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「君は、字が読めないと偽っているだけではないのか」
エリカ女史の服を着て借りてきた猫のように大人しく佇む私と、裁縫道具を持って取り澄まして微笑むライラ。
そんなこちらを、冷たい目で見下ろしながら言ったのは、家庭教師である。
家庭教師の部屋の前である。
二度と歩くことはないと思っていた、エリアス様の居室のある階の廊下を通って、たどり着いたところである。
ここに至った経緯は、簡単だ。
明るい栗色の髪の下男が持ってきた手紙である。
本来であれば、下男もろとも問答無用で追い返すのだが、ステイズのせいで、力任せの行動に出られない。
下男と看護女中部屋の前で押し問答していたところ、ライラに手紙を取り上げられたのだ。
封蝋された封筒の蓋部分をベリッと強引に開け、ライラが、中の手紙を開いて目を通す。
下男が「あっ……」と難色を示したが、私と二人の鋭い視線で、それを黙らせる。
「――――部屋まで洗濯物を取りに来いって」
封筒に手紙を戻して、ライラが言う。
「それだけ? 何かツラツラいっぱい書いてあった感じだったけど………」
「用件はそれだけ。
後は愛の告白。そのへんの戯曲からの引用だから読む価値ないわよ」
嘘である。
「あんたも読む?」とライラが下男に、その雑に開けた封筒をチラつかせる。
下男は頬を赤くし、喉を鳴らしながら目の前の手紙を見ていたが、意を決したように首を横に振った。
そうして、一目散に廊下を駆けていった。
「――――で、何て書いてあったの?」
廊下の奥に小さくなる下男の背中を見ながら、私はライラに尋ねる。
「部屋まで洗濯物を取りに来いって。ついでに服の修繕もしてほしいそうよ」
そこは本当のことなのか。
めちゃくちゃ、面倒くさいのだが。
引き攣っているだろう私の頬を、ライラがムニッとつまむ。
「大丈夫。私も一緒に行くから」
ライラが一緒なのは心強いが。
それはそれで、また面倒な気がする。
「――――そんなことは書いていない」
そして冒頭。
態々、部屋まで来てやった私たちに向けた家庭教師の言葉である。
私は思わずライラを見てしまう。
ライラは、私を見ながら相変わらず微笑んでいた。
文字の勉強、しようかな。
モヤモヤと考えた先に行き着いた答えである。
「まあ良い。入りたまえ。
――――それで。君たちがここへ来た用件は何だ」
入室を許可されて足を踏み入れた家庭教師の部屋。
今日はノア坊ちゃまは不在のようだ。
と言うか。
家庭教師に呼ばれてもいなかったのか。
手紙に何て書いてあったんだ。
横を向くと、ライラの姿がなかった。
代わりに、床に置かれた蓋の開いた裁縫道具入れ。
いつの間にか、右手に裁ちばさみ、左手に目打ちを持ったライラが、家庭教師の背後にいた。
その気配のなさといい、襲いかかる瞬間の殺気といい、完全に暗殺者である。
寸でのところで家庭教師に気付かれて、避けられ反撃され、それを避けつつ次の一手を繰り出して。
端から見ていると完全に戦闘状態と言うやつである。
だから。
手紙に何て書いてあったんだ。
「君! 突っ立って見ていないで、この仕立屋をどうにかしてくれ!」
肩で息をしながら、ライラと牽制し合っている家庭教師が叫ぶ。
仕立屋って、ライラのことか。
「私、今日は動けないんで。突っ立って拝見させていただきます」
動こうと思えば動けるのだが。
ライラのステイズが犠牲になれば、の話である。
とは言え、ライラの行動を止めるつもりは微塵もない。
ライラの目的が何か知らないが、私が家庭教師の願いを聞くわけがないし、立ち回れるならライラに加勢する。
「ミア、動きたければ動けるわよ、そのスカート。
内側に持ち出しが付いているから裾上げられるし。蹴り技出せるわよ」
と、家庭教師の一挙手一投足すら逃さないように睨みつけたまま、ライラが言う。
このスカートには、そんな機能が付いていたのか。よく気付いたな、ライラ。
まあ、私が動けないのは、スカートのせいではないのだが。
「……千切れちゃうんだよね。借りた下着が」
私は、頭を掻きながら言った。
「別にいいわよ」
「え。いいの? 結構悲惨な状況になるけど」
「いいわよ。今ここで、こいつの息の根を止めるから」
「は?」と私と家庭教師の声が重なった。
