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「掃除女中に、何を言ったの?」


 看護女中の部屋。

 鼻と口を手巾で覆った、薄い金髪の看護女中が私を見つめて鋭く言う。



 その少し前である。

 私とライラが、エリアス様の居室の階にある談話室から、ノア坊ちゃまのゲロ桶や汚れ物を持って、看護女中の部屋に戻ってきたのは。


 扉をライラに開けてもらい、中に入ったところ、ものすごい音がした。

 クッションの端が何かを引っ掛けて、棚の物を落としてしまったのかと思ったが、そうではなかった。


 薄い金髪の看護女中と、もう一人、栗色の髪の看護女中。

 部屋の中にいた二人が、私を見て石灰の桶を落とした音だった。


 私は、「ヨイショ」と零しながら、クッションを足元に置く。

 それから数秒の沈黙の後、正気に戻った薄い金髪の看護女中に、問い詰められたわけである。



 勝手に掃除女中に指示を出したこと。嘔吐残渣や汚れ物をこの部屋に集めたこと。何より、談話室への強行突入から家庭教師への暴力まで。

 やり過ぎた自覚はある。


 洗濯女中の分際で、上級使用人の真似をするな、と厳しく咎められるのは覚悟している。


 私と一瞬目を合わせたライラの表情には、談話室とは違う、ピリピリした嫌な緊張感が漂っている。

 つまり、臨戦態勢である。


「――桶をこの部屋に運ぶこと、服を着替えることと、着ていた服をこの部屋に持ってくること。

 それから洗濯石鹸での手洗いと、あとは……、手を洗った水は取っておくよう言いました」


 あの時は私もあまり余裕がなくて、掃除女中たちにガンガン指示したが、それを一つ一つ思い出すように言う。


「取っておくのは、石鹸水を洗濯で使うため?」


「いえ。汚れと一緒にまとめて処分するためです」


「いいわ」と薄い金髪の看護女中が呟く。


 石鹸による手洗いは、手に付着した汚れを水で流すだけなので、洗った後の水は汚れている。

 とくに疫病は、その排水により更に広がる可能性も高い。洗った水をその辺に捨てられては困るのだ。


「――――2回よ」


 薄い金髪の看護女中は、唐突に、人差し指と中指を伸ばした手を見せ、言った。


「手洗いは、2回。掃除女中たちには2回洗わせたわ。

 ――次、伝えるときは、2回と正確に伝えなさい」


「はい」とだけ、私は答えた。


 いつものように、ギャアギャア言われるのかと思っていたが、違った。


 ただ、栗色の髪の看護女中は、不満の残る表情で、私と薄い金髪の看護女中の顔を交互に見ている。

 いつも、薄い金髪の看護女中とブルネットの看護女中の後ろにいた二人のうちの一人。薄い金髪の看護女中に対し意見することを憚っている、そんな関係性が垣間見えた。


「この部屋に汚れ物を集めてくれて、助かったわ。

 まとめて燃やすから、あんたたちは着替えて、園丁に穴を掘るよう依頼してきてちょうだい」


 薄い金髪の看護女中が、落ち着いた声で言う。

 看護女中は、私たち洗濯女中より上の立場なので、彼女が指示を出すのは当然の流れだ。

 当然の流れなのだが。


 燃やす、だと。


 私は、掃除女中たちに「洗濯する」と言ったのだ。

 詭弁かもしれない。でも、洗濯だから、掃除女中たちは服を着替えたのだ。


 看護女中の指示に、私は堪らず眉間にしわを寄せてしまった。


「――私たちは洗濯女中です。その役目は、お受けできません」


 棘のある声でそう言い募ったのは、ライラだ。

 私も全く同じ言葉を発しそうになった。


「何? この期に及んで口答えするつもり?

