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「もちろん、報酬は出す」
家庭教師のそのひと言で、私は腕を締め上げる力を緩めた。
「お話を伺いましょう。
お引き受けするかどうかは、具体的な内容を伺ってからお答えしますが――――」
「いいえ! まだ駄目」
家庭教師の背中から退こうとした私は、ライラの鋭い声に制止される。
「お話の前に、ミアの――――貴重な資料とやら、全て。廃棄してくださいますよね?」
ライラは、家庭教師の顔の横にしゃがみ込み、その首筋、項の下あたりに裁ちばさみの切っ先を突き立てながら微笑んだ。
ライラが怖い。
めちゃくちゃ怖い。
これは、絶対に逆らってはいけないやつである。
家庭教師も、そんな悔しそうな顔をしていないで、さっさと「棄てる」と言えばいいのに。
私のゲロに命を懸けないでほしい。
たっぷりと時間をかけた後、家庭教師が折れた。
あまりに返答を渋るので、緩めていた腕を再び締め上げ、先に腕が折れるんじゃないかと思った矢先だった。
「――奴らの手がかりになる貴重な資料が……」
とか何とか。
解放された腕と肩をほぐすためか伸縮運動をしながら家庭教師が、暗い顔でブツブツ文句を垂れている。
それならば、またあの焼き菓子を手に入れたら、芥子の実の詰め物を提供してやろうか。
なんて提案してみたが、「それはそれで比較分析が必要だから試料は多ければ多いほど良い」とか何とか言い出した。
もういい。早く棄ててくれ。
部屋の奥、恐らく書斎と思われる部屋へ姿を消した家庭教師が、しばらくして両手に色々抱えて戻ってくる。
そうして、ガラス瓶やら布の切れ端やら、細々としたものを、やっと暖炉に投げ入れた。
やっと、である。
あらかた投げ入れて、「これで良いのだろう」と言わんばかりにこちらに近づいてくる。
そして、私に布の塊を放り投げてきた。
私はそれを両手で掴む。
家庭教師の服だった。
しかも、これ、昨日の服ではないか。
「それを前で抱えていれば、君の服の着崩れは隠せるだろう。
以前もその着崩れた格好をしていたが、淑女として服を着るなら品格を持て」
私の見てくれの話である。
ライラに借りたステイズが千切れて、ジャケットの前立てが浮いている、このみっともない姿を隠せ、と。
おたく様も服装警察の人間かと思ったが、そんなことはどうでもいい。
ついでのように「あと、これ、洗濯物」と言わんばかりに渡されたのは、昨日の服である。
何今更、さらっと出してくるんだ。
「――――あの、珈琲の染みは時間が経つと落ちないって、言いましたよね?」
「心配ない。珈琲の汚れは既に処理している」
「は?」と怪訝な声を上げる私とライラに、家庭教師が目を細めた。
「まあ、座りたまえ。話をしようではないか」
そう言えば。
ノア坊ちゃまの嘔吐騒動の時も、自分で処理するとか言っていた。確かに、あの時の服に汚れはなかった。
家庭教師は、何らかの方法を持っているのだろう。
頑固な染みさえも抜く技術。
それはそれで興味がそそられる。
「芥子とオピウム、ラウダヌムの違いが分かるか」
ドヤ顔で家庭教師が言う。
なんだ。
ゲロの分析結果の話か。
その話は、遠慮させていただく。未だに背筋がぞわりとするのだ。虫唾が走るというやつである。
家庭教師が、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
自分の指示通りに椅子に座って、興味津々という顔を向けていた洗濯女中二人が、自分が口を開いた途端に、半眼で嘆息を漏らしているのだ。
家庭教師が、そんな顔になるのも理解できる。
とは言え、その表情は一瞬で元に戻った。
「正確に答えられれば、何か褒美をやろう」
「ラウダヌムは、オピウムの粉末を酒精で浸出させたチンキ剤ですね」
ライラが即答する。
家庭教師も、我々の扱いを心得たようである。
なるほど。阿片と阿片チンキか。
「それであれば、オピウムは、芥子の未熟成蒴果から採れる乳液を乾燥させたもの、でしょうか。
で、褒美って何をいただけるのでしょうか」
口を真一文字に結んだ無の表情の家庭教師が、小さな木箱を差し出した。
「また、これですか」
「女中には甘い物を渡しておけば良い、と安易に考えていませんか」
甘橙の皮の砂糖菓子をムシャムシャと食べながら、私とライラは文句を垂れる。
