50
「芥子の実ですか?
ええ、モンドシュタイン家の直轄農園から殻ごと搬入されていますよ」
マリア嬢が、真っ黒な鋳鉄鍋を藁束で擦りながら答えてくれる。
「保存が効き大量に消費する穀物類は、一般的には四半期に一度の搬入です。芥子の実も同じ搬入頻度ですよ。
城で晩餐会が予定されている場合などは、搬入時期が前倒しされたりということはあり得るでしょうが、それでも数ヶ月に一度、大量に搬入されるはずです」
マリア嬢、ご実家は農園主だそうで。
作物の納品方法について、鍋洗いがてら尋ねてみたところである。
日没後の調理場の洗い場。
今日も糊状石鹸を自作した。
昨日と違うのは、それを水に溶かして、石鹸水にして使用していることである。
糊状石鹸の使用量を減らすため、つまり節約のためだ。
その理由は、使用者が増えたからである。
「ねえ、なんで洗濯女中のあんたが、あたしたちより多く鍋を洗ってるのよ」
「早ければ良いって思ってるでしょ。いい加減なことしないでよ」
洗い場に足を踏み入れた途端に、私は血の気の多い皿洗い女中たちに取り囲まれた。
所謂、喧嘩腰というやつである。
皿洗い女中たちを執り成そうと、マリア嬢がおろおろしているのが視界の端にあった。
しかし、心配することは何もない。
彼女たちの言葉を訳すならば、「あんた昨日めちゃくちゃ早く洗い終わってたよね」「それ、私たちにも使わせてよ」である。
それはそれで、カツアゲ状態ではあるが、糊状石鹸を独り占めするつもりは更々ない。
自作なので大量に作れば良いのだろうが、それはそれで酒精が勿体ない。
と言うことで、節約モードに入ったわけである。
糊状石鹸を藁束に直接つけて鍋を擦っていたものを、藁束を石鹸水に浸した後に、砂とともに鍋を擦ることにした。
かなり水っぽいが、真っ黒な泥のような泡は立つし、砂のおかげで研磨作用もある。
昨日の、煤汚れが崩れ落ちるような爽快感はないが、汚れは十分落ちる。
廉価版としては申し分ない作用である。
ちなみにであるが、汚物のような糊状石鹸と言えども、石鹸水にすれば白濁した水になる。多少ゴミは浮いたりしているが。
汚物感が軽減したせいか、マリア嬢も躊躇なく桶に手を突っ込んでくれた。
そして、何より人足。
昨日は二人だったものが、その倍以上になったのだ。
初めこそ、昨日と同じく、みな黙々と鍋に向き合っていたのだが、二つ三つと要領を掴めてくると、囀り始めるのが下級女中の性である。
と言うことで、私とマリア嬢が、喋りながら鍋を擦っていても、誰も文句は言わない。
皿洗い女中たちは皿洗い女中たちで楽しそうだし、知っている話題になると横から口を出してきたりする。
「芥子の実の脱穀って、粉挽きみたいに使う都度しているんですか?」
「麦類の粉挽きと違って石臼は使いませんが、殻剥きという意味では、公爵家では、使う都度ですよ。
芥子の実は、種の状態で時間が経つと、風味が変わってしまいますから」
「知らなかったの?
