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 解雇か。

 まあ、そうだろうな。


 ノア坊ちゃまの介抱をしたマリア嬢は、解雇された。

 汚物を持って駆けずり回った洗濯女中たる私たちが解雇されるのも、当然と言えば当然である。

 魔術師とかテリアクとか、貴族の闇から離れられるなら、それに越したことはない。

 問題は、次の働き口である。多分、と言うか絶対、見つからない。


 お先真っ暗な私と違い、ライラは余裕だ。

 エリアス様の肌着の部屋の鍵を振り回しながら、鼻歌を歌ってるのではないかと思うくらい足取りが軽い。


「ねえ、ミア。一緒に古着屋の洗濯係とか、やらない?」


 そう私を見るライラ。楽しそうだ。


「市民夫人は諦めなきゃいけないけど、私とミアが一緒なら、どこだって働ける気がするのよね。

 あ、一緒に洗濯屋をやるってのも有りよね!」


 そう言えば。ライラ、実家が太いんだった。

 ライラってこんなに能天気だったっけ、と思うと同時に、その事実に思い至った。

 私を励まそうと敢えて明るく言っているわけではない。


「サニスには居られないから、西部の都市か…………。古着屋はギルデがないから、身分証明は多少融通が利くし…………」


 本人がルンルンである。



 とりあえず、目の前の仕事をしようと、エリアス様の肌着を持って、看護女中部屋に戻ってきた。


 扉を開けると、エリカ女史がいた。


 ウナ女史と何か話していた顔を、こちらに向け、エリカ女史は目を細めて私たちを睨む。

 その視線は、私と言うより、私の手元、エリアス様の肌着である。

 よほど匂いが嫌いなのだろう。


 いつもと違うエリカ女史の格好。

 初めて見る深い茶色の服に、キャップもエプロンも着けていない。

 外出着である。


 出ていくのだ。この城を。


 私の心は、凪いでいた。

 私も解雇される身だからか。あるいは、ライラに明るく次の働き口の話をされたからか。そのどちらもだろう。


「相変わらず、その臭いのを、ここで洗ってるのね。床に飛んだ飛沫を、誰が拭いてたと思ってるのよ。

 今日からは、ちゃんと掃除もしなさいよ」


 エリカ女史の呆れた声。


 拭き掃除、してくれていたんだ。

 凪いだはずの心が、少し痛くなった。


 しかし、今日からと言われても、私たちも出ていくのだ。


「――――あと、ウナを頼んだわよ」


 エリカ女史が視線を逸らして言う。


「えっ?」


 と、私とライラ、ウナ女史の三人が同時に聞き返した。


「た、頼んだって、何よ! エリカ! 私、誰かに頼むほど頼りない? 何がダメだった?

