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「――――え。ウナ様?」
私に気付いたのか、近づいてきた人影。
不機嫌そうな顔をしたウナ女史だった。
その胸には、リネンの塊が抱かれている。
「遅いじゃない。待ちくたびれたわ」
そんなこと言われても。
昨日に比べたら、めっちゃくちゃ早い時間なんですけど。
いやいや、そうじゃない。
「――――何でいるんですか」
自分で自分にツッコミを入れつつ、私はウナ女史に尋ねた。
下町と違って屋敷林や城壁内は、日が落ちた後も女性一人で安全に歩ける。公爵家の衛兵が見回っているからだ。
歩けるのだが、むしろ、こちらが衛兵に不審者扱いされる。お仕着せを着ていようが問答無用で訊問される。
その場で、「誰某に命じられた、こういう理由で、あそこからあそこへ向かっている」と、衛兵が納得できる回答ができなければ、即拘束。
そして、その場合、マダムに引き渡されるのではなく、地下牢へぶち込まれる。
何が言いたいかというと、女中が一人で日没後に出歩くのは、リスクが伴うということだ。
そうまでしてウナ女史が、ここにいる理由が分からない。
「何でって。あんたを待ってたのよ」
「まあ、そんな感じのこと言ってましたからね。そうなんでしょうね。
なぜ私を待っていたのか、用事は何かと尋ねたつもりだったんですが」
疲れているせいか、余計なことまで声に出してしまう。
私の言葉に、ウナ女史が眉尻を下げた。叱責されて涙目になっているようだった。
私の中の疲労感が、罪悪感に塗りつぶされていく。
「――キツい言い方をしてしまいました。すみません。
無闇に、日没後に居館の外を出歩かない方がいいですよ。見回りの衛兵に声をかけられるのは、あまり気分の良いものではありませんから」
「え? ――――洗濯女中に用があると言ったら、ここまで送ってくれたわよ」
罪悪感が引いていく。
私と扱いが違う。
まあ、そりゃそうだろうけど。
「それで、ご用件は何でしょうか」
私は口角を上げてウナ女史に尋ねた。
早くモヤモヤを拭いたくて、努めて笑顔を維持する。
イラッとするのは衛兵たちの態度に対してであって、決してウナ女史が悪いわけではない。
だから、そんな怯えた顔をしないでほしい。
「……これ、渡しに来ただけなの。
時間を取ってしまって、ごめんなさい。怒らないで」
震えながら、抱いていたリネンの塊を私に突き出すウナ女史。
決して怒っていないのだから、涙目にならないでほしい。
「お荷物だけでしたら、ライラに預けていただければ――」
私は、そこまで言って、その後の言葉を飲み込んだ。
直接私に渡したかった荷物なのだろう。それほど高価なものか、それとも大切なものか。
あるいは、口実か。
「態々、ご足労いただき、ありがとうございます。
ですが、ご覧の通り、私今、服が煤だらけなものでして。ウナ様の大切なお荷物を汚してしまうかもしれません。
可能であれば、洗濯場の中まで持ってきていただけますか?」
「本当は、そうしたいのだけど……」と曖昧に頷きながら、視線をチラと居館の方向へ向けるウナ女史。
遅いと文句を言っていたことだし、戻る時刻が迫っているのかもしれない。
しかし。
せっかくの真っ白なリネンが汚れるのは忍びない。
「あ、じゃあ、汚れている服脱いじゃいますね。
下着姿見たくないとかだったら少し後ろ向いていただけると…………」
「だっ、ダメ! ここで脱がないで!」
シュミーズならそこまで汚れていないだろうと、お仕着せを脱ごうとした私の腕を、ウナ女史が強く掴む。
自らの手を汚してまで、私の羞恥心のなさを咎めているのか。
「近くに、衛兵が、いるから。
さっき、声をかけられて。何かあったら大声で助けを呼びなさいって。近くにいるからって言われて…………」
「……………………はい?」
どういうことだ。
「ほら。洗濯女中って、色々、言われているじゃない? 先入観っていうか。思い込みっていうか。
あ、いや、ミアがそうってことじゃないのよ。ちゃんとした洗濯女中もいるのは、私はわかってるんだけど………」
しどろもどろに視線を泳がせるウナ女史。
「何か弱み握られて、脅迫されてる? って思われたみたいで。
……私も、ちょっと夜の洗濯場は怖いから、近くにいてくれると有難いなって、特に訂正してなくて」
あ、そう。
衛兵の、洗濯女中に対する扱いが雑な理由が、よくわかった。
私は、半眼になりながら、ウナ女史の荷物を受け取った。
「――明日の服が、ないんでしょう?