芥子の実を使う都度殻剥きするの、調理場の常識よ。
まあ、洗濯女中なら、風味の違いも分からないかもしれないけど」
隣で鍋を擦っていた皿洗い女中が、私を見て言う。
仰る通り。その風味の違いとやらは、私には分からないと思う。
「小麦は水車小屋に持っていけば臼が勝手に挽いてくれるけど、芥子の実は、私たちがちゃんと一つ一つ手作業で実を割って取り出してるの。
洗濯棒振り回しているだけの洗濯女中とは違うのよ」
丁寧な手仕事、痛み入ります。
仰る通り。洗濯女中は洗濯棒で染みを抜くのが仕事である。
「――ねえ、なんであんた、芥子の実のことをそんなに知りたがるの?」
皿洗い女中の一人に尋ねられた。
芥子の実のことばかり話し過ぎたか。
でも、よくぞ尋ねてくれた。
私は、心の中で口角を上げた。
「この前、看護女中様から芥子の実の詰め物の焼き菓子を頂いたから。
それがとても美味しかったから、どうしてかなって気になって」
半分は本当のことである。
看護女中からの、芥子の実の詰め物の焼き菓子。
それを聞いて、元侍女であるマリア嬢が、何か反応を示すか、確認したかったのだが。
マリア嬢は、「芥子の実ペースト、芳ばしくて美味しいですよね。黒パンに塗るのもオススメですよ」とほっこり笑顔である。
マリア嬢は、ラウダヌム擬きと無関係のようだ。
一方で、息を呑んでいるのは、皿洗い女中たちである。
「え。芥子の実の詰め物、あんた食べたの?」
全員が全員、焦った表情である。
「で――――、風味って違うの?」
一人が恐る恐る尋ねてきた。
私が瞬きをしていると、それを皮切りに他の皿洗い女中たちも声を上げ始める。
「だって、私たち、自分で剥いた芥子の実なんて食べないもの!」
「風味が違うって言われても! 風味の落ちた芥子の実か、下町のパン屋の物しか口にしたことないし!」
「で、どうなの。やっぱり、剥きたての芥子の実は違うの?」
どうと言われても。
私が食べたのは、ラウダヌム擬き入りなので、劇不味なのだが。
まあ、剥きたてかそうでないかの風味の違いと言う意味では。
「あんまり、変わらないと思う」
瞬きをしながら首を傾げた私に、皿洗い女中たちが盛大にため息をついた。
「これだから、洗濯女中は」「もっと気の利いたこと言いなさいよ」「味とか香りの比較とかないの」と言いたい放題である。
食レポを求められても困るのだが。
私が何かしら言わなければ、彼女たちの腹の虫は治まらないのだろう。
「――顔色を窺ったり色々苦労して口にした割には、大した違いはなかった。
だったら、下町のパン屋の方が気兼ねなく食べられるし、価格的にも精神衛生的にも良いと思う」
紛うことなき事実である。
皿洗い女中たちは、スンと真面目な顔になって、「なるほどね」とだけ言って頷いた。
「しかし、あんな細かい芥子の実を手作業で剥くなんて流石だよね。
後始末とかも大変じゃないかな。服も汚れるし、殻のゴミが出るし、掃除もしなきゃだし」
それとなく芥子の殻の行方を探る。
言葉に感情が全くこもっていないが、まあ別にバレないだろう。
「そうね。どうしても種が殻に残ってしまうから。それで種を細かく取ろうとすると、今度は殻の屑が入ってしまうし。まあ、大変よ」
「殻はそのまま捨ててる?」
「かまどの焚き付けに使ったりするけど、だいたいは他のものと一緒に捨ててるわよ」
「なに、あんた。今度は廃棄の話?」
「そんなに知りたいなら、後で堆肥場を見てくれば。ついでに、そこの汚泥も持って行って」
願ったり叶ったりである。
残飯の桶を見て口角を上げる私を、皿洗い女中たちが半眼で見てくる。
「――残飯は置いといて。明日の朝、豚小屋の子が取りに来るから」
「汚泥だけだから」と皿洗い女中たちに釘を刺された。
「――――あんた、残飯といい、灰といい、本当に汚物好きね」
そう言われても仕方ない節はあるが。
どこぞの蒐集家ではあるまいし、決して、汚物が好きなわけではない。
とは言え。
汚れが落ちていく過程を見るのは、たまらなく好きである。
今日も、真っ黒なドロドロの煤と油が、鍋を濯ぐと、気持ち良いほど流れ落ちていく。
鉄鍋の山が瞬く間になくなっていく。
この達成感は、皿洗い女中たちも、共感してくれるはずである。