「こいつが死体になれば、この部屋には私とミアだけでしょう。
別に、着崩れてようが下着が見えてようが、構わないじゃない」
取り澄ましたように、ライラが微笑んだ。
おい、家庭教師。
手紙に何書いたんだよ。
本気で、文字を勉強しようと思った。
「――マダムとか呑気なこと言ってないで、魔術師だって分かった時点で聖堂にタレ込めばよかったわ」
暗い顔でブチブチと文句を言うライラ。
悔しそうな目で私を見ないでほしい。
家庭教師は、と言うと。
私の下にいる。
俯せで床に這いつくばる家庭教師。
その背中に片膝を食い込ませながら、家庭教師の腕を締め上げている私。
以前着用したときにも感じたのだが、このエリカ女史の服は、見た目の割に非常に動きやすい。
激しく動くことを前提に仕立てられているのか、腰回りはしっかり固定されているのだが、肩周りや腕周りが動かしやすい設計になっている。
スカートの丈が長いので、走ったり蹴ったりは無理だと思っていたが、裾が上げられる仕様になっているとは。
至れり尽くせりである。
ちなみに、同じく借り物のステイズは、先ほどからブチブチと、色々な所が裂けている。
貸し主の許可が出たのだから仕方ないだろう。
「――――なぜ、こうなる!」
と私の膝の下で家庭教師が苦しそうに叫んでいるが、それは私が訊きたい。
「私、文字読めないんで、ライラが代読したんですよ。
内容を正確に教えてもらってないんですが、何て書いてあったんですか」
ライラが、私に知らせたくないほど、ブチ切れるようなことが書いてあったのか。
純粋に内容が知りたい。
「大したことではない。食糧庫の管理者を探れと書いたんだ。調理場に出入りしている君なら、容易だろう」
「それだけですか?」
「依頼はそれだけだ」
でた。
家庭教師の一問一答の面倒くさいやり取り。
「それにしては長い手紙でしたよね。
ライラは愛の告白だって言ってましたけど」
「そんなわけないだろう!
――君が口にした、ラウダヌムの分析結果だ。城に出入りしている薬局のラウダヌムと比較した」
なるほど。
ラウダヌムか。
まあ、陰謀めいた話は、洗濯女中の仕事とは無関係である。
私に報告して、何を得たかったのだろうか。
ノア坊ちゃまの体調不良時と同じく、何か推察させるつもりだったのか。
と言うか。
私が口にしたラウダヌム、だと。
「――――その分析に使った試料って」
「君が吐いた物だ。
貴重な資料として収集させてもらった。厳重に保管しているから、心配いらない」
勝手に他人の嘔吐残渣を漁ったのか。
厳重に保管って、何だ。
呪いには使わないとでも言いたいのか。それとも、敢えての脅しか。
そんなことより。
掃除とか洗濯とかではなく、吐瀉物を漁って、貴重な資料だと。
ゲロ蒐集家なんて、あり得ないだろう。
気色悪すぎる。
私が言いようの無い悪寒にゾワゾワと震えていると、ライラがそっと私の肩を抱いてくれた。
「ね、だから。息の根を止めましょう」
「……なぜそうなる。
私の私室で、刃物を振り回したり、下着が千切れるとか言いながら、スカートをたくし上げて他人を足で組み敷いている女中の方が、あり得ないと思うが」
確かに、一理ある。
言うならば、どっちもどっちである。
「わかりました。では、こうしましょう。
二度とおたく様には迷惑をかけませんので、二度と私たちの話題を出さないでください。
あと、私のゲロとその試料は、すぐに廃棄してください。
了承いただければ、私たちはすぐに退室いたしますが、いかがでしょうか」
「承知できない」
私の提案に、家庭教師が即答した。
どこが、承知できないのだ。
まさか、ゲロの廃棄か。
「君には、食糧庫の調査を依頼したい」
まだ言うか。
「なぜ、ミアなのですか。
ご自身の従僕に調べさせれば良いではないですか」
ライラが言う。
その通りである。
すっかり存在を忘れていたが、あの金髪の腰巾着がいるではないか。
あいつは、何をやっているのだ。
「私に従僕はいない。
以前付き従っていた者は――――、使い物にならなくなった」
家庭教師の低い声。
胸の奥が、グズっと冷えた。
先ほどの変態蒐集家と知った時とはまた別の、悪寒というか痛みだった。
まさか。
もしかして――――
「黒い仕着せを見ると奇声を上げるのだよ。
廊下を歩くこともままならない。仕事にならなくて困っているのだ」
――――あっそう。




