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「ねえ。調理場、大変なことになってるんだって!」
「料理長も辞めさせられたって」
「知ってる! 調理場女中も皿洗い女中も、大勢クビになったんでしょ」
「しかも、辞めた女中の一人が亡くなったって。乗ってた駅馬車が盗賊に襲われたらしいよ!」
洗濯場にすら届いた調理場の不始末。
エリカ女史の訃報は、女中の口伝えの噂話に紛れ込む形で、城内の誰もが知ることとなった。
あの翌朝、エリカ女史の乗った駅馬車は、サニスを出発した。
そして夕刻。駅馬車は、定刻に宿駅に到着せず、消息を絶った。
その日の真夜中に、宿駅近くの森の中で、駅馬車を捜索していた自警団が、血塗れの御者を一人発見し救助する。
息も絶え絶えにその御者は、事の顛末を話したという。
業務していた駅馬車が、森の中で盗賊に襲われたこと。
同行した護衛も乗客も、男女問わず容赦なく殺害されたこと。
サニスの城に勤めていた女性と共に盗賊から逃げ出したこと。その女性に庇われる形で自分が命拾いしたこと。
その女性は、物言いのはっきりとした薄い金髪の女性だったということ。
「――御者なんて放っておいて、一人で逃げれば死ななかったかもしれないのに」
女中たちの口の端に乗るエリカ女史の話は、決して身を挺して他人を守ったという美談ではない。
己が命を無駄に消費した馬鹿な使用人。そういう口振りである。
死とは、常に生の隣にある。
それは、この世界に限ったことではない。
ただし、この国では、死が日常のあらゆるところで顔をのぞかせている。
譬えば、道の僅かな段差に躓くように。
唐突に、理不尽に、そして誰の下にも、死神が現れてその鎌を振る。
鎌とは、血に濡れて脂で鈍らになる武器ではない。ただ乾いた草を刈るように、その鎌が刈る命は軽い。
そんなものなのだ。
この世界の人間の命なんて。
だから、みな意地も矜持も捨てて、必死に生きている。
明日は我が身だと。隣人の死に、その尊さよりも愚かさが先んじる程、慣れているのだ。
それでも。それに慣れない私も、確かに存在する。
倫理観が違うのだろう。
この世界と、私とでは。
看護女中部屋では、ウナ女史が作業台に突っ伏して泣いている。
エリカ女史の最期を聞いてから、ずっと泣いている。
彼女の涙は、最早、友人を喪った悲しみではなく、己を切り裂かれた痛みの様相だった。
私は、ウナ女史のすぐ横に、三脚椅子を引き寄せ、座る。ウナ女史と肩同士が触れ合うほどの位置。
ウナ女史を挟んで反対側には、ライラが座る。同じく、肩を寄せている。
そんなことしか、私たちにはできないのだ。
「――――エリカは、エリカはね」
ウナ女史が、嗚咽と共にその心中を漏らす。
私は、頷きもせず、ただ、次の言葉を待った。
「――エリカは、あんたたちみたいなのが、気安く話しかけられる人じゃないのよ」
ほほう、と挑戦的な相槌を打ちそうになった。
色々と、思うことはある。
「言い方!」と突っ込みを入れても良いものかと迷うのも事実だ。
しかし、私とライラは、全てを飲み込んで消化して、ウナ女史の言葉に耳を傾けた。
「――――聖堂司祭なの、エリカは」
「ん?」と、私とライラは、同時に沈黙したまま目を瞬かせる。
またウナ女史が、失礼な物言いで喚くのかと思ったが、違った。
聖堂司祭、だと。
それって、ガチで、めちゃくちゃ偉い人ではないか。
大聖堂を頂点として各地に鎮座する聖堂の、その長が聖堂司祭である。
サニスにも聖堂があり、聖堂司祭が一人いる。私はサニス以外の聖堂を知らないので詳しくはないが、要するに、都市に一人いる程度の稀有な存在である。
その地位は、貴族や魔法遣いに準ずると言っても過言ではない。
「な、南部戦争の従軍経験もあるのよ。すごく、すごく偉くて、尊い御方なのよ。
なのに、どうして。
どうして、エリカが、エリカ様が、亡くならなければならないの?」
私からしたら、「どうして」の前に「なぜ」である。
なぜ、そんな御方が、看護女中なんてしていたのか。
公爵夫人であっても、聖堂に礼拝する立場であって、聖職者を使用人として抱える立場にはないはずだ。
