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西からの強い日差しが、窓の色ガラスを通して、廊下に複雑な色彩模様を描く。
私とライラは、エリアス様の居室の階にいた。
寝椅子の座面に加えて、ノア坊ちゃまと家庭教師の服を、洗って乾かして蒸気消毒も済ませて持参している。
彼らの――と言うより家庭教師なのだが――洗濯の終わった服の返却について、他の洗濯女中に依頼したかったのだが、誰も引き受けてくれなかった。ネッサも、である。
何度もこの階を訪れるのは嫌なので、一度に済ませる予定だ。
この時刻にこの日差し。
疲労と眠気の頂点である。いや、既に限界突破しているのかもしれない。
頭が痛くなるほどに。鼻血が出そうになるほどに。
もしかしたら、この見えている色彩模様すら幻覚なのかもしれない。
なんて、馬鹿なことを考えながら、廊下の隅をライラと、おぼつかない足取りで歩く。
まあ、足取りがおぼつかないのは、クッションのせいでもあるのだが。
「――――失礼します」
談話室の扉を軽く叩き、返事がないのを待ってから、声をかけながら押し開ける。
ギッと扉が軋んだ。
建付けが悪いようだ。思い当たる節はあるが、考えないことにした。
断じて、私が蹴ったせいではない。
室内は、中途半端に開かれたカーテンから入る外光で、ある程度の明るさは保たれているが、それでも廊下と比べれば薄暗い。
談話室には、誰もいなかった。
品良く配置された調度品の中で、最も目立つ寝椅子。
赤いベルベット布の背もたれに彫刻の施された洒落た脚。座面はない。
ぽっかりと床が見えるそれは、誰がどう見ても「なんだこれは」と叫びたくなる姿である。
私とライラは、無言でそれに向かう。
誰かに何か言われる前に、組み立てて元に戻そう。
と言っても、何か言う人は一人しかいないのだが。
そう。マダムである。
私とライラは、持参した裁縫道具や諸々を広げ、作業に入った。
この階に来る前に、看護女中部屋でクッションに毛布とベルベット布を試しに被せてみたので、作業手順に抜かりはない。
移動する際に張り地が汚れる可能性を考えて一度外して、畳んで持ってきたが、布の張りや折り目は何となく残っていた。
仮止めした状態で座面を木枠に当てて、隙間などを確認する。
「――やっぱり隙間ができるわね」
「……毛布、追加で重ねようか」
防寒用の毛布を持ってきてよかった。
もちろん勝手に拝借したわけではない。ちゃんとエリカ女史の了承は得ている。
初めは昼寝用かと疑われたが。まあ、その用途の可能性が全くなかったわけではない。
二人で、ああでもないこうでもないと寝椅子とクッション周りを散々うろつき、やっと張り地の縫い合わせに入る。
針仕事はライラに任せて、その間、私は残った毛布で――――。
と考えていたら、ライラに睨まれた。
結局、クッションを挟んだライラの向かいで両膝を立てて座って、その作業を見守る。
最早目を開けているのさえ辛い。
膝に額を付けて船を漕ぎそうになると、ライラに喝を入れられた。
そんな時だった。
ギッと談話室の扉が鳴った。
「そこの炭焼きの孫」
私を呼んだのは、家庭教師だった。
そう。家庭教師。
眠気が吹き飛んだ。
「君に聞きたいことがある」
とか何とか言いながら、家庭教師が談話室に入ってくる。
私は、音をたてずに立ち上がると、畳んでリネンで包んだ家庭教師の服を抱え、談話室の扉を閉める彼に近付いた。
「――――昨日お預かりしたお召し物です。洗濯が終わりましたので、まずはお返しいたします」
努めて穏やかに、できる限りの笑顔を浮かべて、リネンに包まれた服を家庭教師に両手で差し出す。
「ああ」と家庭教師がそれを受け取った。
家庭教師の両手が塞がったその瞬間を狙った。
家庭教師の逃げ場をなくすために、私は、閉まった扉に勢いよく手のひらを付ける。
ダンと、大きな音が鳴った。