 言って! 直すから!」


 ウナ女史が涙目で喚く。

 最早メンヘラ彼女である。


 そんなことはどうでもいい。

 私とライラに頼むと言うことは、つまり。


「……私たちも、解雇になるのでは」


「なんないわよ。

 まあ、あんたは家政婦長の標的だから、何らかの罰はあるだろうけど。

 と言うか、『も』って何よ。私だって解雇じゃないわよ」


 エリカ女史が、棚の扉を開けながら言う。


「――――聞いてないの?」


 その棚の荷物に手を伸ばしていたエリカ女史が、私とライラを見て、その直後にウナ女史に振り返る。


「――――言ってないの?」


「だって、だって。……認めたくないもの! エリカが間違ってたなんて!」


 荷物を胸に抱え、エリカ女史が「はぁー」と深くため息を吐いた。

 そして私たちに顔を向ける。


「疫病じゃなかったのよ、ノア様の嘔吐。

 嘔吐病でもない。と言うか、病気ではなかったの。

 ――――調理場の、不始末だったのよ」


 そう言うエリカ女史の顔は、穏やかだ。

 他の人に感染するものではない。これ以上の患者は出ない。ノア坊ちゃまも回復している。つまり、安堵の顔だ。

 自分の考えが間違っていたということに、何の未練もないかのように。


 エリカ女史の口から、調理場の不始末と聞かされると言うことは。

 やはり、マダムは動いていたのだ。


「…………五月芋の芽、ですか」


 私は、恐る恐る言う。


「そう。あんたも気付いたのね。

 今さら言い訳にしか聞こえないと思うけど、可能性の一つとは考えていたのよ。

 でも、そんな都合のいい楽観視なんてできないし、最悪の事態を考えて行動したのよ」


 疫病だと居館を騒がせたから。そのせいで、公爵夫人が混乱してしまったから。

 だから、エリカ女史は、責任を取って城を去るのだ。


 後悔はしていない、とエリカ女史が微笑(わら)った。


「わかります。疫病を想定した行動は、正しかったと思います」


「あんたに言われても別に嬉しくないけど、悪い気はしないわ」


 相変わらずの、ツンである。


「家政婦長に紹介状書いてもらったから、もうコレは要らないし――――ウナにあげるわ」


 エリカ女史は、抱えていた荷物の一つを、ウナ女史に渡した。

 一昨日私が借りた服である。クリーム色のジャケットとスカート。


「いいの?」とウナ女史が恐る恐る畳まれた服に手を伸ばす。


「もうそこには戻ることはないだろうし、着ることもないから。ウナの好きにして」


 ウナ女史は、その服を胸でギュッと抱きしめた。

 その服は、おそらくだが、以前エリカ女史が所属していた組織か何かの制服なのだろう。私には、上等なウールが使われているくらいしか分からないが、制服を身分証代わりにするのはよくあることだ。


「――あんたたちには、これを渡しとくわ」


 そう言うエリカ女史から、残りの荷物を受け取る。

 これって。


「酒精。

 拭き掃除の後は、これで作業台とタライを消毒しなさい。それから、換気は必須よ。酒精の匂いが籠るから」


「…………ありがとう、ございます」


 酒精はそれなりに値が張る物だ。しかも消毒用の高濃度の酒精となると、かなり高価だ。それを、両腕に抱えるほど大量に。

 と言うか、これ、エリカ女史の私物だったのか。

 もちろん、有難い。有難く受け取る。


「あと、熱湯消毒したリネンだけど、ちゃんと天日干ししなさいよ。

 それから、部屋の中の水場に水滴を残さないで、カビが生えるから。それと――――」


 細かい指摘事項も、有難く受け取った。



「――――明日の駅馬車の時間が早いから。私は行くわね」


 と、エリカ女史が看護女中部屋を出る頃には、赤い西日が差し込む時刻になっていた。


「あんたには」


 唐突に、扉の前で立ち止まったエリカ女史が、振り返って私を見る。


「感謝してるのよ。

 ――ノア様の服も、女中のお仕着せも、何もかも焼却処分してたら、家政婦長から紹介状は書いてもらえなかったと思う。

 あんたが、あんたたちが洗濯してくれたから。

 この件は借りってことにしておくわ」


「じゃあ」とエリカ女史は片方の口角だけ上げて廊下に出ていった。


 泣きべそをかいていたウナ女史がルンルンな顔で貰った制服を抱きしめている。

 その代わり、と言っては何だが、ライラがこの世の終わりのような顔になっていた。



 颯爽と廊下を歩いて行くエリカ女史の後ろ姿。

 これから彼女がどこへ行こうとしているのか、私は知らない。恐らくは、二度と会うこともないのだろう。

 それでも、いやだからこそ。西日に当たって輝くその後ろ姿に、彼女のこれからの道が希望に満ちたものであると、信じてやまなかったのだ。


 でも。

 エリカ女史本人が言っていたではないか。 

 神々は、愛しい人間しか救わないと。私たちが祈ったところで、見向きもしないのだと。


 

 4日後、私たちは知ることになる。

 エリカ女史が、亡くなったことを。


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