まあ、甘い物を口にすると、心が寛大になるのは事実である。あと、頭が働く。
「――ご依頼の食糧庫とは、つまり芥子の実の管理を探れってことですか」
私は箱に残った砂糖を指につけて舐めながら言う。
「そういうことだ」
家庭教師が、口角を上げて言った。
態々、一般的なラウダヌムの製造方法を訊いてきたのだ。
薬局のラウダヌムと比較した結果、あるべき物がなく、ないはずの物が含まれていた――つまり、一般的な製造方法で作られたラウダヌムではない、と考えているのだろう。
だとすれば。
怪しいのは、食材である芥子の実。
「その依頼、お断りします」
「なぜだ」
家庭教師の冷たい視線が私に刺さる。
面倒だから、とか、危険が伴うから、といった理由ではない。
もちろん、面倒なのは確かだが、報酬によってはやらなくもないと考えていた。
だが、断る理由はそこではない。
「芥子の実の管理を調べたって意味ないですよ。
芥子の実に含まれる、オピウムの薬効成分は微量ですから、ラウダヌムに似たものを作るとなると、膨大な量が必要になります。
それこそ、食糧庫の全ての芥子の実を使用するとか、それ専用に大量発注しているとか、不自然な状態が目に見えていると思います」
私に探れと依頼するくらいなのだ。
家庭教師が回路とやらで検知した限りでは不自然なところはなかったのだろう。
「――ライラは、芥子の実をどう購入しているか知ってる?」
突然、私に質問を振られて、ライラが一瞬たじろぐ。
しかし一瞬である。
「芥子の実って、めちゃくちゃ小さいじゃない。脱穀された状態で購入してるの?」
「詳しくは知らないけど、恐らくは殻ごと購入して、脱穀は調理場の下処理担当がしているんじゃないかしら」
「だったら、そっちでしょうね」
「――実ではなく殻、と言うことか。
確かに、殻であれば、実より薬効成分は多い」
しかも、本来は廃棄されるものなのだ。知らぬ間に消えていたとしても、誰も不自然には思わない。
とは言え。
実であれ殻であれ、あの濃度の阿片擬きを作るとなると、それ相応の知識と技術が必要になる。
そんな人物が、城にいるとしたら。
五月芋の毒の、子供に対する致死量を正確に把握している、というのもあり得る話だ。
家庭教師にとっては、紛うことなき敵。血眼になって探したい人物だろう。
「脱穀後の殻がどう廃棄されているか、という依頼であれば、報酬によっては、お引き受けします」
「それで構わない」
「で、報酬は何ですか?
――――まさか、またこの菓子とか言わないですよね?」
家庭教師が、口を真一文字に結んだ無の表情で沈黙する。
女中には砂糖菓子を与えればいいと、本気で思っているんだろうか。
と言うか。
この砂糖菓子、ノア坊ちゃまの好物だと言っていたが、もしかして坊ちゃまのご褒美なのではないか。
安直過ぎるだろう。
生徒の褒美を女中に流用するなんて。
「報酬は、君の報告次第だ。
――これは前金だ」
家庭教師が、硬貨を一枚放り投げてきた。
と言うか、金を投げるな。
私はそれを片手で掴む。
銀貨だった。
紛れもない銀貨。
私の馴染みのある小銭のような補助銀貨ではなく、正式な銀貨。
私の日当を余裕で超える価値がある。
「言っておくが、この菓子は、それ一枚では到底買えない物だ」
家庭教師が口角を上げて言った。
「誠心誠意、調べさせていただきます」
私は、椅子から立ち上がり、背筋を伸ばしてお辞儀をした。
結局、女中は甘い物が好きなのだ。
それにしても。
あれは甘かった。頭に響くほど甘く、そして隠しきれない苦味があった。
阿片擬き入りの焼き菓子である。
私は、暖炉のなかで燃える、貴重な資料とやらを見て、それを思い出していた。
植物毒に詳しく、エリアス様の命を狙う人物。家庭教師は、それが私ではないかと疑っていたわけか。
卑しい生まれにしては博識で、居館から離れた洗濯場で働く女中。
確かに、疑われてもおかしくない。
おかしくないが、こちとら、平穏をモットーに大人しく洗濯していただけである。
濡れ衣被せられて、仲間を危ない目に遭わされて、黙っていられるわけもない。
本当に、ふざけんな。
暖炉の中で、試料のガラス瓶が、音を立てて爆ぜた。
「――――ライラ、手伝って」
私は、横にいるライラを見た。
暖炉の炎を直視したせいか、視界に残像が揺らめく。
そんな中で、ライラは金髪の緩く波打つ後れ毛をサラリと揺らし、澄ましたように笑った。
「当たり前でしょ」




