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量だけが毒を作る。
そんな言葉を残した医者がいた。
薬も過ぎれば毒になる。仮に必要不可欠な物質でさえ、多量であれば人体に害をなす。
毒性学の話である。
人の心も同じなのではないかと思う。
深い愛情が、人を害すほどの猛毒になることも。
しばしばあり得る。
そんなことを考えてしまったのは、多分、あの廊下を歩いたからだ。
あの鼻血が出そうになるほどの、淀んだ空気の豪華な廊下を。
「ライラは、テリアクの作り方って、知ってる?」
家庭教師の部屋から戻る道すがら。
塔の螺旋階段、エリアス様の肌着の部屋の前である。
私は、足を止めてライラを見た。
ここであれば、他人の目を気にせず話ができると踏んだためだ。
「なに、突然」とライラは怪訝な顔をしたが、すぐに何か思案し始めた。
「テリアクって、あの神秘薬のテリアクよね。作り方なんて門外不出よ。処方する医師すら正確な配合は知らないんじゃないかしら。
私だって容れ物しか見たことがないし、正確なことは言えないけど、恐らくは葡萄酒で練った薬だと思う。
――で、テリアクがどうしたの?」
「公爵夫人に処方されているテリアク、オピウムが使われてる」
私の答えに、ライラが沈黙する。
固まる、と言うよりは、私を見ながら超高速で思考が回転しているような、そんな沈黙だった。
「――――あんたの勘の良さ、本気で心配になるわ。
絶対に一人で突っ走らないこと。いいわね」
「ライラだから話してる。他の誰にも言わない」
「そのテリアクも、ラウダヌムと同じように芥子の殻から密造されてるって言いたいの?」
「テリアクの材料が分かれば、だけど…………」
以前、リーリエ嬢に平手打ちを食らった時の、あの阿片の匂い。
それと、阿片擬きの焼き菓子を咀嚼した瞬間の鼻に抜ける匂い。それらは少し違う気がしたのだ。
作り方や材料が分かれば、その違いがはっきりすると思ったのだが。
「公爵夫人の服用するテリアクを、ここで作る意味はないわよ」
ライラが言った。
どういうことだ。
「あの神秘薬の元締めは、ローゼンクヴァルツ家だもの。
実家が正規品を扱っているんだから、態々、粗悪品を服用する理由はないわ」
確かに。
それはライラの言う通りである。
「――それに、ズューデンマルク侯爵が、アンネマリー様に非正規薬の服用を許すはずがない」
ライラが静かに言った。
「今どき心気症状を子宮と結びつけるなんて、古い価値観だと思うけど、それでも因習に囚われている人間はそれに固執するのよ」
「…………何の話?」
「テリアクは、アンネマリー様に、次の男子を産ませるための薬よ。
ローゼンクヴァルツ家の血を引いた、健全な男子をね」
返す言葉が見つからなかった。
一昔前までは、女性の激しい気性や抑鬱は、子宮の病気だと思われていたらしい。
つまり、子宮の病が原因で次の子を身籠らない娘のために、ズューデンマルク侯爵は、万能薬を用意している、ということか。
エリアス様が、魔法遣いではないから。病弱だから。公爵閣下が実子と認めなかったから。
だから、代わりの男子を、次を産めと。
仮に、公爵夫人が、次の子を身籠ることができなければ。
或いは、公爵夫人が、エリアス様に固執して懐胎を拒むのであれば。
別のローゼンクヴァルツ家の娘が、モンドシュタイン家に嫁ぐことになるのだろう。アンネマリー様が、リーゼロッテ様の身代わりだったように。
まるで陳腐な感傷劇だ。
あの廊下の最奥の部屋で、我が子に寄り添う母にとって、テリアクとは。
親と子を繋ぐ生命線であると同時に、血筋という毒そのもの。
ただの、幻灯機劇である。
「貴族の家に生まれた子なんて、そんなもんよ」とライラが言った。
まるで、凪いだ水面を滑り出すような、そんな軽い口振りだった。
私が、ライラの知らない世界を知っているように。
ライラは、私の知らない世界を知っている。
ただ、それだけの事である。
螺旋階段の上の、エリアス様の居室の階に繋がる扉を見上げて、そんなことを考えていた。
そんな私に、ライラが嘆息と共に言う。
「ミア、あんたの仕事は――――」
「わかってる。エリアス様の肌着の洗濯」
「あと、日没後の鍋洗いと、芥子の殻の行方を調べる。分かってるわよね。
次報酬貰ったら、リチネの支払いに充ててね」
「その前金の正銀貨は取り立てないであげる」とライラに微笑まれた。
私も、ライラに微笑み返した。
つもりである。
しかし、引き攣っていたと思う。それか、無表情だったか。
ちなみにであるが、この銀貨を、サラへの債務返済に充てるつもりはない。
銀貨の価値が、古着等の負債額と比べて、高すぎるからだ。
もちろん、前金の腸詰を引いて、追加借入の革紐を足した負債額である。
何が言いたいのかというと。
実は、この正式な銀貨。私のようなド底辺庶民が持っていたところで、めちゃくちゃ使い難いのだ。
家庭教師に、「補助銀貨に、両替してくれませんか」とお願いしようか、本気で迷ったくらいである。
こんな銀貨を放り投げるくらいである。
家庭教師もまた、私の知らない世界を知っているのだ。
家庭教師は、エリアス様の護衛であり主治医だと言っていた。
公爵家に雇われたのだと。
では、誰が、雇ったのだろうか。
実姉のパトリツィア様やその周囲、祖父であるズューデンマルク侯爵。
身内の人間たちに不要な存在とされ、父親である公爵閣下からも子と認められなかったエリアス様。
その身を案じるとすれば、母親であるアンネマリー様。
で、あるなら。
ローゼンクヴァルツ家のテリアクと、ラウダナムの密造は、関係が薄いのだろうか。
そもそも何故、ラウダヌムを密造するのか。
阿片自体は、依存性こそ高いが、致死毒とは言い難い。
一度に多量を摂取すれば、確かに死に至るが、その死因は昏睡による呼吸の停止である。
それはそれで自然な死を装うことができるが、口にした瞬間、確実に、風味という言葉では片付けられない違和感を生じさせる。暗殺には不向きな薬物である。
単に嗜好品として使用するためか。
或いは、別の理由か。
なんて、私が思案したところで、理解はできないのだろう。
その人間たちも、私の知らない世界を知っているだけなのだ。
知識とは。
己の暮らしと命をより良く存えるものだと思っていた。
でも。
有り余る知識は、己の身をも破滅に追い込む毒になり得る。
毒を毒と気付かないまま。
まるで深淵に堕ちていくように。
そして、いつかは思い知るのだ。
幻灯機の灯りが消えるように、栄華も栄光も、あると信じていたものが、幻だったと。