私の認識不足かと思ってライラを見遣れば、ライラも怪訝な顔で一点を見つめ何か考え事をしている。
私の認識に、誤りはなさそうだ。
慈悲は棄てた、とエリカ女史は言っていた。既にその職を辞していたということなのだろうか。
魔術師の家庭教師に、元聖職者の看護女中。
精神を病み、薬に溺れる公爵夫人。
この城の底知れない暗闇に、深淵を重ねる。ゆっくりと螺旋階段を降りるように、下へ下へと引きずり込まれていく。
そう言えば、転生者の洗濯女中もいるじゃないか。
ははと、内心嗤った。
ウナ女史の横で、ライラと二人で思案に耽っていると、扉が叩かれ、そして開いた。
「あら。やっぱりここにいた。
三人お揃いで何よりだわ」
ニコッと口角を上げて言う女中。
名は知らないが、看護女中の一人である。
彼女は、看護女中部屋の棚を端から一つずつ開けながら、何かを探している様子だった。
「――ねえ、棚にあった酒精、移動させた?」
こちらに顔を向けずに問いかけられた。
棚にあった酒精とは、エリカ女史が、別れ際に手渡した物を指しているのだろうか。
「存じ上げません」と、澄ました顔に戻ったライラがすかさず答えた。
「エリカ様が出立される際にお持ちになったのではないですか」
看護女中は、そう発言したライラをちらりと横目で見ると「ふうん」と鼻先で返事をした。
「――――あんたたちも、ウナも、そうやって生意気なことしか言わないし、全然役に立たないんだから。
アイツと一緒に駅馬車に乗っていればよかったのに」
この看護女中が何を言っているのか、一瞬、理解できなかった。
一拍置いて、喉元に、こみ上げてきた胃液のような嫌悪感が広がる。
元同僚をアイツ呼ばわりし、その死を悼むどころか、幸とでも言わんばかりの言い草に。
死者に鞭打つことが、必ずしも悪であるとは思わない。
自業自得とも言わないが、亡くなったからと生前の善行のみを聖人のごとく並べ立て、悪行がなかったことにするには違和感を覚えてしまう。
けれども、過去の職位はさておき、曲がりなりにも同僚として肩を並べた故人である。こうも吐き棄てるような物言いをする看護女中の神経を疑ってしまう。
ウナ女史は、真っ白な顔で、はくはくと浅い呼吸を繰り返している。過呼吸なのではないかと、こちらが不安になるほど、その言葉に動揺していた。
私は、三脚椅子から立ち上がった。
「ご発言の意図をはかりかねますが、友人を亡くされた方へ向けたお言葉としては、些か配慮に欠けるのではないでしょうか。
訂正を、お願いいたします」
ウナ女史の視界にこの無神経な看護女中を入れないように、その視線を遮るような位置に立ちはだかる。
「意図も何も、そのままの意味よ。
あんたたちも死ねばよかったのにってこと」
看護女中は口角を上げて言った。
「大体、人の死を嘆いて何になるの? 何も得るものがないじゃない。
持ち主が死んで使わなくなった物を、有効利用するのが、そんなにいけないことなの?
――――それに、死人の身包みを剥ぐのは、アイツの特技よ」
看護女中が冷笑を浮かべながら静かに告げた。
私は、酷く苛立っていた。
この看護女中に、と言うより、この世界の価値観に、そして、それと相容れない自分自身に。
看護女中の発言は、この世界の正解なのかもしれない。それに反発する私が間違っているのかもしれない。
それでも、私の中で、再び目醒めた不機嫌な正義感が叫ぶ。
無関心でも正義もない。この感情そのものが、私なのだと。
奥歯がギリリと鳴った。
自分でも気付かないうちに、歯を、噛み締めていたようだった。
看護女中は、尚も続ける。
「喜んでいるかは兎も角として、あの女が死んで、安堵している人間なら両手で数えるくらいはいるんじゃないかしら。口を閉ざしてくれるなら越したことはないって。
――あんたたちも、役に立たないと、死んでしまうかもしれないわね。
身の振り方には気をつけることね」
優越感に浸った瞳を細める看護女中を、私は黙ったまま見つめた。
「気をつけるのは、おたく様ではありませんか」なんて野暮な発言はしない。ただ、その軽すぎる口と顔を、まじまじと観察するだけ。
敢えて彼女に言うとしたら、ひと言。
口は災いのもとだ、と言ってやりたい。




