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リチネ。
片手ほどの大きさの青い小瓶。
万病に効く万能薬と言われ、高価なものとは思っていたが、とんでもなく高価な薬だった。
手元の金銭をかき集め、なけなしの金目の物を売っても、すぐには払えない。
人から借りるか。いや、そんな金額、貸してくれる人なんて知り合いにはいない。
あとは、髪は売れないかもしれないが、歯を売って、春を売って、それで足りるだろうか。
なんて頭を抱えて考えていたら、ライラに瓶を取り上げられた。
結局、リチネの代金は、ライラと折半。しかも金額未定の月賦払い。
私は、枕の中に隠していた所持金を、「今月の分です」とライラのポケットに押し込んだ。
その後も、リチネはライラが管理している。
私が寝支度を整えたら、ライラが瓶を出してくれる。それを二人して手の平に塗り込む。
たまに、居合わせたマーサたちも使っている。ライラ曰く協力金を徴収しているらしい。
「当然でしょ」と言われた。
しかし、こんな高価な薬を買えてしまうライラもライラだ。
育ちも良さそうだし、実家が太いのか。
それにしたって、用意してくれた事には感謝しかない。
それを言うと、「ミアが、病気かと思ったのよ!」と少し頬を赤らめて、気まずそうな顔をしていた。
「無理させて、ごめん。心配かけて、ごめん。
リチネ、髪塗れば、ツヤが出るよ」
「あんた、薬の値段も知らないのに、何でそんなこと知っているのよ」
謝罪と共に豆知識を授けると、ライラに呆れたような顔をされた。
高価であることは、知っていた。
ただ、私の思っていた高価より、ちょっと桁が違っただけだ。
言い訳ではないが、幼い頃、祖父と暮らしていた森の小さな家に、この薬があった。
私が病気になった時、祖父がどこからか出してきて、飲ませてくれた。
炭焼きの祖父が持っているのだから、洗濯女中の私でも真面目に働けば払えるくらいの金額だと思っていたのだ。
それが、城の洗濯の山を捌き切ったとしても払えない程の金額だとは。
祖父は私のために、なんとか工面して薬を買ったのだろうか。
寡黙な祖父だったし、笑顔なんて一回も見たことがない。
ただ、黒く汚れた大きな手の感触は、今でもなんとなく覚えている。
「ねえ。
赤毛の炭焼きの娘って、あんたのことじゃないの?」
私の背後で立ち止まったサラの声。
「私?」と、思い出から意識を戻して、タライから顔を上げると、正面に、険しい顔をしたライラがいた。
「いや、私は娘じゃなくて孫……」と口ごもる。
ライラとサラの視線の先は、私ではなく、洗濯場の出入り口。洗濯女中たちが集まっている。
何か揉めてるようだ。何人かが大きな声で喚いている。
「ミア、何かあったの?」
「まったく心当たりない」
私に視線を移したライラに、ぶんぶんと頭を振る。至って真面目に洗濯していたし、誰かに迷惑かけるようなことはしていない。はず。
「誰か来た」
洗濯女中たちを掻き分けるように入ってきたのは、女中たちより頭一つ高い男性二人。
黄色みの強い金髪の男性と、薄灰色の髪の男性。全く知らない男性使用人だが、遠巻きながらも、彼らが上級使用人なのが分かる。
彼らが「赤毛の炭焼きの娘」を探しているのだろうか。
前方を歩く金髪の男性使用人が、赤みのある髪の女中を見つけると、肩を掴み無理やり引き摺り出して、何やら怒鳴り付けている。
そうして、探している女中じゃないと分かると乱暴に押しのけた。女中が転んでも、そこを跨いで進む始末だ。
それを見たライラとサラの行動は早かった。
ライラは、自分のキャップを取ると、ポケットから手巾を出し、私のキャップの上から、赤毛が見えないように生え際を手巾で覆い、キャップを二重にする。
「裏口の外にマーサがいる」
その間に、サラは洗濯場の裏口までの動線を確保していた。
私は、感謝の意を込めて小さく頷き、踵を返す。
ライラもサラも、私が男性使用人たちから死角になるように立ってくれた。
「おい! そこの赤毛!」
男性の大きな声がして、思わず足を止めて振り返った。
ライラとサラと目が合う。二人が、「いいから行って!」と視線と発声のない口の動きで私に訴えていた。
ちらと男性使用人たちの様子を確認しようと視線を向けたら、薄灰色の髪の男性使用人と目が合った。
「貴様だ! そこの、血みたいな赤毛!」
そう言いながら金髪が掴んだ肩は、私のではなく、ライラとサラのすぐ横にいた、まだ少女と呼べる年頃の女中の肩だった。
少女は洗濯物のリネンをギュッと掴んで、見るからに震えている。私より赤みの強い彼女の髪を掴み、金髪が眉を顰めて嘲笑う。
「まるで血塗れだな。生き血でも啜ってるのか?」
はあ? 何をふざけた事を言っているのだ、この金髪は。
この少女は魔物だとでも言いたいのか。
「―――口にする物で髪の色が決まるなら、誰も苦労しないよ」
薄灰色の髪の男性使用人が、目を眇めて私を見ているのも、マーサが「ミア!」と裏口から私を呼んでいるのも、分かっていた。
でも、口から出てしまったものはしょうがない。
「……何、だと?」
金髪が、私を睨む。
私も彼を正面から睨み返す。
唐突に少女を突き飛ばし、カツカツと靴音を立てながら大股で近づいてきた。
サラが、額に手を当てて天を仰いでいる。
突き飛ばされた少女は、素早く動いたライラに抱きとめられていた。
「生き血を飲んでるから髪の毛が赤いのなら、あんたは生卵を飲んでるから髪が黄色いのか?」
私の喩えに、ライラが忍び笑いをしている。
「洗濯女の分際で!」
金髪が、私の首元のフィシュを掴む。
威圧しているつもりだろうが、全く脅威に感じない。この程度の取っ組み合いは、洗濯女中には日常茶飯事だ。
「あんたの理論で言うなら、黒い髪は黒茸を食べたからか?
公爵閣下の御髪が白銀なのは、五月芋のスープを飲んでるからか?
あんた、自分がどれだけ非礼で的外れなこと言ってんのか、分かってんの?」
「貴様っ! 無礼な!」
「無礼はあんただよ。
血の色で何が悪い。誰だって赤い血が流れてるだろうが。
あんたの血は黄色いのか。てかそれ膿が詰まってんだろ」
サラが横を向いて吹き出した。
「黙れぇ!」
わなわなと震えていた金髪は、そう叫んで、フィシュではなく私の喉元を直接掴む。
ぐっと喉に力を込めれば、そう簡単に意識が落ちることはない。
とは言え、苦しいことに変わりはない。
腹の底からの怒りの闘志を喉と瞳に込め、私の指が食い込む程に、彼の手首を掴んだ。




