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 リネンは灰汁につけたり煮沸することで消毒ができる。

 しかし、ウールは、シルクと同じく灰汁にも熱にも弱い。この掃除女中のお仕着せのような、ウールと麻の交織生地であっても、それは同じである。


 では、どうするか。


「石鹸水での洗濯の後、アイロンを使って蒸気消毒をします」


 エリカ女史を真っ直ぐ見つめ、私は言った。


「濡れた厚手の麻布を当て布代わりにして、アイロンを当てます。麻布から蒸発した水蒸気を、服の繊維に通すことで、消毒するのはいかがでしょうか」


「なるほど。水蒸気、ね」とエリカ女史は、束の間視線を足元に落とし考える。


「――待って。ウールが入ってる生地に、消毒目的でアイロン当てたら縮むわよ」


 私とエリカ女史の間に流れる沈黙を、ライラの声が破った。


 ライラの言う通りである。

 ウールに水と熱と摩擦を加えると、繊維が絡み合って縮んでしまう。所謂いわゆる、フェルトである。

 そして、交織生地にあっては、縦糸だけが縮むという、服としてはかなり無様な状態になってしまう。


「そう。その塩梅が難しいところなんだよね。

 アイロンは絶対に動かさない。熱を布に伝えるだけ。短時間で布から離して、別の箇所に当てる。

 そうだな……。

 水蒸気を当てる時間は、3まで数える間。それを2回……、いや3回繰り返す……のは、どうでしょうか」


 私は、ライラとエリカ女史を交互に見ながら、やや尻窄み状態で言う。

 正直、それで完全に防疫ができるかという自信はない。


 私の記憶を「あれでもない、これでもない」と引っ張り出して辿り着いた考えである。


「――水蒸気を沸騰させた湯と同じと考えるなら、10まで数えた方が良いわ」


「10は長すぎます。ウールが縮みます」


 エリカ女史が眉間にシワを寄せ、唸るように言った言葉に、ライラが即座に首を振る。


 確かに、煮沸であれば10まで数えたい。

 だが、それでは駄目なのだ。

 ライラが言うように、ウールが縮む。


「だから、3までを3回。……どうでしょうか」


「うーん」とエリカ女史は瞑目して上を向く。

そして、何か諦観したように目を開き、私を見た。


「――ミア。その3までを3回で、病気が蔓延しない自信はあるの?」


 痛い所を突いてくる。


「絶対の自信はありませんが、でき得る最善の策だと思います」


 正直に言った。

 そう、最善の策。所謂いわゆる、善処である。

「善処します」なんて完全に逃げの言葉だが、それ以外に言いようがないのだ。


 エリカ女史は、私をじっと見つめ、言った。


「…………この世に『絶対』はないわ。

 ――――万が一の時は、あんたが責任取りなさいよ」


 つまり。

 掃除女中のお仕着せは燃やさない、ということ。


 私は「はい」と返事をした。

 思いの外、力強い声が出た。



「で。

 さっきから気になってるんだけど。

 これ何?」


 トーンの変わった声で、床に横たわるクッションを指してエリカ女史が言う。


 部屋の空気は依然緊迫している。

 ただ、その質はガラリと変わった。

 喩えるなら、「地雷を踏んだ」である。


「あの談話室にあった、寝椅子の…………中身です」


「中身ぃ?!」


 私の発言に、素っ頓狂な声を上げたのは、栗色の髪の看護女中である。

 私とライラそしてエリカ女史の3人の輪に入れず、酸欠状態の魚のように口をパクパクさせていた栗色の髪の看護女中。やっと口を挟める話題になったからか、心なしか声が生き生きしている。


 エリカ女史は、辛うじて口角を上げて「へぇ」とこめかみに青筋を立てながら相槌を打ってくれた。


「――まさかと思うけど、それも洗うつもり?」


「……はい。そのつもりです」


 返事をしながら、私はライラを見遣る。

 半眼で私を睨むライラと目が合った。

 この件については、ライラの援護は期待できないようだ。


「中身も動物の毛なので、ウール素材と理屈は同じです。

 張り布はベルベット布なので、アイロンの扱いにかなりの気を遣いますが、蒸気消毒は可能です」


「同じって、あんたねぇ!

 寝椅子って、調度品よ! 家財よ?

 お仕着せ一枚でヒイヒイ言ってる下っ端女中が、身体売っても払えないくらい高価なのよ?