 立場をわきまえなさいよ!」


 私たちの態度に苛立ちを隠さない栗色の髪の看護女中が、ライラに食って掛かる。

 ライラと栗色の髪の看護女中、二人の肩から、日頃の恨み辛みの籠もった険悪な空気が立ち上っていた。


 その空気を一瞥して、私は素早く辺りに視線を走らせる。


 そして見つけた。

 歯茎を見せんばかりに威嚇する栗色の髪の看護女中の、その足元の桶。

 石灰が白い砂山のように聳えているその桶は、縁から黒い布が覗いている。ウールと麻の交織生地の、掃除女中のお仕着せである。


 私は、その桶だけ見つめてダッと駆け寄った。



「やだ! なに! なになに何! やめて!」


 栗色の髪の看護女中が、腰の引けた防御姿勢を取りながら悲鳴をあげる。


 傍から見れば、完全にコメディエンヌの動きである。

 彼女にしてみれば、突然、私が突進してきたのだ。

 談話室の扉を蹴破ったところも見ている訳であるし、さぞや恐ろしかったことだろう。


 しかし、今はそれどころではない。


「失礼します!」


 私は一声かけて、その桶から、服を引っ張り出した。


「ライラ! 酢と水! 種類は問わないから、早く!」


 バサバサと服から石灰を払い落としながら、突然走り出した私の背中を掴みそこねたまま固まっているライラに言う。

「わかった!」とライラが通る声で応え、靴底が鳴るほど素早く踵を返す。


「な、なんてことを!」


「これまでの努力を台無しにする気!」


 石灰の粉塵を避けるように仰け反りながら、看護女中たちが驚愕と怒気に満ちた声を上げた。


「この服は、ウールが混ざっているんです。石灰をかけて放置したら、生地が傷みます」


 看護女中たちが避ける粉塵の中央で、私は努めて冷静に言った。


 ライラが用意してくれた水の張られた桶に、掃除女中のお仕着せを浸す。

 服とともに片手を白濁する水に突っ込んだまま、そこへ穀物酢をドボドボと注ぎ入れる。

 水に石灰が溶け、水が微熱を持つ。指先のぬるりとした感触は、ウールが溶けているのか、それとも私の指が溶けているのか。

 とにかく、この感触がなくなるまで、酢を入れた。


「やめなさい。

 これは、燃やすのよ」


 薄い金髪の看護女中が、桶に入れていた私の手首を掴み、桶から引き上げる。

 ヒビ割れて赤みを帯びた私の手。その手で掴んでいたお仕着せを指差して、彼女は言った。


「ノア様がローサに罹っていなくても、別の疫病の可能性は捨てきれない。

 吐瀉物を処理した女中の服は、もう服ではないのよ。廃棄物よ。

 ――――あんたなら、わかるはずよ」


 薄い金髪の看護女中の声。低く落ち着いた口調。駄々っ子を叱るような、そんな声色ですらある。


 私なら。

 私なら分かる。

 それが、病気を広めないために、他の誰かの命を守るために、必要であることは。


「燃やすのが、最適であることは、理解しています。

 ですが、ですが。

 この服を燃やしたら、明日から掃除女中たちは洗い替えの粗末な服しかありません。

 そのような服で、居館の仕事が務まるでしょうか」


 居館の女中は、フィシュの形から靴下の色まで指定されている。

 吐瀉物の処理を押し付けられるような下っ端の掃除女中たちが、そう何枚も服を持っているとも思えない。

 洗って返さねば、彼女たちは、居館はおろかこの城のどこにも居場所はないのだ。


「病気の蔓延を防ぎ、命を守ることが最も大切であることは、重々承知しています。

 ですが、その命をながらえた後の、命の繋ぎ方――つまりは生業についても、心を砕いては頂けないでしょうか」


 これは、祈りである。

 薄い金髪の看護女中という、この部屋の絶対神への。


「――――感情論じゃないのよ。

 一時の情で都市が崩壊する。それが疫病よ」


 神は、静かに言った。

 酷く冷たい声だった。



「あんた、名前は?」


「ミアです」


「私はエリカよ。

 ねえ。私、とっくの昔に慈悲は棄てたの。だから情なんてかけてられないから。

 それに、神々はね、愛しい人間しか救わないのよ。だから、私たちが祈ったって見向きもしないわ」


 私の祈りを一笑に付して、薄い金髪の看護女中エリカ女史が言う。


 そして、口角を大きく上げた。嘲りや卑下ではなく、挑発するような笑い。それでいて嫌味のないカラッとした笑顔だった。


「ミア。臭い芝居なんかしないで、ちゃんと説明しなさいよ。これを棄てないで洗濯する方法。

 で、具体的にどうするつもり?」


 臭い芝居だと。

 心外な。

 ガチな発言だったのだが。


 まあ、いい。

 エリカ女史が、こちらの土俵に乗ってくれたのだ。

 エリカ女史が、首を縦に振らざるを得ない説明をしようではないか。


 私の口角も、大きく上がっていた。


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