表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
45/47

42

 睡い。

 瞼が垂れる度に、激しく揺さぶられ起こされている私。


「寝ちゃダメ!」


 両脇を固めるように三脚椅子に座るライラとウナ女史が、私の肩を掴み容赦ない力で揉みくちゃにする。

 椅子から転げ落ちそうで落ちない私。


 私が私であることを認識できるくらいには目が醒めた私。


 つまり、寝ぼけている。



 ライラ、私、ウナ女史と三人横並びで三脚椅子に座る。

 目の前には作業台。天板には錫製のカップ。


「睡いなら飲め」


 と、錫製のポットからカップに珈琲を注ぐ家庭教師。


 そう。

 家庭教師。


「何で、いるんですか」


「いいから飲め」


 大人しく指示に従う。

 もう、何杯目かわからない珈琲を口に含み、そのせいで激しく胃もたれを起こし始めた腹に入れる。


 中枢神経を抑制させる阿片と反対に、興奮効果のある珈琲は、阿片の拮抗(きっこう)薬として最適解である。

 その珈琲を、しかも敢えて濃く淹れたものを、こうもタイミングよく持って現れる家庭教師。


 家庭教師は、この部屋に阿片が持ち込まれたことを分かっていたのだろう。

 窮地を救う英雄でも気取ったつもりか知らないが、いい性格をしている。


 珈琲で頭が醒めたせいで、見たくもない現実に目が向けられる。

 私は、小さく溜息を吐いた。


「――――で。

 何で、いるんですか。高価な珈琲まで用意いただいて、まさか、茶話会とか言わないですよね」


 口が回り始める。

 思いついたままに皮肉が口から溢れる。


「……君のその多弁は、ラウダヌムの症状か、それとも、興奮剤の症状か。

 言っておくが、私がここにいるのは、君を助けるためではない。

 訊きたいことがあるのだよ。

 ――――――そこの、看護女中に」


 家庭教師が、作業台の天板に肘をつき、ゆっくりとウナ女史を見る。

 酷く冷たい琥珀色の瞳を向けられ、ウナ女史が俯いた。


「なぜ、楢の樹皮を、その炭焼きの孫に飲ませた?」


「え?」と、ウナ女史が少し拍子抜けた声を出す。

 想定外にも簡単な質問だと思ったのか、僅かに顔を上げた。まるで、口頭試験の解答を思案しているような、そんな顔である。


「それは、――――――」


 真面目に回答しようと口を開いたウナ女史は、そのまま固まった。

 そして、顔色がみるみるうちに蒼くなっていく。


 なぜ楢の樹皮を私に飲ませたのか。私が阿片(ラウダヌム)の入った菓子を飲み込んだから。

 なぜ菓子に鎮咳薬(ラウダヌム)が入っていると知っていたのか。


「君は、エリアス様の看護女中だろう。

 ああ、炭焼きの孫に煎じ薬を作るなとは言うことではない。

 私も、エリアス様の家庭教師なのでね。エリアス様の世話をする者のことを、多少は把握しているつもりだ。

 君は――――、ズューデンマルク領区のラウナー治療院の出身だそうだね」


 ズューデンマルク。

 公爵夫人の御実家、ローゼンクヴァルツ家の領地。


 めちゃくちゃ嫌らしい言い方をする。

 この家庭教師は知っているのだ。

 この城で、誰が阿片を所持し、誰が阿片を服用しているのかを。

 それでいて、知らぬふりを決め込んでいたわけだ。


 そして、脆い場所(ひと)から崩していく。


 そうだった。こいつ、控えめに言ってクソ野郎だった。



 私は、座ったまま、三脚椅子を後ろに退く。

 そして、作業台の天板の横に靴底を付け、思いっきり蹴りつけた。


 肘をついていた家庭教師は、目を見開きながらも、その衝撃をやり過ごした。


 作業台は、けっこうな音を立てて動いた。

 天板に置かれていたカップもポットも、ガシャンと倒れ、中身が茶色い水たまりとなって天板に広がる。

 ポタポタと、天板の縁にたどり着いた液体が床に溢れだした。

 

