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洗濯場の屋根裏部屋。
小さなベッドがところ狭しと並んでいる洗濯女中の部屋である。
梁と梁の間、小さな窓一つ分の狭い一室に詰め込まれたベッドは八つ。床板の上にリネンのシーツ、マットレスはない。
そんなベッドに、キャップだけ取って、仕着せのまま、私はシーツに突っ伏した。
なんだか、とても疲れた。
「どうした、ミア? 疲労困憊?」
やや舌足らずな声がした。同室のマーサである。
おっとりとした所謂ゆるふわ系であるマーサ。心から私を気遣っている様子だった。
ちなみにマーサは体格もゆるふわ系だ。
「あの量の灰を、一人で運んだんでしょう? 疲れたよね」
「……心のダメージが大きかった」
「今更何言ってんの。ライラが男と消えるなんて、毎度の事じゃない」
「そこじゃなくて……」とモゴモゴ言い淀んでいると、部屋の入り口が開いて、キャップを取りながらライラが入って来た。
「あ、罪深い女のご登場」
「誰が罪深い女よ」
「あんたが、自分か男かで、男を選んだから、ミアが寝込んでるの」
「そうなの?」
ライラが私のベッドの隅に腰掛け、「ミア」と私の後頭部を優しく撫でながら、顔を覗き込むように覆いかぶさり、耳元で一際甘い声で囁く。
「寂しい思いさせてごめんね、ミア」
ライラの金色の細い髪が、私の首元をサラサラと流れていく。
「いや、してない。てか、そういうの、いらない」
「え、いらないの?
まあ、ちょっと冗談めかしたけど、本当に悪いことしたと思ってるのよ。一人で灰運ばせてしまって。重かったでしょう」
「いらないなら、仕方ないかぁ……」と言いながら、仕着せの大きな隠しポケットに手を入れ、勿体ぶるようにして、細長い干し肉を引っ張り出した。
「貰ったのよ」
「いる」
私は素早く起き上がって、肉を見つめた。
目は輝いていたと思う。でも、ヨダレは垂らしていない。たぶん。
私の横で、マーサの目も輝いている。
ライラは、目を細めながらマーサの顔の前で干し肉を右へ左へ揺らす。
「で、誰が罪深い女ですって?」
「あーん! 慈悲深きライラ様、お許しください。この愚かな口にお恵みを!」
「……よかろう」
そんな茶番劇に気付いて、同室の女中たちが「わたしにもお恵みを!」と集まってきた。みんな、肉に飢えているのだ。
ライラは、干し肉を適当に千切って、集まった女中たちに配っていく。
そこへ、「これも飲まない?」と膨らんだ革水筒を持ってきたのはエマである。
「葡萄酒じゃない!」
「あんた、なんでこんな物、持ってるのよ」
キャアキャアと同室の女中たちが騒ぎ立てる。葡萄酒なんて下級女中が口にすることは滅多にない。居館から離れた洗濯女中なら、尚の事である。
「もらったの」
エマが、ホクロのある口元に人さし指を寄せて、小さく笑みを作った。
葡萄酒を貰えるなんて、艷のあるホクロと立派なお胸を有するエマだから成し得ることである。
ちなみに、私たち洗濯女中が飲むのは専ら麦酒である。
「晩餐会の時の余り物だそうよ。かなり上等なのも入ってるらしいわ」
「……へぇー、晩餐会ねぇ」
低いライラの声に、一同ハッと息を呑んだ。
「あ……」とエマが美しい口を半開きにして呟いた。
皆で、そろりそろりとライラを見遣る。
ライラは半眼で首を傾けていた。
「葡萄酒に罪はない。許す」
わっと誰ともなく歓声をあげた。
小片のような干し肉をかじりながら、革水筒を回し飲みし、他愛ない話にキャッキャッと盛り上がる。
どこの世界にも青春は存在する。
「ミア」
ライラが皆から少し離れ、部屋の隅に来るよう手招きしていた。
内緒話だろうか。
まさか、通用口での業者選定の話ではないだろうか。だとしたら、「収穫なし。以上」で終わるのだが。
私が近づくと、ライラは、隠しポケットの中から薄布に包まれた青色の小瓶を出して、私の手に握らせた。
瓶の中身は液体だ。布に何か書いてある。
「リーズ……?」
布の文字の形と、私の覚えている単語の文字を頭の中で照らし合わせる。
「リチネ」
いつの間にいたのか、私の肩越しに、ずいっと顔を出してきたサラが言う。
「リチネって、書いてあるのよ。あんた病気なの?」
やや配慮にかけるその行動に、ライラが苦虫を噛み潰したような顔でサラを見ている。
私は「いや」と首を横に振った。
「じゃあ何で薬が必要なのよ?」
「なに? ミア、どこか悪いの?」
私とサラとの会話に、マーサが反応する。
「だからさっきも寝てたの? 薬飲めば治る? 死んじゃ嫌よ」
楽しそうに笑い合っていた女中たちが、青ざめた顔で私を見る。
ライラは眉間にしわを寄せて、視線を合わせてくれない。
と言うか、みんなして、勝手に私を病人にしないでほしい。
小瓶の蓋を開け、手で仰いで匂いを嗅ぐ。
残っていた干し肉を口に放り込み、小瓶の液体を指先に垂らして感触を確かめて、確信した。
確かに、以前ライラに、手に入らないか尋ねたことがある薬だ。
「欲しかった薬だけど、飲むためじゃなくて、塗るため」
無色透明の液体を、片手のひらに出し、両手を擦り合わせて皮膚に塗る。
そうして、油分でベっとりとした、ヒビ割れだらけの手のひらを、みなに見せる。
「手荒れで死ぬ人はいないと思う」
最近、罅割れがパックリと裂けて、指という指から血が出て困っていた。一度洗ったリネンに血がついて、また洗い直したりしていたのだ。
これでかなりマシになるだろう。
「ライラも寝る前に塗ったら? 明日は灰汁使うし」
と、ライラを見たら、なぜか顔が引きつっている。
「手荒れ……」とマーサ。
「そんな。リチネを……」とサラ。
なぜかみんな、顔が青いままだ。悲愴の面持ちと言うより、衝撃を受けたような顔である。
「ミア、それ………」
「そう。だから、寝る前。塗った手を使って、物食べたら、吐くよ」
「いや、そうじゃなくて」
ライラが私の耳元に手をやって、耳打ちする。
聞いたのは、この薬の値段。
思わず、塗ったくった手の平を凝視してしまった。
正直言って、私が払える金額ではない。
手荒れに、その値段は、費用対効果が悪過ぎだろう。
「あの、ライラ。私、今、持ち合わせが………」
首が錆びついて、ギギギと変な音を立てているような気がする。
そうしてライラを見る。
ライラは、澄ましたような笑みを浮かべていた。
「払ってね」
ライラの金色の髪が、優雅に揺れた。




