てながら、言ってやった。

 琥珀色の瞳の上の、片眉が少し上がった。


「おたく様が何を言おうが、洗濯婦長も洗濯女中も、解雇も仕置きもできませんよ」


「間諜が事実無根だからとでも言うつもりか? その言い分には無理がある。

 疑われている女中が存在するのは事実だ。その者を知っているかと訊ねているのだ。

 隠し立てするようであれば、隠匿の罪に問われるのは当然だ」


「事実無根が理由ではありません。

 おたく様が、どれほど偉い上級使用人か存じませんが、解雇だ仕置きだと仰ったところで、私たち洗濯女中の処遇は、マダム・ハウライトが決めることです。

 マダムの許可なく、洗濯婦長も私たち洗濯女中も、解雇などできないんですよ」


「とんだ屁理屈だな」と薄灰色の髪の男性使用人が嗤う。


「君は、家政婦長が、罪を犯した洗濯女中を処罰しないとでも思っているのか?

 洗濯は、どんな生まれでも誰でもできる仕事だ。

 わかるだろう?

 君たちの代わりはいくらでもいるのだよ」


 そう言う琥珀色の瞳は、実に愉しそうだ。


「問題行動を起こす女中を一掃するよい機会と、家政婦長も、さぞや喜ばれるだろう」


 人の弱みに付け込んで追い詰めて、命乞いするのを嘲笑いながら喰らいつくような。

 洗濯女中という、使用人として崖っぷちの彼女たちを追い詰める。

 控えめに言って、クソ野郎だ。



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