42
睡い。
瞼が垂れる度に、激しく揺さぶられ起こされている私。
「寝ちゃダメ!」
両脇を固めるように三脚椅子に座るライラとウナ女史が、私の肩を掴み容赦ない力で揉みくちゃにする。
椅子から転げ落ちそうで落ちない私。
私が私であることを認識できるくらいには目が醒めた私。
つまり、寝ぼけている。
ライラ、私、ウナ女史と三人横並びで三脚椅子に座る。
目の前には作業台。天板には錫製のカップ。
「睡いなら飲め」
と、錫製のポットからカップに珈琲を注ぐ家庭教師。
そう。
家庭教師。
「何で、いるんですか」
「いいから飲め」
大人しく指示に従う。
もう、何杯目かわからない珈琲を口に含み、そのせいで激しく胃もたれを起こし始めた腹に入れる。
中枢神経を抑制させる阿片と反対に、興奮効果のある珈琲は、阿片の拮抗薬として最適解である。
その珈琲を、しかも敢えて濃く淹れたものを、こうもタイミングよく持って現れる家庭教師。
家庭教師は、この部屋に阿片が持ち込まれたことを分かっていたのだろう。
窮地を救う英雄でも気取ったつもりか知らないが、いい性格をしている。
珈琲で頭が醒めたせいで、見たくもない現実に目が向けられる。
私は、小さく溜息を吐いた。
「――――で。
何で、いるんですか。高価な珈琲まで用意いただいて、まさか、茶話会とか言わないですよね」
口が回り始める。
思いついたままに皮肉が口から溢れる。
「……君のその多弁は、ラウダヌムの症状か、それとも、興奮剤の症状か。
言っておくが、私がここにいるのは、君を助けるためではない。
訊きたいことがあるのだよ。
――――――そこの、看護女中に」
家庭教師が、作業台の天板に肘をつき、ゆっくりとウナ女史を見る。
酷く冷たい琥珀色の瞳を向けられ、ウナ女史が俯いた。
「なぜ、楢の樹皮を、その炭焼きの孫に飲ませた?」
「え?」と、ウナ女史が少し拍子抜けた声を出す。
想定外にも簡単な質問だと思ったのか、僅かに顔を上げた。まるで、口頭試験の解答を思案しているような、そんな顔である。
「それは、――――――」
真面目に回答しようと口を開いたウナ女史は、そのまま固まった。
そして、顔色がみるみるうちに蒼くなっていく。
なぜ楢の樹皮を私に飲ませたのか。私が阿片の入った菓子を飲み込んだから。
なぜ菓子に鎮咳薬が入っていると知っていたのか。
「君は、エリアス様の看護女中だろう。
ああ、炭焼きの孫に煎じ薬を作るなとは言うことではない。
私も、エリアス様の家庭教師なのでね。エリアス様の世話をする者のことを、多少は把握しているつもりだ。
君は――――、ズューデンマルク領区のラウナー治療院の出身だそうだね」
ズューデンマルク。
公爵夫人の御実家、ローゼンクヴァルツ家の領地。
めちゃくちゃ嫌らしい言い方をする。
この家庭教師は知っているのだ。
この城で、誰が阿片を所持し、誰が阿片を服用しているのかを。
それでいて、知らぬふりを決め込んでいたわけだ。
そして、脆い場所から崩していく。
そうだった。こいつ、控えめに言ってクソ野郎だった。
私は、座ったまま、三脚椅子を後ろに退く。
そして、作業台の天板の横に靴底を付け、思いっきり蹴りつけた。
肘をついていた家庭教師は、目を見開きながらも、その衝撃をやり過ごした。
作業台は、けっこうな音を立てて動いた。
天板に置かれていたカップもポットも、ガシャンと倒れ、中身が茶色い水たまりとなって天板に広がる。
ポタポタと、天板の縁にたどり着いた液体が床に溢れだした。
「すみません、足癖が悪くて。寝ぼけているせいか、感覚がなかったもので」
半分は本音である。
現に、天板を蹴り飛ばした足の裏に、痛みはない。
「あら、せっかく淹れていただいたものが、溢れてしまったわ。
たいへん。机も床も掃除しなければ。
おたく様も、お召し物が汚れてしまいましたね。早くお着替えされた方がよろしいかと。
珈琲の染みは、乾くと落ちませんよ」
私は、努めてしおらしく、そして努めて優しく微笑んで言った。
そんな私に対し、家庭教師も口角を上げている。
「今すぐ着替える必要もないだろう。この城には、優秀な洗濯女中がいるようだから」
クソ野郎が。
どいつもこいつも、精神的に弱っているところにつけ込みやがって。
「ミア、声に出てる」と横からライラが言った。
私に、楢の樹皮を飲ませたから、だから何だと言いたいのか。
私が阿片の菓子を口にすることをわかっていて、呑気に濃く抽出した珈琲なんぞ持って、意識が落ちる直前に登場してきた、どこかの誰かの方が、よっぽど怪しい人間だ。