良かったら、着て」
服、だと。
もしかして。
ウナ女史から受け取った、やや過剰なほど厳重にリネンに包まれたそれ。
私は、ウナ女史の顔をまじまじと見てしまう。
「――貸すだけよ。汚したら、許さないから」
口角を上げて、目を細めて、フワッと微笑うその顔は、今にも泣き出しそうである。
私と目があって、気恥ずかしそうに顔を背けたウナ女史は、そのまま、足早に立ち去ろうとする。
私は、その腕を掴んで、彼女を引き留めた。
なぜか、嫌な予感がしたのだ。
ウナ女史を、帰してはいけない。
そう咄嗟に思ってしまったのだ。
たぶん、その厳重なリネンの塊を、胸に抱いたせいかもしれない。
「やっぱり――、洗濯場に入ってください」
半ば強引に、ウナ女史を扉の中に引き込む。
「左側に食堂があります。そちらに、いてください」
私の緊張感の漂う声色に、怪訝な顔をしつつも頷いてくれるウナ女史。
私は、洗濯場の洗濯棒を、そっと背中側のエプロンの腰紐に隠し、外へ出た。
私が勘違いをしているだけかもしれない。
思い違いなら、それでいい。
そうして、ウナ女史が先ほど視線を向けた居館の方向――屋敷林の際の影に、衛兵の制服を着た男を見つけた。
ゆっくりと、こちらに向かって歩き始めた男。
鍔付きの制帽のせいで、視線が確認できないが、こちらを見ていることには違いない。
「さすがですね。
閣下の身辺警護を任務とされる方は、一女中の取引すら見逃さないと。
最早、趣味というか嗜好の域では?」
私は、腕を組み、声の届く範囲まで近づいたその衛兵に向かって言った。
「――洗濯女中ごときが、何を言いたいのだね?」
そう挑発的な声で顔を上げた衛兵。
その声も顔も、見知らぬ男だった。
本当は、確かめる必要なんてないのだ。自ら面倒事に首を突っ込む真似もしたくはない。
頭では分かっているのだが、心はそれを拒否する。
あの厳重なリネンの塊を、胸に抱いたせいだ。
最近、居館で洗濯仕事をするようになってから、夜間の移動が増えた。と言うか、外が真っ暗になってから洗濯場に戻ることが増えたのだ。
そうすると、衛兵に出くわすことも増え、訊問――もとい、お声をかけて頂くことも増えた。
まあ、その殆どが、完全なる不審者扱いである。
こんな悠長な足取りで近づくことなんてない。
声かけと同時に前に立ちはだかり、気付けば後ろにもいる。
私も、全ての衛兵の顔を知っているわけではないので、この男が衛兵なのかそうではないのか、区別はつかない。
ただ。
巡回の衛兵は常に二人一組で行動している。
一人で佇んでいることなんて、有り得ないのだ。
単に、この男が、ウナ女史に好意があって、当番時間前後に警護を申し出ただけかもしれない。
その場合、私は恋路を邪魔する存在以外の何者でもないのだが。
この衛兵擬きの行動理由が何なのか定かではないが、とりあえず、夜道をこの男と共にウナ女史を歩かせるのは危ない、という判断である。
「行間読めませんか。
非番の衛兵が洗濯女中の着替えを覗いていたと、婦長を通じてマダムに報告させていただきます。
そういう意味です」
「なっ――!」
男の表情が変わった。
私の言葉が予想外だったのか。
あながち間違ったことは言っていない。
実際に、私は服を脱ごうとして、ウナ女史に衛兵がいるからと止められたわけだし。
間違いどころか、事実である。
「とっとと失せやがれ!
この、のぞき野郎!」
私は目を細めて睨みつけ、敢えて大声を出す。
夜の洗濯場に、私の大声が響き渡った。




