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「聞きたいのは、ノアの体調不良の原因だ」
寝椅子の端で、足を組み少し前屈みになるような姿勢で座っている家庭教師が、指を組んだ手を膝に置いて言った。
「私が知るわけないじゃないですか」
膝を揃えて寝椅子に座る私。首だけを横に曲げ、少し仰け反るようにして、横にいる家庭教師を見た。
そして、私の隣、家庭教師とは反対側の端にはライラが座っている。
三人並んで、寝椅子の赤いベルベット布の張り地に、腰を下ろしているこの光景。
自分でも異様なのは分かっている。
何をしているかといえば、寝椅子の座面を押し込んでいるのだ。
毛布巻きの家庭教師を解放して、扉の建付けを直してもらった。
もちろん、私と裁ち鋏を回すライラの監視の下である。
「離れてくれ」とか「殺気立って見ないでくれ」とか「鋏を鳴らさないでくれ」とか、家庭教師が色々と注文をつけてきたが、全て拒否した。
とは言え、いつまでも扉の前から微塵も動かず、そこに硬筆でチマチマと何か書いているだけだったので、退屈になって作業に戻った次第である。
座面を外した時と同様、戻す時もまた、少しずつ木枠に嵌め込んだのだが、あっちを入れるとこっちがポコンと外れてしまう。
ライラと二人、四苦八苦しながら何とか座面を木枠に嵌め込み、何か上から押さえつける重しがないかと考え、今に至る。
家庭教師が、私に聞きたいこととやらの口火を切ったわけであるが、最早この一言に尽きる。
知らんがな。
即終了。
と言うことで、立ち上がっても良いか確認しようとライラを見ると、その首がカクンと落ちている。
ライラが居眠りをしている。
あのライラが。
とても貴重な光景に色めき立ってしまう。
「不確実でもいい。君が考える可能性の限りを挙げてほしい。例えば、ローサや嘔吐病など病気が原因なのか、それとも食事なのか」
私が身動き取れないのをいいことに、家庭教師が、自身の視線を下に向けたまま、続ける。
だから知らないと言っているだろう。
と内心悪態を吐きつつ、ライラを起こすのも忍びない。
結果「はあ」と私はやる気のない曖昧な相槌を打つ。
「何か腐ったものでも口にされたんじゃないですか」
「腐ったもの、か。例えば何がある? 腐ったというのはどの程度の腐敗を指しているのだ?」
私のやる気のない回答に対し、生真面目に詰めてくる家庭教師。
空気読め。
「…………そもそも、今現在のノア坊ちゃまの状況を知らないですし、全部伏せられた状態で分かるわけないじゃないですか」
それはそうだと、言わんばかりの顔で、家庭教師が私を見てくる。
「ノアは、元気だ。朝食は少なめだったが、昼食前には空腹を訴えていた。
そうだな。昨日の嘔吐前と大差ないほどには回復している」
真面目に答えやがった。
「だったら、いいじゃないですか。元気で回復してるなら、別に原因なんて突き止めなくても」
「不測の事態が起きた時の原因追及と、それによる再発防止策を講じることは、保護者と教育者の当然の義務だろう」
尚も食い下がる家庭教師。
面倒くさい。
そうだった。こいつ、面倒くさい奴だった。
「はあ」と私は息を吐いた。相槌ではない。ため息だ。
「嘔吐病じゃないですかね。この時期なら、巷でちらほら出てますし。罹ってもおかしくないですよ。
あくまで、私の見解ですが」
「しかし、ノアは城から出たことがない。嘔吐病の使用人との接触もないのだが」
「大人が発症していなくても子どもが突然嘔吐するというのは、よくあることです。
それに、必ずしも患者に近付いていないから罹らないとは限りませんよ。例えば、嘔吐病の回復直後の使用人が触った食材を、火を通さずに口に入れたとか」
「なるほど」と家庭教師が考え込む。
あくまで、私の見解である。
疫病や毒だと言われても、専門家ではないから分からないが、日常生活で子どもが突然嘔吐したなら、真っ先に疑うのはこれだろう。
私のような底辺の人間はさておき、裕福な栄養状態の良い子どもであれば、まず命に関わることはない。
一日で回復というのもあり得ることだ。
嘔吐病ならばと考え、そっと腰を浮かせる。
馬毛。酒精で消毒しかしてない。
消毒した麻袋に入っているし、間に毛布も挟んであるし、要らぬ心配だと思うのだが。
とは言え、所見も述べたことだし、長居は無用である。
「それでは」と退散するためライラを起こそうとしたところ、思慮から戻った家庭教師に尋ねられた。
「その、嘔吐病の回復直後の使用人が触った食材とは、口にした時に分かるものなのか。ピリピリするとか、違和感があるのか?」