「だいたい、他の女中に珈琲なんて振る舞ってないだろうが。
何で、ここにだけ拮抗薬を持ってくるんだよ。
依存症になってる女中にも対処しろよ!」
私は、声に出して怒鳴っていた。
「他の人間のことを持ち出すならば、そこの治療院の娘も同じだ。
それに、私はエリアス様の家庭教師だ。
この城の医師でもなければ、城の規律を正す立場でもいない。女中が何人病もうが死のうが、私には関係ない」
ウナ女史も、あの菓子を食べさせられた女中たち全員に、楢の樹皮を振る舞ったわけではない。黙って見て見ぬふりをしていたと言いたいのだろう。
そんなこと分かっている。
家庭教師に言い返せなくて、ギリギリと奥歯を噛み締めた。
「――――五月芋の毒に、気付かなかったクセに…………」
何としてでも言い返したいと、家庭教師のアラを探して出た言葉である。
そして、言って激しく後悔した。
家庭教師に対して、ではない。
自分の思考にである。
楢の樹皮を煎じたものは、毒消しとしてよく使用される。
時間がないと泣きながらも、咄嗟に動き出したウナ女史は、私よりよっぽど知識も経験もあるのだろう。
植物毒に効果のある、煎じ薬。
当然、五月芋の芽の毒にも、同じ効果がある。
――ならば、なぜ、ノア坊ちゃまに飲ませなかったのか。
エリカ女史が、疫病の場合を想定して動いていたから。――しかし、家庭教師が食中毒を疑っていることは、伝わっているはずだ。
ノア坊ちゃまの、リチネによる脱水症状が深刻だったから。――それでも、進言や議論の俎上に乗ってもおかしくはない。
考え過ぎだ。
エリカ女史だって言っていたじゃないか。可能性の一つではあったと。
私が灰を集めている間に話があったのかもしれない。きっとそうだ。きっと。
――私たち、エリカに助けられたのよ。
あの、ブルネットの髪の看護女中の言葉。
最悪な想定は、なぜか裏付けを取り込みながら膨らんでいく。
裏付けじゃない、ただの言い掛かりだ。
そう思っても、一度回り始めた頭は、なかなか止まってくれない。
子供の場合、少量の毒や薬でも体が反応する。それは、子供の体重が軽く、内臓も未熟だから。
五月芋の芽の毒の場合は、それが顕著に出る。
子供の場合、僅かな量で重篤化し、最悪、死に至る。
子供。
この城に、いる子供。
ノア坊ちゃまと、――――エリアス様。
家庭教師と目が合った。
「君は、本当に、察しがよくて助かる――――」
相変わらず口角を上げて言われた。
私は、立ち上がり作業台の天板を両手で強く叩いた。
家庭教師にイラついたのは事実である。
でも、それ以上に、勝手に回りだしたこの頭と、不用意なこの口を、止めたかった。
「…………ウナ様。
酒精の瓶を一つ、持ってきて頂けますか。日没後に調理場で使うので。
あと、ライラは、洗濯場の干し場から私の着替えを持ってきて」
こじつけである。
兎に角、家庭教師が何か発言する前に、ウナ女史をこの部屋から出さなればと、思った末の口実である。
お粗末なのは認める。
「家庭教師様は、私と茶話会の続きをいたしましょう。
珈琲ではありませんが、ウナ様が淹れてくれた樹皮の茶なら、たっぷりありますので」
私の渾身の笑顔。
二人が魔物と喩えたそれである。
「――ウナ様、こちらへ」
ライラが、ウナ女史を支えるように立ち上がらせ、廊下の扉へ向かった。
扉を開け、小声で何か話す。ウナ女史は小さく頷いていた。
ライラはウナ女史を廊下に出すと、音を立てて扉を閉め、振り返った。
「密室に男女二人だけなんて、何をお考えでしょうか。居館の風紀を乱すおつもりですか」
ライラの表情は、真剣そのものである。
「は?」と声を出してしまったのは、私だけではない。
何を考えているって、ライラこそ何を考えてるのか。
「ミア、誰があんたを起こすのよ! こんな男の前で無防備な姿を晒しちゃダメよ!
乙女として危機感を持ちなさい」
いや、そういう危機感、ないから。
とりあえず、ライラの言葉で緊迫感はぶっ飛んだ。
ライラに着替えを持ってきてもらいたかったのは、ガチだったのだが。
こう見えて、と言うか、その通りに見えているだろうが、吐き出した珈琲とゲロまみれなのだ。今すぐ着替えが欲しいのは、紛れもない本心である。
ライラが、私の隣の三脚椅子に座る、と見せかけて、作業台を蹴り飛ばす。
見事、みぞおちに天板の縁が当たったようで、家庭教師が俯いて震えていた。
ライラの緑色の瞳が、家庭教師を冷たく見下ろす。
「――ミアに手を出したら、魔術師のこと聖堂にタレ込むから」
だから、ないから。そう言うの。
あ、でも。
聖堂にタレ込むのは、ありだと思う。