 わかってんの? ねぇ!」


 水を得た魚のように饒舌な栗色の髪の看護女中。私の説明にキャアキャアと甲高い声を張り上げてくる。

 正直、耳障りである。


「わかっていますよ」と短く答えながら、栗色の髪の看護女中に鋭く視線を投げつける。


 当たり前だろう。

 それを承知の上で解体したのだ。

 外野がやいのやいの言うな。


 それだけで、栗色の髪の看護女中は怯んでしまった。


「ノア坊ちゃまの排泄物が付いた寝椅子です。

 拭き取るだけでは不十分なのは、ご理解いただけるかと思います」


 私は、エリカ女史だけを見て言った。


 エリカ女史の青筋が、更に浮かび上がる。

 奥歯をギリギリと食いしばっているのだろう。



 ふうぅと深く息を吐いたエリカ女史。

 栗色の髪の看護女中を見て、唐突に言った。


「ウナ。あんた、今から着替えて園丁に指示してきてくれる?」


 栗色の髪の看護女中は、ウナという名前のようだ。


 そんなことはどうでもいい。

 突然話題が変わって、私もライラも、そして当のウナ女史も「えっ何?」と戸惑いが隠せない。


「屋敷林の水場から離れたところに深い穴を掘るよう、ウナがしっかり指示してきてよ」


「そんな雑用、なんで私が――――」


「嫌なら私が行く。代わりに、この洗濯女中をよろしく」


「――そうね! 私が行かないとよね!

 掘る場所も重要だし、直接行ってしっかり指示してくるわ!」


 エリカ女史の一言に、コロッと態度を変えたウナ女史は、そそくさとエプロンを脱ぎ捨てると、ニッコリ笑って廊下に向かって駆け出した。


 エリカ女史は、その後ろ姿を無言で見送っていた。そして、ウナ女史の影が廊下に消えていくと再び深く息を吐いた。


「…………もう、あんたの好きにしてよ」


 エリカ女史は同僚を逃がしたようだ。

 生温く笑いそうになる私とライラに気付いて、エリカ女史が冷たく言う。


「勘違いしないでよ。

 あんたたちの為でも、あの子の為でもないから」


 しかし、その言葉、最早ツンではないか。


「ああいう、口ばかりで度胸のない奴って、後で必ず足を引っ張るから。

 何があっても、私は責任取らないわよ。あんたたちが勝手にやったことだからね」


 そう言って、自身の袖をまくり上げるエリカ女史。

 洗濯を手伝ってくれるようだ。

 私は、口元が緩んでしまうのを必死で隠した。


 が、エリカ女史にバレた。

 石灰の桶に突っ込まれていた柄杓の柄で頭をゴツンと叩かれる。

 僅かに舞った石灰の粉塵が、目に染みた。



 掃除女中たちのお仕着せは後回しにして、とりあえず、ノア坊ちゃまの排泄物の付いた物から洗うことにした。

 石灰から救出されたお仕着せたちは、現在、少量の酢を混ぜた水とともに、桶の中に沈んでいる。


 排泄物汚れで、特にひどいのは肌着だが、これはリネンなので灰汁で煮洗いできる。今は、軽く水洗いして、水に晒して放置する。


 さて、寝椅子の方である。

 染みは時間との勝負だ。


 と言うことで、張り地であるベルベット布の洗濯である。


 水場で汲んだ水を、裏庭で日光にあてながらタライに張る。

 少しでも早く水温を常温に近付けるためだ。

 ウールは温度変化で肌触りが変わる。熱くても冷たくても駄目なのだ。


 特にベルベット布は、その起毛の光沢と肌触りがベルベットたる所以であり、それを維持するため、洗濯には細心の注意が必要である。

 そして、今回はこの後、アイロンの蒸気消毒である。寝椅子の座面に戻すことを考えると、わずかな縮みも許されない。


 机上の空論だと笑われても否定できない。

 そんな手強い洗濯物である。



「流石、家政婦長のお気に入りだけあるわ。破天荒過ぎる」


 水汲み桶を緩く傾けながら、エリカ女史がため息とともに言う。

 エリカ女史の視線の先は、私である。


 私がマダムのお気に入りと言いたいのか。

 気に入りと言うより、目を付けられてるが正しい表現なのだが。


「あんた、相当、マダムにかわいがられてるらしいじゃない」


 エリカ女史が意地悪く笑う。


 ええ、まあ。かわいがりと言うか、行き過ぎた指導と言うか、マダムの鬱憤のはけ口と言うか。

 そういう意味において、マダムのお気に入りである自覚はある。


 キリキリと胃が痛む。

 全て承知の上で洗うということを選んだのだ。今更、後悔なんてしていない。

 痛いのは、きっとマダムの話をしたせいである。


 私は、意を決して、エリカ女史が水を張ってくれたタライに、赤いベルベットの布をそっと沈めた。



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