「それと、私からも伺いたいことがありまして」
家庭教師との距離を詰めて、下から見上げるように、私は顔を傾けて言う。
上げていた口角を下げ、それでいて目を細めて。
「――――服、なにすり替えてんだよ。ふざけんなよ」
所謂「メンチ切る」である。
「何のことだ?」
キレ散らかしている私を全く気に留めていない様子の家庭教師に、冷たく見下された。
「しらばっくれないでくださいよ。
お召し物、汚れてなかったんですが」
尚もメンチ切った格好で、私は言い募る。
家庭教師が、私を見下ろしたまま黙り込んだ。
「困るんですよぉ。
嘔吐残渣とか、排泄物とか、ついたままの服。放置されるの。
私、言いましたよね。自己責任で済まされないって」
「服は放置していない。君に渡した服が、ノアを介抱していた時に着ていた服だ。
嘔吐汚れがないのは…………、渡す前に自分で洗ったからだ」
若干の焦りを含んだ家庭教師の声。
嘘だな。
洗った跡ないし。
「おい、パチこくな。
バレてんだよ。ゲロとゲリの汚れだけがないって。
洗濯女中なめんなよ」
家庭教師の目が、僅かに泳ぐ。
私の口汚さに慄いているわけではなさそうだ。
「――――ミア。
今、ゲロとゲリの汚れだけがないって言った?」
突然、ライラが声を上げた。
針仕事の手を止めて、真顔でこちらを見ている。
「服自体は染みも砂ぼこりも付いているのに、ノア坊ちゃまの汚れだけがないんだよ。
服、すり替えた以外――――」
「ミア。そいつから離れて」
私の言葉を遮る強い口調のライラ。
上級使用人には取り澄ましているライラが、家庭教師をそいつ呼ばわりしている。
立ち上がってこちらを見る目には殺気すら帯びていた。そして、その手に握られているのは、裁縫道具の中にあったはずの裁ち鋏。
私は、素早く家庭教師から距離をとり、半身の姿勢を取った。
ライラの異様な立ち姿に、私の熱が冷めていく。
魘される程の熱さから解放されたような感覚。
ゾッとするとか、肝が冷えるとか、そういうのではなく、腹の中はひたすらに凪いでいる。
マリア嬢が言っていたではないか。塔の部屋の前で。
サナトリアの魔術師は、人が身に着けていた物でその人を呪い殺せる、と。
目の前にいるこの男が――――。
飛躍しすぎかもしれない。
だが、その可能性は否定できない。
ライラは、鋏の片方の持ち手に中指を引っ掛けて、鋏をクルクルと回しながら、家庭教師と私と正三角形を描くような位置に間合いを取る。
「こいつを、ふん縛ってマダムに突き出せば――――」
ライラは完全にヤる気である。
この誰もいない談話室で。
ヤるなら、今しかない。
「ちょっと待て」
家庭教師が声を上げた。
冷静を装っているが、内心慌てふためいているのが表情に出ている。
「二人とも落ち着いてくれ。
説明するから、殺気立たないでくれ」
「だから一回ふん縛らせてください」
「マダムの指示を仰いでからでいいですか」
「なぜそうなる!
わかった。そのままでいい。そのままでいいから話を聞け。
確かに、私は、君たちの想像通りの人物だ。
ただ、その事は公爵閣下も家政婦長も知っている。公爵家に雇われた身なのだよ。
毒をもって毒を制す。察しの良い君たちなら分かるだろう?
私は、エリアス様の家庭教師であり、護衛であり、主治医だ」
家庭教師が、自らを魔術師だと認めた。
それを、マダムも知っている。
驚きはない。言われてみれば当然だ。マダムが知らないはずがない。
それでも失望感が広がる。
もちろん、マダムの人柄の話ではない。
突き出したところで、何もならないということにである。
魔術師と引き換えに、エリアス様の肌着を洗濯場で洗わせてもらおうと思ったのに。
「…………何よ。マダムにいいとこの旦那でも紹介してもらおうと思ったのに」
そうライラが舌打ちしている。
そんな姿を見て思い出した。
そうだった。ライラも睡眠不足なのだった。




