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「君たちが察しの良い人間で助かる。

 なので、少し離れていてくれないか」


 家庭教師は、少し上ずった声でそう言いながら後ろを振り返り、扉に手を掛けた。


 逃げる気のようだ。

 簡単に騙せると思うなよ。


 私とライラは、衣擦れの音を響かせて、家庭教師との間合いを詰めた。


 二人して、「マダムに突き出せば――!」と足が地に着かない状態だったのは事実である。




「離れてくれと言っただろう!

 なぜ私を拘束するのだ!」


 膝を床につき、頬から胸、腹部、太腿まで談話室の壁にベッタリとくっつけた家庭教師。

 私は、その背中に自分の肩と肘を打ち込みながら、家庭教師の右腕を捻って背中に付ける。


 家庭教師の右の耳上の髪の毛先が、一直線に切り揃えられ、床に薄灰色の髪の毛が散らばっている。


 裁ち鋏を裁縫道具箱にしまったライラが、毛布を持ってきた。そしてポケットから、洗濯紐を取り出す。

 洗濯紐、常に持ち歩いているんだ。と突っ込みたくなった。

 まあ、私のポケットにも入っているが。


「抵抗なさるので、身動き取れないようにさせていただきます」


 毛布を広げながらライラが言う。

 どうやら簀巻きにしたいようだ。

 こういう時、エマがいてくれればササッと縛ってくれるのだが。私もライラも、ロープワークが得意な方ではないので、簀巻きが一番ではある。


 私も自分のポケットから洗濯紐を取り出し、家庭教師の右腕を拘束しながら、左腕も捻り上げる。

 その両腕の手首に、洗濯紐を巻きつけて縛る。


「抵抗ではない!

 背後から鋏と蹴りが飛んできたら、避けるし払うのは当然だろう!」


「逃げるおつもりでしたよね」


 私の背後に屈んだライラが、家庭教師の足首を洗濯紐で縛りながら言う。


「逃げようとなど、していない。

 扉を確認するためだ」


 私は、思わずハッと鼻で笑った。


「詭弁ですね。あの状態で背中を向けられちゃあ、逃亡と見なしますよ。

 当然、個人拘束しかないでしょう」


 ライラが足首を縛り終わったのを確認してから、家庭教師を床の毛布に引き倒そうと腕を絡める。

 が、それだけでは動かない。腰を落としてかなりの力で抵抗しているようだ。


「―――回路(クライス)を確認するために、離れてくれと言ったんだ。

 私は、君を信用している。だから、魔術師であることも明かした」


 ギリギリと奥歯を鳴らしながら、壁にへばり付いている家庭教師が、私を見上げながら息も絶え絶えに言う。


「私は、おたく様を信用してませんよ」


 家庭教師が目を見開いて黙った。


 家庭教師の背中を押さえつけながら腰を落とし、家庭教師の太腿の裏からすくい上げるように腕を回す。

 そして、家庭教師の背中に私の肩を沿わす。引き摺るというより、肩に背負う感じである。

 これは腰にくることがあるのでやりたくないのだが。動かないから仕方がない。


「やめてくれ!

 言葉だけでは足りないと言うのか? なら、どうすれば君たちは私を信用するんだ?」


 家庭教師を毛布の上に転がす。「ぐはぁ」と鳴き声が聞こえた気がする。

 間髪入れずにライラが家庭教師に毛布を被せたので、正確なところは分からない。


「まずは、マダムのところへ行きましょう。

 その後であれば、信用しますよ」


「だぁ、もう!