「すみません、足癖が悪くて。寝ぼけているせいか、感覚がなかったもので」


 半分は本音である。

 現に、天板を蹴り飛ばした足の裏に、痛みはない。


「あら、せっかく淹れていただいたものが、溢れてしまったわ。

 たいへん。机も床も掃除しなければ。

 おたく様も、お召し物が汚れてしまいましたね。早くお着替えされた方がよろしいかと。

 珈琲の染みは、乾くと落ちませんよ」


 私は、努めてしおらしく、そして努めて優しく微笑んで言った。

 そんな私に対し、家庭教師も口角を上げている。


「今すぐ着替える必要もないだろう。この城には、優秀な洗濯女中がいるようだから」


 クソ野郎が。

 どいつもこいつも、精神的に弱っているところにつけ込みやがって。


「ミア、声に出てる」と横からライラが言った。


 私に、楢の樹皮を飲ませたから、だから何だと言いたいのか。

 私が阿片の菓子を口にすることをわかっていて、呑気に濃く抽出した珈琲なんぞ持って、意識が落ちる直前に登場してきた、どこかの誰かの方が、よっぽど怪しい人間だ。


「だいたい、他の女中に珈琲なんて振る舞ってないだろうが。

 何で、ここにだけ拮抗薬を持ってくるんだよ。

 依存症になってる女中にも対処しろよ!」


 私は、声に出して怒鳴っていた。


「他の人間のことを持ち出すならば、そこの治療院の娘も同じだ。

 それに、私はエリアス様の家庭教師だ。

 この城の医師でもなければ、城の規律を正す立場でもいない。女中が何人病もうが死のうが、私には関係ない」


 ウナ女史も、あの菓子を食べさせられた女中たち全員に、楢の樹皮を振る舞ったわけではない。黙って見て見ぬふりをしていたと言いたいのだろう。

 そんなこと分かっている。


 家庭教師に言い返せなくて、ギリギリと奥歯を噛み締めた。


「――――五月芋の毒に、気付かなかったクセに…………」


 何としてでも言い返したいと、家庭教師のアラを探して出た言葉である。

 そして、言って激しく後悔した。


 家庭教師に対して、ではない。

 自分の思考にである。


 楢の樹皮を煎じたものは、毒消しとしてよく使用される。

 時間がないと泣きながらも、咄嗟に動き出したウナ女史は、私よりよっぽど知識も経験もあるのだろう。


 植物毒に効果のある、煎じ薬。

 当然、五月芋の芽の毒にも、同じ効果がある。

 ――ならば、なぜ、ノア坊ちゃまに飲ませなかったのか。


 エリカ女史が、疫病の場合を想定して動いていたから。――しかし、家庭教師が食中毒を疑っていることは、伝わっているはずだ。

 ノア坊ちゃまの、リチネによる脱水症状が深刻だったから。――それでも、進言や議論の俎上に乗ってもおかしくはない。


 考え過ぎだ。


 エリカ女史だって言っていたじゃないか。可能性の一つではあったと。

 私が灰を集めている間に話があったのかもしれない。きっとそうだ。きっと。


 ――私たち、エリカに助けられたのよ。

 あの、ブルネットの髪の看護女中の言葉。


 最悪な想定は、なぜか裏付けを取り込みながら膨らんでいく。

 裏付けじゃない、ただの言い掛かりだ。

 そう思っても、一度回り始めた頭は、なかなか止まってくれない。


 子供の場合、少量の毒や薬でも体が反応する。それは、子供の体重が軽く、内臓も未熟だから。

 五月芋の芽の毒の場合は、それが顕著に出る。

 子供の場合、僅かな量で重篤化し、最悪、死に至る。


 子供。

 この城に、いる子供。

 ノア坊ちゃまと、――――エリアス様。


 家庭教師と目が合った。


「君は、本当に、察しがよくて助かる――――」


 相変わらず口角を上げて言われた。



 私は、立ち上がり作業台の天板を両手で強く叩いた。

 家庭教師にイラついたのは事実である。

 でも、それ以上に、勝手に回りだしたこの頭と、不用意なこの口を、止めたかった。


「…………ウナ様。

 酒精の瓶を一つ、持ってきて頂けますか。日没後に調理場で使うので。

 あと、ライラは、洗濯場の干し場から私の着替えを持ってきて」


 こじつけである。

 兎に角、家庭教師(こいつ)が何か発言する前に、ウナ女史をこの部屋から出さなればと、思った末の口実である。

 お粗末なのは認める。


「家庭教師様は、私と茶話会の続きをいたしましょう。

 珈琲ではありませんが、ウナ様が淹れてくれた樹皮の茶なら、たっぷりありますので」


 私の渾身の笑顔。

 二人が魔物と喩えたそれである。


「――ウナ様、こちらへ」


 ライラが、ウナ女史を支えるように立ち上がらせ、廊下の扉へ向かった。

 扉を開け、小声で何か話す。ウナ女史は小さく頷いていた。

 ライラはウナ女史を廊下に出すと、音を立てて扉を閉め、振り返った。


「密室に男女二人だけなんて、何をお考えでしょうか。居館の風紀を乱すおつもりですか」


 ライラの表情は、真剣そのものである。


「は?」と声を出してしまったのは、私だけではない。

 何を考えているって、ライラこそ何を考えてるのか。


「ミア、誰があんたを起こすのよ! こんな男の前で無防備な姿を晒しちゃダメよ!

 乙女として危機感を持ちなさい」


 いや、そういう危機感、ないから。

 とりあえず、ライラの言葉で緊迫感はぶっ飛んだ。


 ライラに着替えを持ってきてもらいたかったのは、ガチだったのだが。

 こう見えて、と言うか、その通りに見えているだろうが、吐き出した珈琲とゲロまみれなのだ。今すぐ着替えが欲しいのは、紛れもない本心である。


 ライラが、私の隣の三脚椅子に座る、と見せかけて、作業台を蹴り飛ばす。

 見事、みぞおちに天板の縁が当たったようで、家庭教師が俯いて震えていた。


 ライラの緑色の瞳が、家庭教師を冷たく見下ろす。


「――ミアに手を出したら、魔術師(あんた)のこと聖堂にタレ込むから」


 だから、ないから。そう言うの。


 あ、でも。

 聖堂にタレ込むのは、ありだと思う。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