「――――いえ、全く気付かないかと」
ピリピリだと。やけに具体的な違和感の表現を持ち出されて、嫌な予感しかしない。
早く退散しなければと、頭の中で警報が鳴り響く。
「私たちはこれで――――」
「ノアが、昼食時に違和感を訴えたのだ」
ライラを揺り起こしながら撤退を決めた私に、容赦ない砲撃を食らわす家庭教師。
敢えて聞かないようにしていたのに。
「舌が少しピリピリする、と」
言いやがったな、こいつ。
私が焦っているのを知っているのか敢えてなのか、「だから毒を疑ったのだが」と何食わぬ顔で家庭教師が続ける。
「ノアの吐瀉物からも便からも、この国で入手できる殺害や自害に用いられる薬の類は、検出されなかった」
「そもそもですが。薬や毒の類は居館に持ち込めないはずです」
家庭教師に呼応するように、私に起こされたライラが、真顔を私に向けて言う。
なぜ乗っかる、ライラ。
寝ぼけているのか。
「居眠りなんてしてないわよ」と言わんばかりの真顔だが、これは完全に寝ぼけている。
「そうだ。だが、抜け道はいくらでもある。
例えば、毒や薬として影響のないほど微量に分けて持ち込むとか。無害な原材料を持ち込んで、口にする直前に精製するとか。
恥を晒すようで忍びないが、私の回路にも限界があるのだ」
そこは忍んでいて欲しかった。
聞きたくなかった事実がボロボロと、家庭教師の口から出てくる。
横でライラがたじろいでいる。自分が何を口走ったのか、理解したらしい。
「はあ」と私はため息を吐いた。先ほどより、深く長いため息。
「――ノア坊ちゃまがピリピリと仰った時、何を召し上がっていたのですか?
そこまで薬を疑いながら、その証拠が出ないと仰るなら、その違和感の正体は、食材由来の可能性もありますよ」
嘔吐との因果関係があるなしに関わらず、舌に違和感を覚える食材はいくらでもある。
例えば甘橙とか酢。あれは人によって舌に刺激を感じる。しかもその日の体調によっても微妙に変化するし、甘橙であれば果実の個体差というのもある。
あとは、ノア坊ちゃまが、特定の食材でその様な反応を起こす体質か。
「あれは、主菜の前の、五月芋とミルクのスープだ。
汁物なので毒を疑い私も口にしたのだが、私は特段の違和感は覚えなかった」
「あ、五月芋ですね」
スンと表情を消して、私は言う。
薬でも毒でもない。ただの五月芋だ。
「五月芋の皮は、人によってはピリピリと違和感を覚えますよ。
皮付き五月芋が嫌という人は、これが理由です」
洗濯女中で言えばサラがそれだ。
「皮の剥き残しがあったのかもしれないですね。調理場女中は、忙しいらしいですから」
ライラをチラリと見遣ると、正気に戻った瞳が、スッと不機嫌そうに伏せられた。
「――――そうか。
調理場の女中は、それほど横着なのか」
家庭教師が、底冷えするほど冷たい声で言う。
横着と言えば横着ではあるが。
洗濯女中にとっては、鼻持ちならない調理場女中たちだが、家庭教師の怒りの矛先が向けられるのは、それはそれで気の毒な気もする。
「全員が全員ではありませんが、入れ替わりが激しいので、不慣れな者もいるのではないでしょうか」
調理場への後ろめたさから、敢えて理由を口に出した。
が。口に出したことで、繋がってしまった。
ノア坊ちゃまの嘔吐原因の可能性と。
芽が出て皮が緑色になった五月芋。
それを取り除かずに利用していたとしたら。
この地域では皆が食べている五月芋だが、南部地方では馴染みがないらしい。
今まで、五月芋が食材であると認識していない女中もいたし、存在自体知らなかったという女中もいた。
もし新しく配属された調理場女中が、五月芋の芽を取り除くことを知らなかったら。
古参の女中が、適切な指示をしていなかったとしたら。
あり得る。
あの新人イビリが大好きな連中だ。
毒でも病気でもない。
事故だ。
不運が重なっただけの。
故意であろうがなかろうが、結果として、毒見の子どもが嘔吐している。
知らなかった、分からなかった、では済まされない。調理場女中だけではなく、料理番すら何らかの罰を受ける。
と言うか、解雇はまず間違いない。
調理場の女中たちには、義理も借りもない、何なら嫌な気分にさせられたことが何度かあるくらいだが、進んで白日のもとに晒す気にはなれない。
ならば、家庭教師には黙っておいたほうが良いのではないか。
「隠蔽」という言葉が頭をよぎる。
一人では結論が出ず、思わずライラを見遣る。ライラも、眉をハの字にして私を見ている。
ライラも、五月芋の可能性に思い至ったのだろう。考えることは同じらしい。
「どうする」と視線だけで尋ね合う。
どうしよう………。