 トラウザーズのポケット!」


 毛布に包まれうつ伏せになった家庭教師が叫ぶ。


「ポケットの中の物を取れ。

 家政婦長に突き出すのは、その後でも遅くはないだろう」


 ライラと思わず顔を見合わせた。

 二人とも両手が塞がっているので、視線で語る。

 どちらが、家庭教師のポケットに手を入れるか。


「警戒したくなるのは分かるが、罠など仕掛けていない」


 家庭教師の嘲笑うような声。

 別に、私もライラも、罠とか魔術が怖い訳ではない。

 家庭教師(こいつ)の腰回りに手を差し入れるのが、生理的に嫌なのだ。


 視線の動きだけの無言の激論の末、ライラが裁縫道具から紐通しを持ってきた。

 そして、それを私に突き出す。

 ライラに睨まれながら「やれ」と顎で指示を受けた私が、やることになった。

 せっかく包んだ毛布を外す。


「……なぜ手を使わないのだ」と家庭教師に問われたが、それは無視する。


 四苦八苦の末、ポケットから出てきたのは、小振りの木組みの箱だった。

 小振りといえど、象嵌細工の見るからに高価な箱。


 中に入っていたのは、砂糖菓子だった。

 甘橙の皮を砂糖で煮詰めて乾燥させた、高貴な方々のための菓子。




「私が食べ物で釣られるわけないじゃないですか」


「女中に甘い物渡しとけば言うこと聞くとか、思い込み(はなは)だしいですね」


 私とライラが交互に文句を言う。

 その口元には、砂糖の跡。


 指に残った砂糖を舐める。


「それはノアの好物だ。ノアの分は残しておいてくれ」


「甘橙の皮も、吐き気を誘発する可能性があります。ノア坊ちゃまは、今は控えた方が良いですよ」


「………………君たちが、全て食べても構わない。

 それで、これは外してくれないのか」


 床の上に、毛布に包まれて、更にその上にリネンを捻って縄状にしたものを巻き付けられている家庭教師が、毛布から顔だけが出ている状態で言った。


「後でマダムに突き出しますので、拘束は外せませんよ。

 では、話を伺いましょうか」


 私は、毛布の塊の横で膝を折った。

 私の横のライラは立ったままである。


 家庭教師が、私に聞きたいことがあると言っていたのは、ちゃんと覚えている。

 砂糖菓子に免じて、話を聞いてからマダムに突き出してやろう。

 誰であろうと、甘い物を食べると寛大になるのだ。


「…………この状態では、話せない」


「話せているじゃないですか」


「私の状態ではない。この部屋の状態では駄目だ、と言うことだ。回路が不安定なのだ」


 そう言えば、さっきも言っていた。確認するとか何とか。


「――――回路って、何?」


「私が知るわけないでしょう」


 ライラを見上げてみたところ、素っ気なく返された。


「回路というのは、動力源からの伝導経路であり尚且つ各点の通過回数によって出力構造も変化するという魔術現示の基本的概念構造だ。この部屋の回路の場合は触媒を用いた制御型要素を組み込んでいてだな」


 家庭教師が、雄弁に語り出す。

 聞き慣れない言葉が次々と飛び出すが、つまりは、魔術的な何かを施してあると言いたいのだろう。

 それにしても、ツラツラと早口でまくし立てやがって。


「何語?」


「だから、私が知るわけないでしょう」


「――要するに。

 施した魔術の調子が悪いから、誰かに聞かれる恐れがある、と言うことだ」


 早くそれを言え。

 声に出したつもりはなかったが出ていたらしい。

「君が、回路とは何か尋ねたからだろう!」と家庭教師がツッコミを入れてくる。


「私に聞きたいことはあるけれど、この場で話はしたくない、と言うことですね。

 ――――わかりました」


 私は折っていた膝を伸ばし、立ち上がった。

 横にいるライラと共に踵を返し、部屋の中央に向かう。

 寝椅子の作業再開である。


「待て! ここは拘束を解く流れだろうが!」


 毛布巻きになった家庭教師が喚いているが知ったこっちゃない。

 話をしたくないと言うのなら、元の作業に戻るまでだ。

 マダムへ突き出すのは、寝椅子を元に戻した後である。


 ライラが張り地の縫い付けを進めている最中も、家庭教師は喚いていた。

 うるさい事この上ない。

 ライラは澄ました顔で針を進めているが、耳障りであることに変わりはないだろう。


「おたく様の回路とやらの調子が悪いから、この部屋、音漏れするんですよね。

 あまり喚いていると誰か来たりするんじゃないですか」


 縫い付けが終わって、座面を持ち上げる。

 そろそろ静かに作業したいので、家庭教師に尋ねてみた。

 途端にピタリと静かになった。


 やっと作業に集中できる。


「…………回路が不安定なのは、昨日、君が扉を蹴破ったせいだ」


 恨みがましく私を見ながら家庭教師が呟く。


 ムッとした。私の腹の虫が、ヘソをぐりっと捻る。

 砂糖菓子の効果はここまでだったようだ。


 私のせいだから、何なんだよ。


「……んな、蹴っただけで調子狂うのが魔術なのか。ああ?

 テメェがヤワな回路とやらを構築したからだろうが。他人のせいにするな」


 それに、言いたくないが、あそこで私が突入しなければ、ノア坊ちゃまは脱水症状で命さえ危ぶまれる事態になっていただろう。


「――だったらミア、もう一回蹴ってみたら? 昨日は廊下側から蹴ったから、今度は部屋の内から」


 はぁとため息を吐いたライラが、うるさいのが増えたと言わんばかりの呆れ声で、家庭教師にも私にも顔を向けずに言う。


「やめろ! 余計壊れる!」


 なるほど、と思っていたら家庭教師がまた喚き出した。


「確かに、ヤワな回路と言われれば、その通りだ。蹴られて壊れる回路構造を施した私が悪いのも認める。

 ただ、脆いというより、緻密で繊細な構造なのだよ。

 考えてみたまえ。公爵閣下も使用する部屋の扉を、蹴破る輩がいるなんて、誰も思わないだろう!」


 談話室。それは優雅な貴族の憩いの空間。

 確かに。

 家庭教師の言う通りである。


 ちょうどその時、キッと扉が鳴った。

 誰かがいたわけでも、押し開けたわけではない。おそらく、どこかの部屋の扉が、開いたか閉まったかして、廊下の気圧が変わったのだろう。


 つまり、建付けが悪いのだ。

 御継嗣であるエリアス様の居室の階にある、談話室の扉が。


 私とライラは顔を見合わせた。


「――――その、回路とやらを調整したら、この扉の建付けは、良くなるんですかね」


 私が蹴ったせいだとは、決して言わないが。

 建付けが良くなるなら、それに越したことはない。


 私とライラ、そして毛布から顔だけ出ている家庭教師が一呼吸遅れて、それぞれニヤリと口角を上げた。


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